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【第二部】 三十一章 「真相」
——朝になり、窓から陽が差し込んでいた。
頭はかなりぼんやりとしている。あまりに疲れていたので、自分でも信じられない程深い眠りについていたようだ。
まるで二十四時間一度も目覚めることなく、ぐっすりと眠ったような感覚だった。まだ上手く焦点が合わないが、部屋の中を眺めてみる。すると、昨晩見た時とは、部屋の様子がまるで違っていた。
昨晩は確かに、僕と少女が住んでいた部屋そのものだった。僕が記憶している限りでは、間違いなくそうだった。
それに何よりも「少女と自分」の気配が消えていた。昨日眠りに就く直前まで、くっきりと感じていたそれは、跡形もなく消滅していた。
僕は一度目をこすり、感覚ではなく、そこにある物質的なものを一つずつ見ていくことにした。家具の配置は、さほど変わってはいなかったが、部屋の中心に置かれている長方形のテーブルは、僕が以前使っていた物とは違うし、部屋の角に置いている冷蔵庫も、一回り大きいサイズのものに変わっていた。ソファもベッドも、やはり全く別物に変わっていた。
僕はベッドから起き上がり、テーブルの上を見てみる。するとそこに、監視記録の束と、多分、城の使いに向け書かれた一枚の書置きがあった。そこには「連絡を差し上げた通り、一カ月分の監視記録です。お持ち帰り下さい」と書かれていた。
やはりこの灯台にも、既に新しい管理人が就いているようだ。しかし、どうやらメモから察するに、今はここを空けていて、城の使いが取りに来た時の為に、ここにこの監視記録を置いて何処かに出掛けている。という感じだろうと思う。
その時だった。
コン、コン、コン
と扉を誰かがノックする音が聞こえた。慌てて窓の方を見ると、使いの男が着る城の制服が見えた。
まずい! と思ったが。
「こんにちはー」と扉の向こうから声がした。
しかしその声は、僕の想像したあの男の声とは違った。おそらくもっと若い、二十代の男の声だ。
「い、今開けます」と言い、僕はゆっくり扉を開いた。そこに立っていたのはやはり、あの眼鏡の使いの男ではなく、初めて見る若い青年であった。
「ごめんなさい。もしかして、まだ休まれていましたか?」と、その青年は、焦った様子の僕を見て言った。
「いや。申し訳ない……」と僕は恥ずかしい気持ちと、あの使いの男でなかったことの安堵の気持ちで、少し混乱していた。
「ええと、初めてですよね? お会いするの。新しくここの担当になった者です」と、その若い青年は言った。
「あ、ああそうか。すまない。すっかり寝過ぎてしまったようで」と僕は答える。
だけど、新しい担当だって? こんなタイミングで。
「じゃあ、前の担当の眼鏡の男は、別の地区の担当になったのかい?」と僕は尋ねる。
すると、若い使いの青年は、なにやら深刻な表情になった。
「はい? いや、その事情は……既にあなたにはお伝えしていると私は聞いておりますが」とその若い使いは、何か意味深な事情を含んだ言い方をした。
「すまない。ちょっと最近色々とあって……悪いけど改めて教えてくれないか」と僕は素直に答える。
「あの男はいま、指名手配中です」と彼は言ったが、僕にはよく理解が出来なかった。
「指名手配って、どうして?」
「本当に何も聞いていないようですね。あなたは、あの男から何か異常さのようなものは感じませんでしたか?」と若い使いの青年は言う。
あの男が異常なことは、今の僕は誰よりも身に染みて分かっている。けれどこの青年が、僕たちに起こった一連の出来事を知っているとは思えなかった。
「いや、分からない」と僕は答える。
「そうですか……いえね。僕も城に勤め始めたばかりの時、あの男から研修を受けている期間もあったもので、本当に驚いたのですが」と青年は言い、鞄から二枚綴りの紙を取り出した。「あなたも城に仕える人間なので、一応、お知らせしておく必要があるのですが、結論から言いますとあのメガネの男は現在、殺人容疑で指名手配中となっています」
「殺人容疑だって⁉︎」
なぜ……? 僕や少女との間で起こった事件のことを、城側が知っているとはやはり思えなかった。
「詳しく教えてくれないか?」と僕は尋ねる。
若い使いの青年は手に持った用紙に目を落とし、あのメガネの元使いの男が、指名手配となるまでの経緯を話し始めた。
