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アビスゲート
「義姉さん───まだ、抵抗するのですか?」
呆れた表情のルギア。
彼女はあろうことか、両親の首に両手を掛け、帝国兵の前に引きずってきた。
「る、ギア……!」
苦しそうに呻くエミリアの父。
「ルギア───どうして?」
悲し気に呟く母───。
「どうして?…………あなた方が不浄だからですよ───汚らわしい」
数年一緒に過ごし、一緒の釜の飯を食べたというのに───本物の愛情すら注がれていたというのに、ルギアはそれを微塵も感じていないらしい。
養ってくれた両親という感覚すらないのか、まるで家畜のように父と母を引き摺ると、エミリアを見下ろす。
「さようなら、お義父さん。お義母さん。──────お世話になりました」
ペコリ。
美しい所作で一礼すると、
ボキリ──────。
あ──────────────────────────────…………。
『エミリア……』
『エミリア───』
微かに聞こえた死霊の声……。
父さん、母さん……の声。
茫然としたエミリア。
彼女の時はその瞬間、止まる─────。
『エミリア……おかえり、元気でいて……』
『エミリア……息災でな───』
そして、父も母も冥府へと旅立つ───。
周囲では勇者たちと帝国軍が残った魔族を惨殺している中、エミリアはもはやピクリとも動けない。
あまりのショックが体を貫き、感情と心と心と心が───死んだ。
ルギアが、ゴミのように両親の死体をポイっと投げ捨てて、その体がバウンドして横たわる瞬間にも、微塵も動けない。
薄っすらと見える、二人の死霊の影がエミリアに寄り添い、
『もういい……誰も憎むな───』
『生きて……。生きて、エミリア───』
その彼女を、誰かがそっと撫でた気がした───。
優しい気配に心が温まり、少しだけ穏やかな気分で彼女は覚醒する───。
覚醒するんだけど、
だけど……。
だけど、首が反転し口から一筋の血を垂らしピクリとも動かない両親の死体と、その瞳に映る自分の姿を見たエミリア。
誰かの霊魂が彼女に語り掛けてくれたものの……、
「う…………」
守る。
守りたい。
死んでも守りたい大切なもの。
それが──────。
「あ、うう、う───」
う、
ううう、
うぁぁああ……。
「あ──────…………」
うぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!
慟哭するエミリア。
心が、
心が壊れていく───。
「あ、あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
エミリアの絶叫が響く。
目をそらしていた事実を、まざまざと見せつけられて叫ぶ。
死んだ……。
死んだ……。
父さんが死んだ。
母さんが死んだ。
死んだ……。
殺された──────。
ルギアに殺された───。
勇者たちに殺された……。
帝国に殺された──────。
どこかで嘘なんじゃないかと、
全部悪い冗談なんじゃないかと、
「あああああああああああああああああああああ……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ………………。あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
だけど現実で───!
現実で!
残酷なくらい現実で───……!
魔族も、
父さんも、
母さんも、
そして、今───ダークエルフ達も、
たった今、コロサレタ──────。
アイツらにコロサレタ……。
なのに、
ひゃはははははははははははははははは!!
ぎゃはははははははははははははははは!!
あーーーーっはっはっはっはっはっはっ!!
「み、見ろよ! みたかよ!」
「うひゃはははははははは! 見とる見とるぞぃ」
笑い転げるドワーフの騎士。
「うくくくくくくく……。こ、こんな分かりやすい絶望初めて見ましたよ」
含み笑いを隠せない帝国の賢者。
「ハイエルフ様の浮世離れして様は聞いていましたが、──……ひどい人ですねー。うふふふふ!」
歓喜の表情を浮かべる森エルフの神官長。
コイツラナニガオカシインダ?
ミンナ、シンダ……。
ゼンイン、シンダ──────。
ナノニ、
ナノに、
ナのに、何でコイツ等はイキテイルンダ?
拘束されたまま慟哭するエミリア。
その絶望を、あざ笑う勇者パーティ。
仮初とはいえ、同じ釜の飯を食った仲間だったはず……。
どうしてそれを、こんな風に笑えるのだろうか?
