【第一部】二十四章「おまもりのうた」

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【第一部】二十四章「おまもりのうた」

   僕は右手で、腰につけたホルダーの留め具を外し、ナイフを抜き取ると、それを男に向かって構えた。 「そんなものを出して。人を殺したこともないくせに、お前に何が出来るというんだ」と、使いの男はあざ笑うように言った。 「残念だけど、ここには僕しかいないよ」 「嘘をつくな。お前だけがどうしてここにいる? しかもこんな時間に——」  使いの男が喋り終わる前に、僕は思い切り地面を蹴り、奴の腹に向かって突進する。使いの男は反射的に横に跳び避けた。  ナイフは使いの男の太もも辺りをかすめ、ズボンとその中の肉を、少しだけ裂いたようだった。  奴は太ももから流れる血を確認し、僕の方に静かに視線を戻した。 「今ので分かったろう。僕は本気だ」  僕はもう一度、ナイフを両手でしっかりと握り、正面に構えると、突進する体制に入る。足に力を入れようとした瞬間、奴は持っていた松明を僕の顔目掛け投げつけた。  僕は反射的に両腕で顔をガードする。視界が塞がれ、一瞬腕に凄まじい熱が伝わるが、松明は僕の腕に弾かれ背後に飛んで行った。  しかし、次の瞬間。  僕の視界に映ったのは、五メートルほど先でライフル銃を構える、奴の姿だった。  あれは。あのライフル銃はそう、灯台の監視台に置いてあった物だ。  そうか、どうして僕は気付かなかったんだろう。いつもあんなに身近に、銃が置いてあったことに………… 「私の勝ちだ。惜しかったな」  けたたましい音と共に二発の銃弾が放たれ、僕の太ももと腹に命中した。痛みは無かった。何かが自分の体を通り抜けていった。それから力の抜けるような感覚があり、僕はそのまま地面に倒れ込んだ。  音を聞いたのか、それとももう三十秒経ったのか分からないが、少女が窓から出てくる。  そして、もうろうとする意識の中で、彼女の悲鳴が聞こえ、僕のもとへ駆け寄って来るのが分かった。 「そんな……」  彼女はしゃがみ込んで、僕の撃たれた傷の具合を見ているようだったが、くるりと向きを変え、僕を背中に隠すようにして男の方を向いた。  僕は、少女の背中に向けて声を放つ。 「おい逃げろ。早く。何やってんだ」  しかし少女は、背中を向けたまま答えない。  男は、銃に新しい弾を込めながら言った。 「そのガキを逃すわけがないだろう。一体、誰の頭をぶん殴ったと思ってるんだ? いいか、お前らは二人ともここで死ぬんだ。それはもう決まっている事だ」  僕は、力を振り絞って腕を動かし、少女の背中を強く叩いた。 「逃げろってんだ! ばかやろう!」  しかし彼女は、振り返ると僕の首に抱きついた。    そして「ありがとう」と、耳元で囁いた。  それから彼女は立ち上がり、男を真っ直ぐに見つめ口を開いた。 「だから私はあの時、お前にとどめをさしておこうと思ったんだ。お前がどんな危険な人間か分かってた。お母さんをいつも殴ってたあのクズと同じ匂いがしたんだ。撃つなら撃てばいい。私にはもうどこにも行く所なんてない。  だけどお前みたいにはならない。お前はずっとそんな風に、その銃口をあらゆる人に向けながら生きて行くんだ。誰にも愛されないってことを、言い訳にしながら」  男の目は本気になっていた。もはや、子供を見る目ではなくなっている。 「言いたいことはそれだけか?」と言い、少女の顔へ銃口を向ける。  しかし彼女の目はもう涙目ではないし、怯えているようでもなかった。ただ冷たい瞳がそこにあった。いや……だけどおかしい。僕から彼女の顔が見える筈はないのに、背中越しでもそのガラス玉のような瞳を、僕は確かに見ることが出来た。 「ううん。そっか、きっと大変だったんだね。同情してあげるよ。お母さんには愛されなかったの? 私のお母さんは私を愛してくれたよ。それを知らずに大人になるのは大変なことなんだね。可哀想だから同情してあげる。辛かったんだね」と言って彼女は笑った。「これで満足?」  いつも冷静だった男の姿はもう無かった。男は怒りにまかせその勢いのまま引き金を引く。またしても、けたたましい破裂音が鳴り響いた。  それは、運命の糸が断ち切られる音なのか、それとも紡がれる音なのか……少女の体は文字通り貫かれる。  二十二口径の金属の塊が、彼女の頭部を通り抜ける際に、何億という組織を破壊する。それにより彼女は笑うことも、泣くことも、僕に語り掛けることも、たった今不可能となった。  倒れた彼女の後頭部が僕の目に映り込んだ。その小さな頭から血の池ができ、広がっていった。少女のもとに近づきたいが体が動かない。 「ちょうど弾切れか。胸くその悪いガキが」  奴がそう言ったのを覚えている。その言葉の記憶を最後に、僕はそのまま意識を失った。    すぐ隣では、僕たちの家が燃えていた。
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