「つい先月の話ですが、夕方頃、私たちは仕事を終えて帰ろうとしていました。そこに突然、女性が一人、城の保安課に駆け込んで来ました。そして、人殺しを見たと言うのです。
彼女は主婦で、国の北西に位置する山村から来たと言いました。その場所はあのメガネの男が担当している地区でもあり、まさにその日は、そこに記録の回収に向かっている日でしたから、我々は彼に話に参加してもらおうと思い、帰りを待ちました。
そしてしばらくして、仕事を終え帰ってきた彼に、その女性の待機する部屋へ行くように指示しました。彼は『分かりました』と素直に、急な申し出にも応じました。
部屋の中には、保安課の窓口で話を受けた中年の男性と、その女性が待機していました。しかし、部屋に入って来た彼の顔を見るなり、その女性は静かに震え出し、俯いたかと思うと『すみませんが、お手洗いをお借りして良いですか?』と言いました。そして足早に部屋から出ると、課内の別の者に、『あの眼鏡の男が犯人です』と耳打ちしたのです」
僕には正直まだ、正確に理解が出来ていなかった。どういうことだ? つまり、僕たち以外にも被害者がいるということか? 青年は話を続ける。
「私たちも本当に驚きました。なんせ影の薄い人物でしたし、礼儀正しく丁寧な言葉を使う男でした。だから最初はきっと人違いだと思ったのです。眼鏡をかけた細身の男なんて結構いますから。
だけど、その保安課の中年男性が、念のため事情は伝えずに、『仕事終わりのところ申し訳ないが、事情聴取をさせてもらってもいいか? 今日、あの地区に行っていた者にはやっておくように言われてね』と言うと、メガネの男は『構わないが私も今戻ったばかりで、急に連れ回されてるんだ。先にトイレくらい行かせてはもらえないか?』と言ったんです。鞄を置いて行くことを条件とし、保安課の中年男性はそれを了承しました。
それから、トイレから帰ってくるのを待っていたのですが、彼はいつまで経ってもトイレからは戻りませんでした。それが我々が見た、彼の最後の姿でした。そしてその後、置き去られた鞄からは拳銃が発見されました。
後日、駆け込んできた女性の言った現場を捜索したところ、死体が発見されたのです。殺された人物はその山村に住む、貧しい家庭の主でした。そして、死体から出てきた銃弾が、あの男の鞄にあった拳銃に込められていたものと一致しました。その女性の証言や、彼がそのタイミングで行方をくらましたことなども含め、我々はあの男を指名手配とし、捜査に踏み切ることとなりました」
僕は激しいめまいに襲われ、椅子から床に倒れこんでしまう。
「大丈夫ですか!」と若い使いの青年は、駆け寄る。
つまりアイツは、そもそも常習的な殺人犯だったということなのか?
殺されたのは少女だけではなく、他にもいるということか。
確かに、城の制服を着ていれば、疑われることもないだろう。だから何かしらの理由をつけて、人目のつかないところに連れて行くことも容易だったんだ。
「大丈夫。ありがとう」と僕は答える。
僕はあの日、男に拳銃を突きつけられ連行されそうになった時の事を思い出す。あのまま連れて行かれていたら僕は、森の中で殺されていたのかもしれない。確かに今考えれば、僕に不審なところがあったのに、衛兵も引き連れずに単独で引き返して来たことは、おかしいことであった。
少女はあの時本当に、僕を救ってくれていたんだ。
それにあの時、僕があの子を止めず、あの場でちゃんと殺していれば……
そう思わずにはいられなかった。悔しくて仕方がない。
あの男を憎めばいいのか、自分の無能さを憎めばいいのか、あの子のように、いやせめてあの老婆の言った通り初めから、あの男の危険性を見抜くことが出来ていれば。
「だ、大丈夫ですか?」と若い使いの青年は僕に、心配そうに尋ねた。
「ああ。だ、大丈夫だよ。いつも、顔を合わせていた相手だったから、少し驚いてしまって」と、僕は何とか声が震えないよう、気をつけながら答える。
「分かります。私も初め聞いたときはショックでした」
「だけど……だけど指名手配中って、あの男の行方に関する手がかりは、何か掴めているの?」
「いや、私も保安課の人間ではないのでそこまでは。私が知っていることはあの男の生まれ故郷くらいです。先程も言いましたが、私が城に勤め始めたばかりの頃、担当する地区が近かったこともあって、あの男に研修をしてもらっていたんです。