そもそも、戦争だって帝国が仕掛けてきたもので────。
私たちが、何をしたって言うんだ?
あぁ……そうか。
そうか……。
そうか──────。
あああああああああああああああああああああああああああ……。
「うああああ……」
そうだったんだ。
私が知らなかっただけで──────世界は残酷なんだ……。
閉鎖された魔族領の、さらに閉鎖されたコミュニティのダークエルフの里。
だけど、そんなのは世界のホンの一部──……。
私、エミリアは今日───世界を知りました。
はじめまして世界。
世界は残酷です──……。
ダカラ、ソンナセカイハ、ホロボシテヤリタイトオモイマス───。
「────ね」
ドロリと濁った目つきになったエミリア。
その目で、人間どもを睨み付ける──。
勇者達を睨み付ける────……。
ルギアを睨む───……。
奴らを睨む。
あぁ、そうだ……。
お前らだけは許さない───。
何があっても許さない。
私が死んだ後も許さない……。
呪ってやる……。
呪ってやる。
呪ってやる!!
お前らを───生者を呪う……!!!
「私は人を呪うッ!!」
勇者たちに押さえつけられたままエミリアは叫ぶ。
死ね、と。
「死ね───」
死ね、と───!
だが言葉だけで奴らが怯むはずもなく、ますます拘束がキツくなり、押さえつけられ、ついに頬の感触が地面を捉える。
そこは、血の匂いの充満する地面。
割り砕かれた、魔族の骨の散らばる死体置き場────。
エミリアの家族と魔族たちの慟哭の地。
だから、呪う。
死ね、と───!
お前ら全員、
「───死ねぇぇぇぇぇえええええ!!」
そうだ。
死だ。
死だ!!!
死こそ日常───。
死者渦巻く、こここそが私の空間。
エミリアの日常だ────。
死霊たちの渦巻く非現実の一幕。
だから、
「────全員、死ねぇぇっぇぇぇぇええッッ!!」
そうだ死ね。
死ね!!
死ねぇぇえ!!
死んでしまえ!!
それができないなら、
……殺してやる。
殺してやる!!
殺してやる!!
ワタシがコロシテヤル!!!
「ぎゃあああああああああああ!!」
お前ら全員、魔族の皆と同じ目に合わせてやる。
───身体はボロボロ。魔力は枯渇しきっている。
だけど、まだだ。
まだ終わらないッ!!
依り代はある。
虚ろなる魂たちはここにいる。
アビスは近いッッ!!
裏切り者ルギア目掛けて駆け抜けながら、エミリアは地面の血痕を撫でていく。
まだそこに魂があると感じるために──────。
皆……。
皆いるよね?
まだここにいるよね?
来たよ。
快楽に溺れたエミリアが来たよ。
勇者の愛人に成り下がったエミリアが来たよ。
私が憎いよね。
私は殺したいよね。
私を引き裂きたいよねッ!
ジワリ……。
地面に滲みこんだ血が動いた気がした。
いや、
『冷たい……』
『痛い……』
『寒い……』
動いているんじゃない。
蠢いているんだ!!
『裏切り者……』
『エミリア……!』
『お前のせいで……!』
えぇ、そうよ。
私のせいで皆死んだ。
だから、私を呪っていい。
憎んでいい。
恨んでいい!!
だから、今だけは力を貸して─────。
『憎い……』
『苦しい……』
『妬ましい……』
負に染まった悪意が地面から滲み起こる。
ザワザワと、どこからともなく囁きが響き渡る。
そして、急激に気温が───……。
「な、なんだ?」
「ひぃ! 今誰かが俺の足を!」
「お、女の声が───!!」
蠢く地面に浮足立つ帝国軍。
そして、勇者パ―ティも……。
「くそ!! エミリアの奴、まだやる気か!?」
さすがの勇者も、エミリアの命を賭した死霊術の気配を感じ狼狽える。
そうとも──────エミリアの最後の力を振り絞った死霊術だ!!
