エピソード名“悪魔の1ダース”

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エピソード名“悪魔の1ダース”

目を覚ますと閑静な街にぽつりと立っていた。二人に目を向けると慣れた様子で屈伸や腕を伸ばしたりしてストレッチを行いながら何かを待っているように見える。 マンションが疎らに建っているくらいでこれといって目立つ建物もない。看板広告のロシア語だけが此処がロシアだということをはっきりと知らせてくれた。 『通信確認。皆私の声が聞こえるかしら?』 脳内に直接届けられる九麓聡さんの声。それに向かってそれぞれが答える。 『それではエピソードの簡単な説明だけするわ。そこはロシア西部にあるハンティマンシ自治管区スルグトという街よ。そして今回の舞台は中心から少し外れたドロシュニクという地区に建つ倉庫の中。座標はトレイス体に記録済みだから後で確認してちょうだいね。 そこで今夜23時13分に少女13人が集まって悪魔の召喚儀式を行うことになってる。その記録を護るのが今回の任務よ。要保護記録者(ポインター)は現在解析中。分岐点まであと34分ほどあるわ。壊変者(エングレイバー)を警戒しながら向かってちょうだい。』 「それじゃあ向かうか。」 ルルさんのその声を合図に地面を踏み込む。反発した足は元気よく跳ねて身体を月の浮かぶ空へと押し出す。月の兎と手を合わせられるような感覚さえ浮かぶこれまでに無い体験。走るというよりも跳んでいるという表現がよく似合う。 「それビックリするよねー。トレイス体は身体機能なんかも向上してるからねー。リリーさんクラスになるとこんなことも出来ちゃうんだから!」 そう言うリリーさんを見ると捻りを加えながら無駄に高く跳んでいた。前をよく見ていなかったせいか道路端に立つ標識にぶつかり地に沈む。鼻先を赤らめたリリーさんをルルさんと一緒に起こして再度駆け出す。 「箱嵜もリリーみたくはしゃいでどっか行くなよ?本物そっくりに見えても所詮は游咏魚(レコード)に閉じ込められた見せかけの記録。要保護記録者を起点としてそこから東西南北そして上空それぞれの方向へ10kmまでしか記録は存在しない。その先にあるように見えてるのは壁に映されたただの映像だ。そしてその壁の先は黒い澱みになってる。 俺らが正暦保全者(レコーダー)になる前にはあの“月”での保全戦闘(レコーディング)もあったようだが、その時は…どうだったんだろうな。俺もよく知らん。その時壊変師団(やつら)に游咏魚を取られたせいで今では確かめようもないしな。ま、そこまで行くような気力と馬鹿さを持ち合わせてるようなやつには会ったことはないがな。」 「ほんとほんと!今度そいつに会ったらリリーがやっつけちゃうんだから!」 そう言うリリーさんは月に向かってシャドーボクシングをしている。前が見えていなかったのかフェンスに引っかかり派手に転ぶ。 「…すまん。一番近くに気力と馬鹿さを兼ね備えた奴が一人いたわ。」 僕とルルさんに手を引かれながら立ち上がったリリーさんが恥ずかしそうに答える。 「えへへー。いやーちょっとだけ能力が暴走しちゃってびゅーんってね…。あ、でも!その時だけだから!さっ、こんなところで止まってないで先を急ぐよ!」 リリーさんの言葉にルルさんと顔を見合わせて再び走り出す。空を見上げると見せかけの星空が優しく僕等を見守っていた。街頭の灯りがそのまま空へと飛んでいったような美しい光。見せかけでここまで綺麗ならこの日、僕もこの場所へ来て本物を見てみたかったな。 人通りも殆ど無く、疎らに車が通る車道の横を駆けていく。保全戦闘(レコーディング)という名に似つかわしく無い、静かな夜を感じていると疑問が一つ頭へと降り注いだ。 「壊変者(エングレイバー)はもう来ているんですよね?正暦分岐点(ターニングポイント)の記録を壊すのが目的なら僕達が着く前にこの記録を壊しちゃえばいいんじゃないですか?」 ルルさんが珍しく大きく笑い、質問に答える。 「まぁそう思うよな。発想的には壊変者寄りの攻撃的な考えだがその疑問が上がるのは正しいよ。 “壊変者”とは言うものの、奴らもただ闇雲に記録を破壊しているわけじゃない。奴らが望む未来の出来事に向けて過去の記録を壊変しているんだ。だから正暦分岐点のエピソードを跡形もなく吹き飛ばすことが奴らの正解とは限らない。奴らも俺らと同じようにオペレーターと話し合いながら記録を書き換えてるんだよ。 だけど俺達正暦保全者は元々この世界に存在しないデータだから俺らがどうなろうと関係ない。だから見つけ次第襲ってくるって訳。そのままにしておいても奴らにとっては邪魔でしかないし、倒したら倒したで“時の瓦礫(クロノデブリス)”も手に入るしな。あー、これについては見た方が早いから後で説明するな。」 「………。」 「ん、どうした?聞きたいことあるなら何でも聞いていいぞ?」 僕の表情から脳内のクエスチョンマークを読み取ったルルさんが声を掛けてくる。 「なんか後手に回ってるような感じがするんですけど…。壊変者(エングレイバー)が記録を壊変する前に正暦修正者(リーダー)の方達が記録の“保護”をしてしまえば解決なのでは?」 「確かにそれは正解だ。記録保護(リコーティング)によって記録を覆った膜は防御と同時に壊変感知システムも兼ねてるから、その膜に触れた時点でその知らせが正暦修正者(リーダー)に届く仕組みになってる。まぁ、それが出来ればベストなんだろうけど色々と難しいところもあってな。 まず記録保護をするには記録の内側からじゃないと出来ない。だけど正暦修復者(リーダー)達が記録保護膜を張る以前に、その記録を構成する痕跡索(トレイサーズ)によって外部からの侵入者を防ぐ記録遮蔽膜(レコードスリーブ)と呼ばれる防御膜が張られている。 それを破って入るには多量のトレイスを消費することになるんだが、協会(うち)はトレイスが不足しているからな。それに充てるだけの物が無いんだよ。正暦修復者達は少しずつ記録保護作業を行ってはいるが正暦分岐点は無数にあるから、全部やるってのはどう考えても無理だ。 それに記録保護膜には一度破られると少しの間は開きっ放しっていう特性があってな。壊変者が破った裂け目を通れば本来消費するはずだった莫大なトレイスを消費せずに済む。まぁ、それが後手に回っている理由だな。」
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