第一章 卵サンドとブランディング

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 くすんだオレンジ色の軒先テントには、手書きのような丸っこい太文字フォントで『ひぐらし』と記されている。ひぐらしが「カナカナカナ」と鳴く蝉だと知ったのは、大人になってからだ。私にとって『ひぐらし』はずっと、祖父母が営むサンドイッチ屋さんでしかなかった。  祖父が作る卵サンドは、ほんのり甘くてとびきり美味しい。鮮やかな黄身を思い浮かべるとたまらなくお腹が空いてきて、自然と急ぎ足になる。  しかしそんな日に限って、サンドイッチが並んだガラスケースの前に、でっぷりと膨らんだ三毛猫が寝そべっているのだ。私は店に近付けずに困ってしまう。  じろり、猫が睨んでくる。私もめげずに睨み返す。すると猫は、つつっと赤い風船へ視線をやった。私はすかさず背中に風船を隠す。  これはだめ。  それでも猫は、堂々とした態度で、そこから動かない。大物感を漂わせる猫と、後戻りできない私は、しばらくの間、静かな攻防戦を繰り広げることになった。  そうしているうちに、猫に負けず劣らず貫禄のある祖母が、ガラスケース上部の窓から顔を出す。 「早帆(さほ)ちゃん、おかえり。今日は早かったね。幼稚園、お弁当なかったの?」
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