お前たちを皆殺しにしてやると──……。
「勇者シュウジよ───。エミリアの刺青を潰しなさい!! それが汚らわしい死霊術の源泉よ」
ルギアの助言。
里の秘密を知るがゆえのアドバイス。
古の文字で「アンデッド」の入れ墨が躍るエミリアの死霊術。
それを消し去ろうと言うのだ。
この女!!
この女ッ!!
この女は、とことんまで裏切り者だ──!
「あぁぁぁあ!! ルギアぁぁぁぁあ!!」
まずは、お前だぁぁぁあ!!
エミリアの怨嗟がルギアに向かわんとするその刹那───!
「そ、そうかッッ!! グスタフ、ロベルト、サティラ───!! 俺が時間を稼ぐ───やれぇっぇええ!! 刺青を潰せぇぇえええ!!」
気を取り直した勇者が仲間に指示を飛ばす。
「おうよ!」
「お任せを!」
「望むところよ!」
起き上がったエミリアは素手で立ち回り、群がる勇者パーティを薙ぎ払おうとする。
だが、彼女は満身創痍……!
刺青を狙う勇者パーティを圧倒することができない。
「くそ──────!! どけぇぇえ!!」
「しゃらくせぇ!!」
グスタフの斧がエミリアを打ち砕く。
度重なる暴行のすえ、エミリアは立っているのさえやっとなのだ。
「ぐぅ!!! な、舐めるな───ドワーフごとき……!」
「精霊よ、彼の者を拘束せよ──!」
サティラの精霊術が苔を急成長させ、エミリアの手足を覆いつくしていく。
「く……!!」
拘束を振りほどこうと苔を毟り取るも、
「援護しますッ!」
ロベルトの補助魔法が、サティラの魔法をさらに強化していく。
そうして、ついに身動きのできなくなったエミリアをグスタフが押し倒すと、
「がははははは!! いい景色だな、ええ、おい!!」
製鉄魔法を唱えると、グスタフの斧が真っ赤に焼き染まる。
「小娘が!! ドワーフを舐めるなよ───」
「ぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああ!!!」
そう言って、エミリアの背中の呪印を「一文字」焼き潰す、ジュウジュウと肌が音を立てて溶けていく。
大切な死霊術の「アンデッド」の文字が焼かれていく。
「ぁぁぁぁぁっぁぁぁあああAAAああAAA!!」
激痛と絶望と屈辱に喘ぐエミリア。
病まない激痛にブリブリと糞尿を撒き散らし、のたうちまわるエミリア。
───燃える肌と焦げる肉。
「待ってください!!」
それを差し止めたのはロベルト。
一瞬、救いの手に思えた自分が呪わしい───。
「貴重な死霊術のサンプルですよ!! 私にもそれを!」
そう言ってロベルトはナイフを取り出すと乱暴に文字を剥いでいく。
───その痛み!!
「GUああああAAAああああああ&%あ$3!!!」
肉ごと削ぎ落され、文字が奪われ瓶に収められたエミリアの肌───。
もうこれ以上はもたない───。
だけど、ダメだ!!
意識が落ちれば、皆の仇が取れないッ!!
死霊術を維持できない!!
ダークエルフ達を守れない─────!!
「しつこい!! いい加減死ねッ」
ありとあらゆる面でエミリアを忌み嫌っているサティラは、更に容赦がない。
「この売女めが!」
そう言って、エミリアの背中の呪印を「一文字」切り裂いた。
「うGAAAAAAAAAAあああああA!!!!!」
切れ味の悪いナイフが与える激痛はエミリアの精神を粉々に打ち砕き、失禁させるに十分だった。
サティラにとって刺青など関係ない。
彼女はエミリアを殺さんと、凶刃を振り下ろし続ける。
心臓を突かれる激痛、脳を抉られる不快感、骨を切られるショック……。
「しねしねしねしね! 邪悪なエルフ!」
「あが?! ぎゃあ! うぐぅああ!!」
的確に致命傷のみを与え、何度も何度もエミリアを奇声をあげて刺し貫く鬼女───。
「殺しては駄目ですよ───まだ」
そんなサティラを止めたのがルギアだ。
ニコリとほほ笑み。エミリアの致命傷を癒していく───。
高度な治療魔法が、ボロボロの刺青以外を綺麗に塞いでいく。
脳の傷、心臓の傷、断ち切られた骨──。
それらを立ちどころに修復するも、
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
急速回復から来る、激痛の嵐───。
そうとも、無理やり繋がれる骨。
筋肉によって締め上げられる心臓。
痛覚が馬鹿になり最大限の危機を体に伝えようとする脳───!
