【第二部】三十三章「南西の村。男の故郷へ」

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【第二部】三十三章「南西の村。男の故郷へ」

 僕はあの若い使いの青年から聞いた、使いの男の故郷へと来ていた。      城からの長距離バスに乗り、約七時間の移動だった。バスは山の裾を沿うようにして、南方面へと回り込む。そして平野へ出ると更に南へと下った。そこから二つの町を通り過ぎ、まだ南へと向かう。後方の町が辛うじで見えているくらいの所で、今度はバスは西へと進路を変えた。  その方面へ進むにつれ、土地は緩やかに、標高の低い方へと下がって行っているようで、じめじめとした湿地帯のような雰囲気の地域へと、少しづ変わっていった。しばらく走ると小さな林が現れ、その林を通り抜けたところに、その農村はあった。    家屋のほとんどがレンガ造りで、屋根には必ず煙突がついており、水路に沿うような形で家々が連なっていた。その途中には水車小屋もあり、水路を流れる水がその水車を回していた。  また民家ばかりではなく、洋菓子店や、コーヒーショップ、パン屋や、手作りの家具を売っている店などもあるようだった。貧困層と聞いていたが、決して廃れているわけではなく、昔ながらの雰囲気の残る、美しい村であった。    僕はかつての、使いの男が生まれ、幼少期を過ごしたという家の住所を目指して歩いた。村の入り口からは少し離れており、なだらかではあるが、坂道を上っていかなくてはならなかった。その坂道の途中には、白いガマズミの花がいくつか咲いていた。  坂道を上って行った先にも、いくつかの家々が集合している場所があり、その中の一軒に、使いの男の生まれたという家はあった。それは周りの家々と特に変わりない、レンガ造りの、古い小さな家だった。    僕がその家を見上げている時だった。 「珍しいな。こんな村に神父さんがやってくるとは」と背後から声がした。振り返るとそこに、八十代くらいに見える老爺が立っていた。「この家に何か御用でしょうか? お若い神父殿」 「いえ、僕は神父ではないのです。旅をしていまして、ただこの格好が楽なので着ているだけです」 「そうでしたか。で、何か御用で?」 「実はある行方不明の男を探しているのですが、この家が、その男の生まれた家だと聞いたもので、訪ねたのですが」 「ええ、そうでしょうね。先月だったか、城の者も兵達を何人か連れてやって来て、二日間ほど何やらごそごそと、調べて帰って行きました」  あの若い使いの青年の言ったことは、どうやら本当だったようだ。 「僕も、この家の中を見たいのですが、中に入ることは出来るのでしょうか?」と僕は老爺に尋ねる。 「ええ、まあ今は誰も住んではいませんから、構わないとは思いますが、あなたも城の方なのですか?」 「ええ一応。城の中で働いているわけではないので制服は着ていませんが、城に使えてる身ではあります」  しかしそれは正確ではない。もう昔のことだ。 「そうでしたか。では、鍵は開いている筈なので、まあ構わないでしょう」  そう言うと、老爺はその家の扉を開いた。 「まぁ先月の捜査で、もともとあった物はほとんど持って行かれたようですが」と、老爺は言った。  確かに、中はほとんど物がない状態で、綺麗に片付けられていた。扉を開けるとすぐに十畳程のダイニングキッチンだった。部屋の左側にシンクと調理台があり、中心には、家族が食卓を囲めるような大きなテーブルがあり、その周りに三つの古びた木製の椅子が設置してあった。そして、右側の壁には別の部屋へと続く扉、奥の壁には窓があり、裏庭の向こうに樫の木が見えた。僕は家を開けてくれた老爺に尋ねる。 「すみません、おじいさん。あなたはこの村にもう長いこと住んでいるのですか?」 「ああ、わしはこの村から出た事がないからの。ずっと前から住んでいるよ。それは気が遠くなるほど長いさ」 「そうですか。では、この家に住んでいた一家のことは何かご存知ですか?」 「もちろん知っているさ。ここの家では色々と奇妙な事件があったからの。