【第一部】二十五章「パレード」

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【第一部】二十五章「パレード」

   真っ暗な画面の中には、線香花火のような、小さな火花がぱちぱちと散っている。  やがてその火花から色々なものが形成され、しばらくすると弾け、また新たなイメージが創られる。それが何度も繰り返されていく。  雪の降りしきる海。  少女を運ぶ小舟。  それを照らす灯台の灯り。  名も知らない白い花。  暗い瞳。  嘘を隠した、母の本。  絵を描く小さな手。  フライパンを握る頼もしい手。  笑ったときの顔。  そして、火花は少女の形で留まり、僕に語りかける。  ——「私は昔、故郷の街で一度だけ、パレードを見たことがあった。お母さんが私の七歳の誕生日の時に、連れて行ってくれたんだ。夏の涼しい夕方だった。年に一度の大きなパレードで、外の国から観に来ている人もいたから、すごく賑わってた。私は背が小さいからあまりちゃんと見えなくて、半べそをかいてた。  そしたら、前で見てた二人組の男女が私に気付いて、前で見なよって譲ってくれたんだ。お母さんはその人達にお礼を言って、私を連れて前に出た。そのおかげで私はパレードをちゃんと見ることが出来たんだ。  ——パレードが終わった後、私とお母さんは、場所を譲ってくれたその二人と一緒に、レストランへ夜ご飯を食べに行った。  二人は、ここから二十キロメートルほど南の、ある国から、観光にやって来てたそうで、今日は泊まって明日の夕方頃に帰るって言ってた。今はその国の一番北にある、灯台下の家に二人で住んでいるそうで、男の人の方が、『僕たちは今年の冬には結婚するんです』って言った。女の人も嬉しそうだったけど、私はその人から何か、影のようなものを感じた。  その後、私がトイレで手を洗っていると、その女の人が入って来た。私を見つけるなり目の前まで来てしゃがみ込むと、私の顔を見つめ言った。 『もし良かったら、まだ誰にも話していない秘密の話を、聞いてくれない?』って。  私が頷くと、その女の人はこんな事を話し始めた。 『実は私は、あの人とは結婚出来ないんだ。どうしてかって言うと、私はもうすぐあの人の心臓になるの。あの人の心臓は海に住む悪い菌にやられてしまって、もうかなり弱ってる。だから私は昨日、城の病院まで行って来たの。  そこで心臓を移植するための手続きをして来たんだ。だからつまり、私が死んだ時は他の人のために、どうぞこの心臓を使って下さいってこと』  当時七歳の私には、その話は半分くらいしか理解出来なかったけど、その女の人の目が、何ていうかあまりにも真っ暗で、先の見えない洞窟のようで、私はその引力にひかれて、目を、意識を、そらすことが出来なかった。  その女の人は話を続ける。 『彼は、お医者さんの話では、冬まではもたないから、多分あと二ヶ月もしないうちに倒れて病院に運ばれてしまう。私はその時にすぐ死ねるように、ある薬を持ち歩いてるんだ。もちろん。心臓には害を残さないものだけど。そうすれば、私の心臓を使ってもらえるでしょ?  私はもう。あの人がいない世界では、生きて行く気になれなくて。わがままだとは思うけど、嫌なんだ。どうしても。だから文字通り私は、あの人の中で生きて行くことを選ぼうと思った。それが、私にとって一番良い選択なんだ。あの人にとってはきっと違うだろうけど……あなたはまだ七歳だったかな? 意味分からないよね。ごめんね。怖い話をしちゃって』  そこまで話すと、女の人は泣き出したので、私が泣かないでと言うと、その人は私を抱きしめた。私はそのまま動かないことにした。  そしてその人が泣き止むと、私達は席へと戻った。  席に戻ると、女の人は何事もなったかのように、穏やかな表情で振る舞っていた。その二人の様子を見ていると、それはもう既に夫婦のように思えた。二人は本当によく似ていたから。    ——この話は、もう結構前の事だけど、私はあの岬であなたに助けられた時からずっと、記憶のどこかで何か引っかかってる気がしてた。それであなたが、亡くなった恋人の話をしてくれた時に、パチンッて綺麗に繋がった。やっと思い出すことが出来たんだ。  だからお母さんはあの時『そこの人達が助けてくれる』って、私に言ったんだって分かった。  暗い顔をしてた私に、いつも話しかけてくれてありがとう。疫病にかかってるかもしれないのに、受け入れてくれてありがとう。嘘をついたこと、許してくれてありがとう。絵の描き方を教えてくれて、いつも美味しい料理を作ってくれて、本当にありがとう。  色々あったけど今思えば私は、不幸なんかじゃなかったと思う。スケッチブックをくれた時は、本当は飛び上がりたい気分だった。私も、あなたの体の一部になれたら良かった。それじゃあ、ばいばい」  そしてその少女の形をしたものは、またぱちぱちと火花をちらしながら消えていった。ついに画面は真っ暗になり、深い静寂が訪れる。  そこにはもう、生命と呼べそうなものは、何も残っていなかった。
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