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愛しい人の行方
秋が深まってきたとある夜、都内のマンションの1室で、ひとりの女性が黙々と台所で何かを煮詰めている。
腰まである艷やかな黒髪をポニーテールにし、紺色のシャツにジーンズとラフな服装をした長身の美女は、小さな鍋に赤の着色料やいちごパウダーを入れ、ゆっくり丹念にかき混ぜる。
彼女の名は藍川沙羅。モデルのような美貌とスタイルを持つ彼女は、憂いを帯びた目で、鍋の中を見つめる。
まるで血のような、毒のような、真っ赤な真っ赤な鍋の中。
沙羅は火を止めるとバットの上に並んだ、3つのピンク色の球体に塗りたくっていく。この球体は沙羅のお手製ケーキだ。チョコレートのスポンジを3層に重ね、中央にはいちごのコンポートを詰め込んでいる。それにいちごクリームを塗ったものだ。
ゆっくり、丁寧に、丹念に。
何かまじないでもかけるように、何度も何度も。
ピンク色の球体は、艶々の真っ赤な林檎のようになった。沙羅は冷蔵庫から小さめのバットを取り出す。バットにはクッキングシートが敷かれており、その上には茶色の短い棒状に、葉っぱがくっついているチョコレートが3つ並んでいる。真ん中だけは、虫食いの葉っぱだ。
沙羅はピンセットでひとつひとつ、真っ赤なケーキに突き刺していく。いちご味の、林檎の形をしたケーキが完成した。
「はぁ、あの人は、どこにいるのでしょう?」
沙羅はため息をつきながら出来上がったばかりの林檎ケーキを冷蔵庫にしまい、時計を見る。時刻は夜10時を過ぎたところ。彼女はまだ帰ってこない恋人の名を呟き、目を伏せる。
「なんて、嘘ですけどね」
形のいい唇を三日月にすると、スマホを操作する。地図画面が表示され、近場の公園を示した。
半年前、沙羅はうっかりわざと恋人である景吾の万年筆を壊し、その数日後にGPSを仕込んだ万年筆をプレゼントした。景吾はずっと万年筆と手帳を持ち歩いていないと落ち着かない、几帳面な性格をしていた。
下手にキーホルダーを渡すよりも、万年筆のほうが自然だと思った。沙羅の思惑通り、景吾は未だにGPSに気づかないまま生活をしている。
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