この村に長く住んでいる数名が知っている話じゃ。捜査に来ていた城の者達にも、教えてやろうと思ったんじゃがの、『じいさん。あっちへ行っててくれ』と、若い兵にあしらわれてしまったよ」と言い、老爺はほっほっほと、実に老人らしく笑った。 「そうでしたか。まあ、城の兵と言っても色んな人間がおりますからね」と言い僕は笑った。「もし今お時間があれば、その事件の事や、この家に住んでた人物のことを、僕に詳しく教えてはくれませんか? 私、下の店でコーヒーと、何か菓子を買って来ますので」と、僕は老爺に提案した。 「ああええですとも。婆さんが亡くなってからはわしも毎日暇じゃからな。あんたみたいな若い者と話すだけでも、ええ脳の運動になる」と、老爺は快諾してくれた。 「本当ですか! 助かります」と言い、僕は老爺に頭を下げる。「では、少しここで待っててもらえますか? 下の店で何か買ってきます」 「そうか。それなら洋菓子店の南瓜のロールケーキが、この村では名物じゃ。せっかくこの村に来たんなら、それを買って来なされ」と老爺は言った。    ——僕は早速、さっき上がって来たガマズミの咲く坂道を下って行く。  そして洋菓子店で老爺の言った南瓜のロールケーキを注文した。その時に、カウンターにいたお姉さんが「旅の方ですか?」と、僕に尋ねた。 「旅という訳ではないのですが、少し用があって」 「そうでしたか。いえ、うちの南瓜のロールケーキ。大抵外から来た人しか買っていかないんですよ。この村の人はあまり買わないんです。名物って多分、そういうものなんですよね。私は、この店のメニューでも一番美味しいと思ってるんですけどね。だから売れ残るのが分かってても、必ず毎日一つは作るようにしているんです。好きだから」と言った。  僕は彼女のそのこだわりに、好意を持つことが出来た。 「見た目も綺麗だし、本当に美味しそうです。南瓜のロールケーキなんて、僕も初めてなので、楽しみです」と、僕は正直に感想を言った。そう。このロールケーキはお世辞抜きに美味しそうだった。 「ありがとう神父さん。この村にまた来ることがあったら、その時はまた、ここに来てくれたら嬉しい」と彼女は言った。 「また来る時があれば、必ず立ち寄らせてもらいます」と、僕はあえて、神父ではないと訂正するのは止めて、そう答えた。決して面倒だったからではなく、何となくその会話の流れというか、雰囲気を壊してしまうのに抵抗があったのだ。    僕は洋菓子店を出ると、今度はコーヒーショップに寄り、僕よりも少し年上(おそらく三十代後半くらい)の愛想の良い男性の店員から、コーヒーを二つ買った。それから再び坂道を上り、老爺の待つ家へ戻った。    ——扉を開けると老爺は、窓際に立ち、裏庭の向こうに見える、樫の木をボンヤリと眺めていた。  僕はその背中に「さあ座って下さい。コーヒーでも飲みながら話しましょう」と声をかけたが、老爺は窓の外を眺めたまま、まだぼんやりしていた。    僕はその様子をあまり気にせず、買って来たロールケーキとコーヒーをテーブルに並べ始める。そうしている内に、老爺は静かに口を開いた。 「あんたに聞かれて、いま色々と思い出しとったところじゃ。あれは本当に不思議な事件じゃった。悲しめばええのかどうかも分からん。今思い出してみても、やはりやり場のない気持ちになるの」と言うと、こちらを振り返り椅子に座った。  そして、老人特有の男女関係なく持ち合わせる、無邪気な微笑みを浮かべた。 「いやあ、この南瓜のロールケーキを食べるのは実に久しぶりじゃ。絶品なのは知っておるが、この村に住んでおると、意外と買わんもんでな」と老爺は言った。 「南瓜のロールケーキは、毎日必ず一つは作るそうですよ。よそ者の僕が言うのも変ですが、たまに買ってみるのも良いと思います。あのお店のお姉さんも喜ぶと思います」と僕は答える。 「そうじゃな。それも良いかもしれんな」と言い老爺はコーヒーをすすった。「さて、ではどこから話そうかの」
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