1072人が本棚に入れています
本棚に追加
いつも側に?
更紗の側にいつもいるといえば、司狼、陽と春南、そして朔。だが、そのうちの誰の声でもない。となると、残るは──。
ツキ……?
『我としたことが油断をした。悪霊どもにいいようにされてしまった。……すまなかったな』
そんなことはない、と叫びそうになった。それを必死に飲み込み、更紗は何度も首を横に振る。
頭に響く声は、本当にツキなのだろうか。
あの見た目にはそぐわない威厳のある声に違和感を覚えるが、よく考えるとあの姿は本来のツキではないのだ。
『更紗、諦めるな』
ツキの声が、更紗の心に沁みわたる。
たった一人きりだと思っていたが、そうではなかった。こんなところにまで、ツキが来てくれたのだ。
更紗は手の甲で涙を拭う。
ツキに見えるだろうか。更紗は暗闇の中で、目一杯微笑んでみせた。
ツキが側にいるなら、百人力だね。
その声はツキに聞こえているのだろう。ツキの安堵した様子が、なんとなくだが伝わってくる。
悪霊たちに気配を感じさせず、更紗にだけ存在を知らせる、まさに神業だ。
『自分のせいで更紗が攫われたと、司狼も心を痛めておる。これ以上そなたに何かあれば、司狼は心身ともに弱り果て、悪霊どもに食われてしまうぞ』
更紗が玲二に捕まってしまった時の司狼の顔が思い浮かぶ。自分を恥じ、悔いている、そんな苦しげな表情だった。
司狼はいつも飄々としていて、それでいてお茶目な部分もあって、自分の息子たちはもちろん、春南や更紗も本当の娘のように可愛がってくれる愛情深い人だ。司狼にあんな顔は似合わない。いつも穏やかに笑っていてほしい。
ごめんなさい。もう死にたいなんて思いません。
一人じゃないことを実感し、更紗の中に力がわいてくる。
ツキが側にいる。それだけで大丈夫だと思える。そして……。
ツキ、一つ聞いてもいい?
『なんだ?』
更紗は深呼吸し、気持ちを整える。そして声に出さないように気をつけながら、思い切って聞いてみた。
私は……まだ狛犬の嫁ですか?
闇の中で、元々何も見えない。だが、更紗はぎゅっと目を瞑る。祈るように胸の前で手を組んだ。
我ながら未練がましい。しかし、縋れるものなら縋りたかった。
朔の側にいたい。朔の隣を誰にも渡したくない。月読命に与えられた力がまだ自分にあるのかわからないが、狛犬の、朔の嫁になりたい。朔と本物の夫婦になりたかった。
ふ、と微かな吐息を感じる。更紗はそっと手を伸ばす。すぐそこにいるような気がしたのだ。──つぶらな瞳で更紗を見つめるツキが。
更紗の腕がふわりと温かくなる。ツキが更紗の腕の中にするりと入り込んできて、鼻をすりすりと擦りつける。その姿は見えないが、感覚としてはっきりと感じ取ることができた。
ツキ……!
更紗はツキを抱きしめる。本当は思い切り抱きしめたいのだが、大きな動きを見せると悪霊たちに気付かれそうな気がして、少しだけ力を込めるに留めておく。
『我がここにいるということがその答えだ。更紗、大切な我ら狛犬の嫁よ』
更紗の瞳から、再びぽろぽろと涙が零れる。だがそれは先ほどのような苦しいものではなく、心の中全てを温かく満たしてくれるような、そんな優しい涙だった。
最初のコメントを投稿しよう!