その時に故郷のことを一度だけ聞いたのですが、意外な場所の出身だったので、何となく記憶に残っていたのです」と若い使いの青年は答える。
「そうか。ちなみにその生まれ故郷っていうのは、どこなんだい?」と僕は、興味本位の質問であるかのようなニュアンスで尋ねる。
「国の『南西にある農村』です。比較的、貧困層の国民が集まる村で、おそらくこの国に数ある集落の中でも、かなり貧しい方の地域と言えるでしょう。
あの男はどちらかというと、街出身者のような雰囲気があったので、私としては意外だったのです。洋服もわりといつも、高価そうなものを着ていましたし、だからこそ印象に残って覚えていたのです」と、青年は教えてくれた。
「そうか。確かに意外だね」
「はい。しかしどうやら収穫はなかったようです。先月、既に城の保安課から数名、捜査に向かいましたが、行方の手掛かりとなるようなものはなかったようです」と、若い使いの青年は答える。
それはそうと、何やら彼は、さっきから僕のことを少し不思議な様子で眺めているように見えた。
すると「すみません。一つ、お尋ねしてよろしいでしょうか?」と僕に言った。
「あ、うん。何?」と僕は返す。
「どうして、黒いローブを着ているのですか? まるで教会の神父のようだ」と、彼は言った。
「ああ、いや、深い理由はないんだけど、悪いデザインじゃないから、着てるだけなんだ。変かな?」と、僕は適当に答える。
「いえ、変ではないですが、珍しい格好だったもので気になっただけです……ああそれで、今日は私は、監視記録を受け取りに来たのですが」と、若い使いの青年は言う。
僕は、テーブルに置いていた、一か月分の監視記録の事を思い出す。
「はい。ではこれを」と言い、僕は書置きの紙は省いて、監視記録の束を彼に渡した。
「……あれ? しかしそういえば。本日はここに居られないから、記録だけを取ってくるようにと、言伝を受けていたのですが」と若い使いの青年は言う。
「ああ、すまない。予定が変わってね」と僕は答える。そうか。どうやら彼も、担当地区が変わって初めての訪問なので、僕が既に、ここの管理人じゃない事には気付いていないようだ。
「そうでしたか。承知しました。では、そろそろ失礼したいと思います」と言うと、彼は丁寧に頭を下げ、部屋を出て行った。
僕は「ありがとう。それじゃあまた」と言い、扉を閉めた。
扉の向こうで車のエンジンがかかる音が聞こえ、若い使いの青年は去っていった。
次回、彼が来た時には、また違う人間が管理人をしているわけだから、きっと驚くだろうな。僕は少し申し訳ない気持ちになった。
しかし、これで次に行くところが決まったわけだ。「南西の農村」か。
——僕はその時ふと、閉めた玄関の扉の辺りに何か違和感を感じた。
しかし、何によってもたらされている違和感なのか分からなかった。だけどどうしても、何かが引っかかる。何年も見続けたこの風景が、よそよそしく感じられた。
久しぶりに見たからだろうか?
しばらく考えてみたものの、答えは見つかりそうにないので、僕はあきらめてベッドへ腰かけた。そしてあの日、ここを、少女と共に飛び出した日の事を、何となく思い出していた。
あの日僕が扉を開くと、そこの食卓の椅子に、使いの男が足を組んで座っていた。玄関から入ってきた僕は、まず少女が部屋のどこにも見当たらない状況に焦る。
そして使いの男は、僕を徐々に追い詰めるように、いやらしい言い方で僕に質問を投げかけてくる。僕は彼の質問に対応しきれず、ついには拳銃を抜かれ、発砲されてしまう。
放たれた銃弾は、僕の顔の少し左辺りを通り、後方の壁に穴を開けた。
つまり、この位置から見ると、玄関の扉の右上辺りだ。僕はベッドに座ったまま目を細め、その辺りにあるはずの穴を探してみた。しかし上手く見つけることが出来ずに、再びベッドから立ち上がり、玄関の前まで歩いた。
そう。僕はこの辺りに立っていた。
そして使いの男は、部屋の中心に置いてある、そこの食卓の椅子に座ったまま、僕に対して発砲した。間違いない。
「だからこの辺りに、弾痕があるはず」と、僕はそう呟きながら、玄関の扉の周りの壁一面をくまなく探す。
しかしそれでも、あるはずの穴は見つからなかった。
そうか。僕がさっき感じた違和感というのは、これが原因だったのか。
あの日、使いの男が空けた筈の壁の穴は、どこにも残っていなかった。
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