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【第一部】十六章 「逃亡」
僕は声も出せず、鼻の痛みと共にその場でへたり込んでいた。殴られた男もまた、草の上で丸まり低い唸り声を上げている。
すると、少女はフライパンを振り上げ、倒れている男にもう一撃くらわせようとした。
「おいやめろ!」と僕は彼女に怒鳴った。「もうそれは捨てるんだ」
彼女はこちらを一瞥すると、無表情にフライパンを地面に投げ捨てた。
「隠れてたのか?」
彼女はこくんと頷く。
「そうか……とにかく、ひとまず逃げよう。もうここには居られない。分かるね?」
彼女はもう一度頷いた。
そして僕は、男の手にあった拳銃を奪い取ると海に投げ捨てた。それから家の中に戻り、金を入れた袋とランタンだけ取ると、すぐに浜へと向かった。
——小舟の場所へ着くと、僕は縛られた手のまま、小舟を沖の方へ押し出し、少女と共に乗り込んだ。
舟に乗り込んですぐ、彼女は僕の手の縄をほどこうとしてくれたが、上手くいかない。手が震えているようだ。
僕はその震える手を見つめながら言う。
「驚いたよ。あんな事するなんて」
「ああするしかないと思ったから」
「うん……そうだね。ありがとう。助かったよ。僕があいつを甘く見ていたのが悪かった。本当にすまない」
そして彼女が縄を解くことに成功すると、僕はポケットから、老婆にもらった羅針盤を取り出し彼女に手渡した。
それで方角を見ていてくれと彼女にお願いし、僕は舟を漕ぎ始めた。
何度か振り返ったが、浜辺に男の姿は見えなかった。
あの男は大丈夫だったろうか。死ぬことはないだろうがやはり気がかりだった。
ふと見ると、オールを握る僕の手もまた、震えていた。
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