汚れなき大地と裏側

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汚れなき大地と裏側

僕が流れ着いた大地の縁を境に広がる真白な世界。所狭しと身を寄せる建築物はどれも白一色で構成されており、見上げる空もそれと同じ色をしていた。 黒い澱みから引き上げられると、白く細い絹糸のようなものが体に纏わりついていることに気付く。これは…僕の髪か?それらにへばりついていた濁った水がその清白な大地を犯す。 「さぁ、行こうか。」 僕の前に現れた二人に言われるがままその後を追う。少し歩いた先に置かれた卵型の箱の中へと案内され共に乗り込んだ。微かな揺れのあとに音声が響く。 『グルーブ深度地下三十三層。“ヘッドシェル”発進します。』 その音声を合図に、僕が泳いできたあの澱みのような黒一色だった窓に地上で見た街の姿が映る。 「それでは私の自己紹介から。私は正暦保全協会(レコードホルダー)会長の…会長です。名前は別にちゃんとあるんだけどね。そしてこの子が…」 「会長秘書の蜂浦憂染(はちうらゆうぜん)…です。」 小さく頭を下げるその子の動きにつられるように僕も頭を下げる。 「自己紹介もいいんですけど…さっきの“はこざきむじな”っていうのはどういうことですか?一応天草四郎時貞って名前があるんですけど…。」 会長は小さく笑ってから私の問いに答える。 「そうだったね。でもそれより先にこの世界の理から教えたほうが早い。この世界の名はバートン(Burtn)テイル(Tale)。記憶の終着点とも言ってね。現世で生み出された記憶や記録、感情などが昇華して痕跡索(トレイサーズ)という極細生命体となり、それらが互いに結びつきこの世界を形作っているんだ。鉄や木の様な質感のものもあるがその元素に似た痕跡索であって鉄や木そのものではないんだ。それは建物だけじゃなく憂や箱嵜くんだって同じだよ。そしてここからが本題。 私達正暦保全協会(レコードホルダー)の目的は現世の行く末を護ること。 しかしそれを壊そうとする敵対勢力がある。それが記録の壊変行為を行う壊変者(エングレイバー)が集まって作られた組織、壊変師団(エングレイブ)だ。 そんな彼等に対抗するために我々は正暦保全者(レコーダー)の資質を持つ可能性がある現世の人間に“ある能力”を与えることにしたんだ。何か覚えがあるんじゃないかい?」 突きつけられた一つの真実。その“ある能力”に心当たりは確かにあった。幼い頃に母上が猪に襲われて腕に大きな怪我をしてしまい、どうしようもなく嘆いているとその涙が落ちる間もなく忽ちその傷は癒え何事もなかったかのように元の綺麗な腕に戻ったことがあった。 それに僕は覚えていなかったが歩き始めたばかりの頃に海の上を歩いていたと両親が言っていた。それらは神の加護か奇跡かと思い込んでいたが会長からの今の話で合点がいった。会長は僕の表情を確認して話を続ける。 「そう。現世でその能力を発動できるかどうかが正暦保全者としての資質を図る基準の一つとなっている。そうして選ばれた人間は死後、痕跡索(トレイサーズ)の澱みを通ってここバートンテイルに流れ着く訳なんだ。 命尽きたのがどの時代であっても、澱みの中を流れている間に価値観や言語、知識などを記録した痕跡索が君の中に入ってそれらを作り変えているから、ここに来たときにはある程度の価値観の共有は出来るようになっているんだ。 そしてその中で身体も作り変えられる。つまり今の君は天草四郎であって天草四郎では無い。意識の根幹こそそこにあるかも知れないが、君は箱嵜貉(はこざきむじな)という人間へと痕跡転換(コンバージョン)したんだよ。」 会長の話が終わり僕は窓の外を再び眺めていた。白一色の建物が前から後ろへ次々と流れていく。確かに地下に潜ったはずだけどここは地下都市… 「これは地下都市でしょうか?とでも言いたげな顔だな。」 聞き覚えのない音がすぐ前から聞こえた。 蜂浦憂染(はちうらゆうぜん)と呼ばれた子供からだったが、先程までの雰囲気から一転してどこか威圧的な目でこちらを見る。その表情は自信に満ちたものへと変化していた。 「喜八(きばつ)。」 「あーーもう分かってるって。毎日毎日憂の憂鬱に浸かってるせいで息苦しいんだ。たまには憂や会長以外の人間と話させてくれよ。」 注意とも取れるほんの僅かな怒気を孕んだ会長の言葉にそう返す喜八(きばつ)と呼ばれたひとりの子供。その子は僕に視線を戻し話し始める。 「その窓は単なる飾りだよ。尤も、映ってる映像はこの移動卵殻(ヘッドシェル)の直上にある実際の地上の景色だがな。地下もあるにはあるが地上ほど発展はしてない。なんせ地下開発に充てるだけの“トレイス”が都市開発班まで回らないからな。因みに“トレイス”っていうのは痕跡索(トレイサーズ)がエネルギー体に変換したもののことだからよく覚えとけ。 それでこの窓のことだけど、正暦保全者が現れる度にこんな狭い空間に会長と憂と三人きりなんて耐えられないからつって俺が付けさせた。 …って、そんなことはどうでも良くてよ。憂が俺らのバートンテイルのことをまだ話して無いみたいだから俺が変わりに説明してやるよ。 ここバートン(Burtn)テイル(Tale)の街は直径100キロの円盤状の地形の上にある。円盤状って言っても一部齧られたように削れてるが…」 会長が再度咎めるかのように彼の名前を呼ぶ。懲りた様子で先の話を締めると次の話を始めた。 「悪い悪い。仕切り直しだ。この街は中心に行くほど建物の背は伸び、その中心にあるのが俺らが今向かってる正暦保全協会(レコードホルダー)だ。 街の端から先はお前が流れてきた痕跡索の黒い澱みが延々と続いてる。空もそれと似た様な感じで何処までも続く白い空がずっと広がってる。バートンテイルの街は痕跡索の光で照らされてるから明るいけどな。その光を調整して昼夜を演出してるんだ。」 彼の口から語られるこの世界の仕組み。変換されたこの身体のおかげが、乾いた布が水を吸い取るようにその話はすんなりと身体に染みていく。 微かな揺れを感じ窓を見ると景色は消えて画面は黒く変化していた。 「お、話してる間にもう着いたみたいだ。じゃあ俺もここらへんで帰るとするわ。話せて楽しかったぜ貉。」 そう言い残すとその自身に満ちた挑戦的な目は影を抱え、最初に会った蜂浦憂染へと戻っていた。 “ヘッドシェル”と名乗るその乗り物から降りると白一色の街に目が眩む。…まだ慣れないな。細めた目で見る先には僕等を取り囲む高いようにビルが乱立していた。その中でも一際高い建物に目が行く。草原に立つ一本の大樹のように伸びるそれは、空を衝く程に高く聳える。 「それじゃあ行こうか。」 その呟きを合図にそれに向かって歩き出した。
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