記憶の澱みを泳ぐ先 名も無き傀儡の願い事

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記憶の澱みを泳ぐ先 名も無き傀儡の願い事

 『大層な噂を耳にしてどれ程の傑物かと思えば蓋を開ければ戦の何たるかも知らぬただの惰弱な傀儡。』    『天草四郎などという大層な名も、虫螻の如く地べたを這いずるその様には全く持って似つかわしくない。』   『恨むなら己を祭り上げた無様で非力な父親と、肉塊となってそこいらに転がる薄汚い農民共を恨むんだな。否、命の価値が定められたこの動乱の世にも関わらずそのような非力で無価値な身で生み落とされた自分自身を、か。』 私を取囲み蔑んだ目で見下す武士達。一方的に浴びせられる言葉の刃に一矢報いることも叶わず私の人生はそこで途切れた。 幾ばくの時が過ぎたかも分からぬ中で目を覚ますと記憶を煮詰めた重く暗い澱みに押されて私の身体は何処かへ流されていた。 島原天草の一揆で討たれ、命尽きて目を開けると私はここにいた。意識だけが働くこの身体は人の形を保っているのかそれとも絹糸の様に解けているのか。そんなことは知る由もなかった。 時折身体の中に入っては掻き乱して出て行く何かがいるが、その何かの正体もまた同じこと。 決して途切れることの無い意識を恨んで、取り留めのない話をその澱みに向かって延々と吐いていた。澱みは「たぷんっ」と鳴いて返す。 そんな会話を続けて幾星霜。いつもの声では無い音が頭に流れてくる。 「益田四郎時貞。この先を生きる全ての人間を救う覚悟は君にはあるか。」 文字通り澱んだこの視界が晴れるかのような澄んだ声だった。 人を救うんだと意気揚々と拳を掲げさえすれば、皆が私を信じて後に続くものだと信じていた。しかしその成れの果てを顧みれば父上に天草四郎という神輿として担がれていただけ。振り返った先に仲間の姿は一人として無かった。この私、益田四郎時貞は誰一人として救ってなどいなかったのだ。 だからこそ。巡り合せがあるならばこの命賭けてそれに応えます。 あるのかも分からないなけなしの口でそう答えると、想いが澱みに伝播して声の主に届く。 「宜しい。ならばこの流れの終着点“バートンテイル”でその役目を果たしなさい。」 恨み続けた意識はその言葉を聞き息絶えた。 ───。 「(ゆう)。彼のバニシングポイントと素体名は?」 「はい。トレイス体解析中です…。えっと、バニシングポイントは1638.04.12、素体名“益田四郎時貞”。バニシング時点だと年齢は17歳ですがトレイス体はプラス1…いえ、プラス一日?…です。」 あの澄んだ声を聞いて長らく眠っていた私を起こすかのように、二つの声が左右の耳から脳に届く。どうやらまだ人の形はしているようで安心しました。 「あの、僕の声聞こえて…ますか?会長、今回も“エングレイバー”だったらどうしましょう…。」 「恐れることはないよ憂。その時はいつものようにこの海へ還るだけ。私達が襲われることはない。ほら。彼が目覚めたようだよ。」 「此処は…。此処が“バートンテイル”…です…か?」 自分の口から予め決められていたかのように勝手に出た言葉。それを待っていたかのようにそこにいる男の人が答える。 「まずは君に謝らなければならない。こんな形で呼び出して本当に申し訳ない。そしてそう、君を待っていたんだ。君の言うとおり此処がバートンテイルだ。新たに与えられたその身体にも直ぐに慣れるよ。詳しい話は向かう途中ですることにしよう。」 重く淀んだ身体がみるみるうちに軽くなり、漸くその声の方へ顔を上げる。落ち着いた低い声の会長と呼ばれていた男性はその姿を隠すように白い布を巻き付けるように身に纏い、顔には暗く影が指し、青い目だけが妖しく光っていた。 会長の後ろに隠れ、こちらを見つめる憂と呼ばれた男の子は十二か三くらいだろうか。自信の無さがどこからでも見て取れるが何故かその奥に強い圧を感じる。 「それでは、箱嵜 貉(はこざき むじな)くん。今日から君は正暦保全者(レコーダー)だ。改めてよろしく。」
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