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【第一部】十四章 「推理」
僕は老婆にお礼を述べると、すぐに駆け出し、森を全力で走り抜けた。
——岬に着くとやはり不安通り、家の前にはあの城の使いの男の車が停まっていた。
マズい。既に家の中にいるのか。
僕はあがった息を整えながら、一歩ずつゆっくりと家に近付いていく。
扉の前に立ち深呼吸をする。
平常心だ。いつも通り扉を開けるんだ。
僕は扉を開ける。先ほどの城の使いの男が、椅子に腰掛け、玄関口の方を向き足を組んだ姿勢で待っていた。
しかし少女の姿はどこにもない。なぜだ……どこへ消えたんだ。
「何をしているんですか? 人の家で」僕は言った。
「確認し忘れたことがあって戻ったのですが、留守のようなので勝手に上がらせてもらいました」と男は答える。
「そうですか。確認とは何でしょうか?」
僕はそう答えたが、少女が見当たらないことがただひたすらに気掛かりで、男の言葉が頭に入って来ない。何なんだ……この男は……一体どこまで分かっていて、どうしようというのだ。
「いえ、大したことじゃないのですが、さっきね、このテーブルにコーヒーカップが二つ。しかも飲みかけのコーヒーと、ミルクコーヒーがあったのが気になりまして。どなたかが来ていたのかなと……思ったんです」
男は僕を見透かすように、血の通わない声でそう言った。僕が返答に詰まっていると男は続けた。
「それともあなた、コーヒーを飲んでる途中で飽きてしまって、それでミルクコーヒーを淹れたんですか? しかも新しいカップで。幾分変わった飲み方だとは思いますがねえ」
「よく分かりません。何が言いたいのですか?」と僕は答える。
男は、ふぅと溜息をついた。
「質問を質問で返すということは、何か答えにくい事があり焦っているのでしょうね。それと、疲れるんですよね。会話が成り立たない相手と話すのは」
「それはすみません。あなたが来る少し前まで来客がいたんです。だからカップが二つあるというだけです」
「そうですか。来客とは誰ですか?」
「なぜあなたにそこまで……」
僕が喋り終わるよりも先に、男は手慣れた素早い動きで、腰の拳銃を引き抜くと、僕の顔に銃口を向けた。
「ちょっと! 何ですか急に!」僕は思わず両手を顔の前にかざした。
「さっき言いましたよね? 成り立たない会話は嫌いだと」
「いや、だからって……」
ズドンッ! という破裂音が狭い家の中に響き、放たれた銃弾は僕の顔の少し左辺りを通り、後方の壁に穴を空けた。
「あなた、死にたいのですか? 質問に答えろと言っているだろう……まずこれに答えて下さい。死にたいのですか?」
「し……しに、死にたくありません」僕は震える声でそう答えた。高い音で耳鳴りがしている。
「そう。それで良いのです。まあどうせあなたは、後は捕まるだけですので教えてもいいでしょう」
男は眼鏡を外すと、テーブルの上に置き、目頭を右手の人差し指と親指で軽く揉みほぐした。
「消去方のようなものですよ。私は浜辺にある小舟を見つけた時点で、ある仮説を立てていました。ここに何者かが流れ着いて、あなたが何らかの理由でかくまっていると。
そして、私が来る時間帯に外をうろつくのは危ない。この辺りは外に隠れるといっても森か海岸沿いくらしかありません。
しかし森は私がここに来る途中に通るから危険だ。海岸沿いは見通しが良いし、小舟を確認しに降りる時に私に見つかるかもしれない。もっとも、あなたは小舟の存在自体を忘れていたようですが。
灯台の上の監視台の鍵は、私も合鍵を持っているから危ない。だとしたら安全に隠れられる場所は家の中だけだと思ったわけです。私は玄関先に立つだけでいつも中までは入りませんからね。
そして私が扉をノックし、あなたが開けるまでにいつも以上の間があり、開かれた扉の向こうのテーブルには、二つのコーヒーカップがあった。あなたは本当に詰めが甘い」
男はため息をついた。
「そして、こんな物の少ない狭い家の中に、人間が隠れられるとしたらベッドの下くらいのものです。
これが私の推理です。そして私の揺さぶりにも、あなたは素直に応じてくれた。焦って何処かに駆けて行く様を見て確信したのです。
さぁもう良いでしょう。全て白状して下さい。どちらにしてもあなたはもう、終わりなんですから。ハハ」
と、使いの男は幸せそうに笑った。
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