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3021号室からの電話
入社時からPホテル京都アネックスのフロント係に配属されて3年になる三鷹弓親は、3021号室からの電話を受けて驚いた
驚きはしたが、動揺するほどでもない
それが3年のホテルマン生活で身についた特技だ
あるいは職業病
いいか悪いかは別として、これで一人前の社会人になったな、とも思ったし、同時につまらなさも感じていた
※※※
ホテルには日々いろんな客が来る
一人客、カップル、夫婦、親子、子連れ、友達、学生グループなどなど
弓親が務めるPホテル京都は、場所柄、利用客数は系列ホテルの中でもトップクラスを誇る
大抵…つまりは8〜9割は普通の客だが、中には気になる客もいる
不倫や援交、果ては未成年や乱交まがいのことをやらかす客もいる
1割と言えど、総客室数500数余の大規模ホテルが365日稼働しているとなれば、15000人以上の客が『気になる客』に分類される
CSに関しては、有名旅行サイトで賞をもらうほどの質の高さを標榜しているPホテルだが、クレームがないわけではない
そしてそのクレームの大半は、この『気になる客』によるものが大半だ
※※※
その日の遅番は、弓親より5年先輩の酒々井悠希を含め4人だった
酒々井は勤務歴こそ弓親より長いが、専門卒で入社した弓親に対し、酒々井は高卒、5年客室係を経てのフロント係への配属のため、実質の年齢差は3歳差、フロント業務に限ってはほぼ同期と言ってもいい
そして、今、弓親が想いを寄せている相手だ
チェックイン客が途切れることなくやってくる時間帯に、30階の客から電話が入った
電話を取ったのは女性スタッフだったが、話の内容から弓親と酒々井が様子を見に行くことになった
「騒いでるのは外人だって?」
「3021号室の客ですね。ちょっと前に飛び込みで入った客です」
「ああ。あの目立つ2人組…」
歩きながら小声で情報共有をした
30階に着くと、電話の通り背の高い銀髪の外国人が廊下を端から端へ移動しながら仕切りに誰かの名前を呼んでいる
「お客様、どうなさいましたか」
弓親に声をかけられると、外国人の男は縋り付くような目で
「駿太がいなくなった…!!」
と言った
「お連れ様ですか?」
今度は酒々井が尋ねた
「俺がコンビニに行っている間に…ああ駿太…」
外国人の男の部屋に向かうと、風呂から溢れた湯が床を浸していた
弓親は靴のまま浴室に入り、急いで蛇口を締めた
本来なら苦言を呈したいところだが、男の狼狽っぷりから、風呂場に関しては見逃すことにした
「落ち着いてゆっくり話してくださいますか?」
男によると、コンビニから帰ってくると風呂の湯が出しっぱなしで、連れの男性が忽然と消えていたらしい
「お連れ様はおいくつですか?」
「駿太?駿太は…いくつだ?」
男が指を折って数え始めた
日本語が不自由なのか、相手のことをよく知らないのか、それとも数を数えられないのか、なかなか返事が返ってこない
弓親は諦めて
「未成年ですか?」
「いや、成人している。さっきもビールを頼まれて…」
「それでしたら、一人で飲みに出かけたという可能性は…」
「駿太は疲れてるって言ってたんだ!だから先に風呂に入れと俺が薦めたんだ!」
また喚き出しそうな勢いである
見かねた酒々井が弓親に変わった
「確かに、お風呂の湯を出しっぱなしでお出かけになるとは考えにくいですね。ちなみにルームキーは残っていますか?」
ルームキーは各部屋に2枚渡される
そのどちらも部屋に残っていた
「鍵を持たずにお出かけになったんですね」
男が頷いた
酒々井の傾聴の姿勢に、男はやっと聞く耳を持ったようだった
「もしかしたらすぐにお戻りになるからキーを持って出なかったのかもしれません。もう少しお待ちになって、もし戻らなければまたご連絡くださいますか?その間に浴室の清掃をしても?」
男は何か言いたげだったが、風呂場の惨状を見て頷いた
「ならば今出てきてもいいか?少し周りを探してみるから」
「お戻りまでに清掃を終わらせておきます」
酒々井の返事を待たずに男はものすごい速さで廊下を駆け抜けていった
「足速っ」
さっきまでの誠実なホテルマンの姿とは打って変わって砕けた口調で酒々井がつぶやいた
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