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「どうする、どうする、どうすれば……」
朔は唇をギリと噛みしめ、髪を掻き乱した。
『朔さん……』
その時、ふわりと何かが頬を撫でたような気がした。辺りを見回すが、何もない。
「更紗……か?」
『朔さん、唇噛んじゃダメです。私には噛むなって言うのに』
また、更紗の声が頭の中に直接響く。更紗が思念を飛ばしているのだろうか。
その姿は見えないが、禍々しい気配の中、一筋の希望の光のように優しく温かなものが確かに伝わってくる。
朔はそっと自分の頬を撫でる。更紗が触れているのなら、その手を掴み引き寄せ、この腕に囲いたかった。そして──二度と離さない。
「更紗、どこにいる?」
『わからないんです。真っ暗なところで……』
「俺が見えるのか?」
『はい。突然朔さんの姿が見えたんです。びっくりしました』
「そうか。ツキは一緒か?」
『はい。ツキがいるので、私は大丈夫です』
更紗の「大丈夫」は無理をしていることもあるが、この場合は本当に大丈夫なのだろう。姿は見えないが、伝わる雰囲気から怪我などもないようだ。
朔は心から安堵する。何より、こうして更紗の声が聞けてよかった。
『朔さん!』
更紗が叫ぶより前に、朔は素早い身のこなしで半ば牛鬼と化した玲二の攻撃を躱す。
『朔さん、朔さんっ!』
「大丈夫だ、更紗。満月とはいえ、そう簡単にはやられない」
そう言えど、棘がほんの少し掠ったのか、朔の上着がボロボロに切り裂かれていた。厚手のものだったので、身体に直接傷はついていない。しかし、こうもボロボロにされてしまっては逆に動きづらい。朔は上着を脱ぎ捨て、玲二から間合いを取った。
『私が……そこへ行けたら』
「俺は、来れなくてよかったと思っている。ここは危険だ。そこにいろ。必ず助けに行く」
更紗がどこか別の場所、それはおそらく御神木の中だろうが、そこへ閉じ込められていてよかったと心底思う。もし、姿の見える状態で捕らわれていたとしたら、更紗は何をするかわからなかった。自分から玲二に捕らわれた時のように、また自分の身を犠牲にするだろう。
『私が玲二さんと話をできれば、少しは……』
「無理だ。もう奴は完全に乗っ取られている。お前の声は届かない」
『……っ』
「更紗、頼むからおとなしく待っていてくれ。お前が傷つくのは耐えられない」
朔はそう言い残し、再び玲二の懐に飛び込んでいく。数ある棘は容赦なく朔に襲い掛かり、朔はそれは紙一重で躱しながら、どうにか玲二と牛鬼を切り離そうと躍起になっている。
獣に姿を変えずとも、一方的に不利というわけではなかった。だが、圧されていることも事実だ。更紗はハラハラしながら見守るが、心が押し潰されそうになる。
「ツキ、朔さんを助けて!」
『助けたくとも、この状態ではな』
「どうやったらここから出られるの?」
『あの二人が悪霊どもを退治するか、もしくは……』
「もしくは? ねぇ、ツキ、教えて!」
更紗の必死の頼みに、ツキが更紗を指を甘噛みする。言いたくない、とでもいうように。
「ツキ!」
『……幽世との結界が崩れた時、だろう』
「それは……」
更紗がゴクリと生唾を飲み込む。
それはつまり、悪霊や妖怪たちが一斉に現世になだれ込んでくるということだ。
「それは、ダメ」
『そのようなことにはさせない、絶対に』
強い意志のこもるツキの声が、これほど頼もしく聞こえたことはない。
ツキが言うなら、そうなのだ。ツキは月読命の神使なのだから。
「あぁ、朔さん!」
朔の方に意識を向けたその時だった。
玲二の口が大きく裂け、鋭く尖った長い牙が朔の胴を貫こうとしていた。朔はギリギリのところで避けるが、完全には避け切れない。
黒髪がバッサリと地面に落ち、白い飾り紐が転がった。徐々に深紅に染まっていく。
「朔さんーーー!!」
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