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契約書一つで繋がっている関係だというのに、当然のように「嫁」と言われることがひどく嬉しい。
思えば、朔ははじめから更紗を嫁として大切にしていた。表情がほとんど変わらないので、最初の頃はそれがよくわからなかった。渋々受け入れただけなのかもしれない、そんな風に思ったこともあった。
しかし、今は違う。ほんの僅かだが、変化する朔の表情に気付くこともできるし、更紗のことをどれほど大切に想っているかも伝わっている。
更紗が月読命に選ばれた狛犬の嫁だから。そんなことはもはや関係なかった。朔が何者であろうと、更紗にとっては誰よりも大切で、代わりなどいない唯一の男性なのだ。
「ワォン!」
ふと気付くと、ツキが子犬の姿に戻って、更紗の足元をウロウロと歩き回っていた。自分の存在を主張するように、ツキは更紗をじっと見つめながらもう一度鳴く。そして今度は朔の方へ行き、パンツの裾をくわえて引っ張った。
「ほら、ツキも早くしろって」
「しょうがないな。ツキ、離せ」
「ウォン!」
ツキが満足したようにまた一鳴きし、再び更紗の元へ戻ってくる。更紗はしゃがんでツキと目を合わせ、優しく微笑む。嬉しそうにパタパタと尻尾を振るツキを抱き上げ、朔にも笑顔を向けた。
「お疲れ様でした。……旦那様」
「……っ」
朔の目が大きく見開き、次の瞬間には更紗から顔を背けてしまった。そして、そそくさと陽のいる方へ駆けていく。
その後ろ姿を眺めながら、司狼が肩を小刻みに揺らしてクツクツと笑った。
「更紗には敵わんな」
「……そうですか?」
「うちの男どもは、私を含めてどいつもこいつも嫁に弱い。まぁ、嫁がとんでもなく可愛らしくてその上強いとあっては、それも仕方がないな。……依織もそうだった」
司狼は独り言のように呟くと、更紗に微笑みかけ、母屋に向かって歩き出した。更紗もツキを抱いたまま後に続く。
依織、それは司狼の連れ合い。今から十年ほど前に病気で亡くなってしまったという陽と朔の母のことだ。
写真でしか見たことはないが、優しさの中に芯の強さも持ち合わせた、大きな瞳が印象的な女性だった。きっと彼女は司狼の陰となり日向となって、家族と月川神社を支えてきたのだろう。
「ツキは、依織さんのことを知ってるんだよね」
「ウォン」
「すごく素敵な人だったんだろうなぁ」
「クゥン……」
ツキが鼻先を擦りつけてくる。甘えるその仕草は「更紗も負けてないよ」と言われているようで、心が擽ったくなる。
自惚れのような気もしたが、そう言ってくれていると感じたのだ。それを信じたい。
「普段でも、あの時みたいに話ができるといいのに」
「ウォン」
だが、あんな状態になるのは二度とごめんだ。どちらを取るのかと言われれば、断然今を取る。鳴き声だけでも、ツキと会話はできるのだから。
「ツキ~~! これからもよろしくね!」
「ワォンッ!」
更紗が頬ずりをすると、ツキは嬉しそうに返事をして、更紗の頬をペロリと舐めた。
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