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毒林檎
秋が深まってきた夜。三島景吾は公園のベンチで困り果てていた。というのも――。
「ねぇ、景吾くん。今度ふたりで旅行行こうよぉ。いいでしょ? ね?」
「いえ、旅行はちょっと……」
ロリータ服に身を包んだツインテールの女性が、甘ったれた声で腕に絡みついてくる。彼女は梨々花といって、景吾が勤めている病院の理事長の娘だ。彼女は院内で1番の色男である彼にご執心で、恋人がいると言ってもこのように付きまとってくる。
「えー? なんでなんで? あ、もしかして彼女さん? ずっと彼女なんかといたら、息が詰まっちゃうよ。気分転換も兼ねて行こっ!」
「ええと……」
(こんなところ、沙羅に見られたらどうなるか……)
景吾は恋人の微笑を思い浮かべた。
浮気と思われて自分が責められるのならまだいい。彼女の恐ろしいところは、別にあった。
「むぅ、旅行がダメなら、キスして?」
「え? キス……?」
「そう。じゃないとぉ……」
梨々花はニヤリと笑う。彼女は自分の立場をよく分かっていた。自分の言葉ひとつで、彼らがクビになったり昇進したりする。景吾ももちろん分かっている。だからといって、キスなどとてもできない。
景吾の背中に、冷や汗が伝う。ここでキスをしなかったら、病院から追い出されるどころか、どこの病院でも働けなくなる可能性まである。もしキスをすれば、沙羅に比喩抜きで殺される。
彼女なら、やりかねない。
「ねぇ、景吾くん……。景吾くんからしないんなら、私からしちゃおうかなぁ」
梨々花が景吾の肩に手を置いたその時――。
「ごきげんよう。月が、とっても綺麗ですね」
凛とした声に、景吾は息を呑む。
「はぁ? 誰ぇ?」
梨々花は苛立ちを隠さず、声のした方へ顔を向ける。そこにはワインレッドのワンピースに、黒いカーディガンを羽織った沙羅が妖艶な微笑を浮かべて立っていた。
沙羅の言葉に引っかかりを覚えた景吾は、月を見上げる。鋭く尖った三日月は、まるで死神の鎌のよう。
「こんばんは、お嬢さん。わたくしは、藍川沙羅と申します。甘いものは、お好きですか?」
「あー、もしかして景吾くんの彼女ぉ? セクシーっていうかぁ、美魔女? ま、オバサンだよね」
連発される失礼な言葉に眉ひとつ動かさず、沙羅はふたりの前に設置されているテーブルの上に、ケーキ箱を置く。箱からケーキを取り出すと、それぞれの前にフォークと一緒に置いた。梨々花の前には、虫食いのケーキだ。
「わぁ、可愛い! オバサン、もしかしてパティシエ?」
「えぇ、フュネライユという洋菓子店を経営しています」
「へぇ、そーなんだ。あーん、ここがもっと明るかったら、写真撮ったのにぃ。気が向いたらオバサンの店に行ってあげる」
沙羅を何度もオバサン呼ばわりする梨々花だが、梨々花は23歳、沙羅は26歳と、そんなに離れていない。それでもふたりの歳が離れているように見えるのは、沙羅が大人びており、梨々花があまりにも子供っぽいせいだ。
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