糞尿と涎と涙と、ありとあらゆるものを体からあふれ出し漏れ出すエミリア。
もはや、これで生きているのが不思議なくらいだが、ルギアの回復魔法は死───それを許さない。
「汚らわしいダークエルフたち───。あなたはその最後の一人になるのですよ、義姉さん……」
華が咲くような美しい笑顔。
それはそれは美しい笑顔───……。
ルギアの笑顔───。
「この、裏切りも、の──────」
アンデッドの文字はボロボロになり、エミリアの死霊術は急速に力を失い……。
いや、
「───まだだぁぁぁああああ!!!」
まだ冥府はある!!
アビスはそこにある!!
私のアンデッドはここにいる───!!
皆、力を──────!
私に力を──────!
《ろぉぉおお………………》
虚ろな死者の声が周囲に蔓延していく。
そうとも、
ここは、エミリアの愛する死霊の空間。
そこにあるのは、あの冷たく無機質な骸骨たち。
あそこにいるのは、寂しくすすり泣く亡霊たち。
語らぬ、不満も言わない。
ただただ……悲しく、寂しい、優しい、優しい、優しい、愛しい私の死霊たち────。
死の縁を覗き込みながらも、死霊術を行使せんとするエミリア。
………………いや、必ず呼びだして見せるッ!
ここで無残に死んだ魔族の皆──!
そして、父さん、母さん。
私の里の皆ッ!!
晒され、斬り殺され、死体を汚されているダークエルフたち────!!
無念だよねッ!
苦しいよねッ!
悔しいよねッ!!
その想い───……慟哭をッッ!!
私が、かなえて見せる!!
皆の力を貸して、
皆の身体を貸して、
皆の美しい魂を貸して!!!
来いッ!!
アビスの先から──────来い!
不死者よ!
アンデッド!!
アンデッド!!!
「───アぁぁぁああああンデッドぉぉぉぉぉおおおお!!!」
エミリアの呼びかけの応じて、シュパァァアア──と、不安定ながらも中空に不気味な門扉が浮かび上がる。
骨やら悪魔やら天使やらがデザインとしてあしらわれたそれは、確かに『冥府の門』だった。
ギィィィィイ……。
重々しく門が開き、地獄の底が顔を出す。
「め、冥府の門───? ば、バカなッ! まだあれ程の魔力を?! し、死霊術が復活しているのか?!」
驚愕する賢者ロベルト。
舐めるな!!
表皮を剥いだはいだくらいで、魔力の通り道が完全に消えると思うなよッッ!
思い知れ──魔族の恨み!!
そして、
知れッッッ!!
私の思いをッッッッッッ!!
しかと見ろ。最後の死霊術。我が里の秘術──────!!
そして、もう……失われた技術!!
そうだ! 私は死ぬ。
だから──今日をもって死霊術は最後だ!
来なさい……死霊たちッ。
私の愛しいアンデッド────!!
勇者たちを殺すッッ。
私はそのためだけに全てを尽くそう!!
だから、私の魂を喰らえッ!!
皆の無念を晴らすため────くれてやる。
私の魂をくれてやる!!
だから、越えろ──!!
勇者を、
勇者たちを!
人間どもを殺す力を私に寄越せ!!
魔力を一滴残らず、魂の一かけらまで喰らえッ!!
アビスゲートの先から聞いているんだろッ!!!
持っていけ……!
持っていけ!!!
今ここでコイツ等を皆殺しにできるなら、私の魂なんてくれてやるッッ!!
そして、ついに死霊術がエミリアの能力を越えた。
冥府の門の先からナニカが嗤う───。
ゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタ!!
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