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【第二部】三十六章「犬と、髭を蓄えた主人(ある少年)」
深夜。故郷の村を飛び出した少年は、国道に沿い、南に向かって歩いていた。
その国道は国の北部から南部にかけて、国全土をほとんど縦断するような形で、何百キロメートルと敷かれた大きな道路であった。
少年に、どこか行く当てがあった訳ではないが、なるべく、自分の事を誰も知らない方へ行かなければ、という思いがあった。
深夜とはいえ数分に一度車は横切って行く。少年は、車のヘッドライトが届かない程度に道路から距離を空け、足場の悪い、見渡す限りの砂利道を歩いた。
それから数時間。夜が明けるまでに、少年は二十キロメートル程の道のりを歩いた。陽が昇り、辺りの様子が分かり始めたころ、運よく道路わきに建てられた休憩所と、併設された食料品店を見つけた。
少年は食料品店の正面まで歩いたが、朝早いため開店前であった。店の裏手に回り込むとそこには、犬小屋と、雨風に晒されて劣化した、三人掛けの長いソファがあった。
そのソファはおそらく勝手に廃棄されたものだろう。犬小屋の中には、肥満気味の中型犬がいた。
少年にはその犬の種類は分からなかったが、本来茶色かったであろう体毛は、砂埃をまとい白みがかっており、ぼさぼさに乱れた毛の中に、二つのつぶらな瞳と、乾いてひび割れた鼻先が見えた。犬は少年の存在に気がつき一度顔を上げたが、興味が無かったようで、またすぐに顔を伏せてしまった。
疲れ果てていた少年は、そのぼろぼろのソファに寝そべり、明け方の空を見上げた。すぐに強烈な睡魔が訪れ、気がつくと目をつむっていた。
少年が目を覚ますと、すでに太陽は真上にあった。体には薄いタオルケットがかけられており、空だった犬の皿には、残飯が入れられていた。
少年はソファから起き上がると、店の正面へと回り込んだ。店はすでに開店しているようだったので、少年は扉を開け中へと入っていく。
店内の様子は昔ながらの、国道沿いには数多く点在するような、よくある小さな食料品店であった。会計のカウンターには、五十代半ば程の髭を蓄えた中年の男性が、椅子に座り何かの雑誌を読んでいた。
彼は、入店してきた少年に気がつき顔を上げたが、裏で寝ていた少年であることを確認すると、またすぐに雑誌に目を落とした。少年はそれを見て、犬と同じ反応だなと思った。
少年は店内を歩き、肉や魚の缶詰を数種類、水を二本、クラッカーを二袋をかごに入れ、カウンターへ向かった。店主の男は読んでいた雑誌をカウンターの影に置き、立ち上がると、かごの中の商品を袋に詰め始めた。
「お前。いつからあそこで寝ていたんだ?」
「今朝です」
「そうか。まあ構わないが、あまりあんなところで寝るのは体によくないぞ。変な菌でも吸い込んだらどうする?」
「すみません。あまりに疲れていたもので、気がつくと寝入っていました」
「どこから来たかは知らないが、まだしばらく歩くのか? 夜まで待つなら俺が車で送ってやることも出来るんだぞ」
「いえ。せっかくですが結構です。ただ一つ聞きたいのですが、ここから一番近い村か町はどこでしょうか?」
「ここからだと、南に十キロほどのところに小さな農村がある。ただ、道路沿いに行くなら、回り込まなければならないからな。歩く距離で考えればそれ以上になるだろう。湿地帯を抜ければ近道になるが、まああまり安全な道ではないから、そこは通らない方がいいだろう」
「分かりました。ありがとうございます」
「本当にいいのか? 車なら三十分とかからない。別に俺は構わないんだぞ」と店主はもう一度、少年に尋ねた。
「はい。歩くのは苦じゃないんです。そのくらいの距離なら、大丈夫です」
「そうか。分かった。気を付けろよ」と言い、店主はカウンターの端に置いてあったクーラーケースからソーダを一本取り出し、商品を詰めた紙袋の中へ追加した。「これはおまけだ。どんな訳かは聞かないが、頑張れよ」と言い、少年へ紙袋を手渡した。
「ありがとうございます」と少年は言い、会計を済ませ店を出た。
少年は、店の裏へ再び回り込むと、犬小屋の前で、店で買った肉の缶詰を開けた。
犬はのそのそと小屋から出てくると、嬉しそうに口を開け舌を出した、そして、その肉が自分の皿の中に移されるのを大人しく待った。
しかし少年は、その様子を眺めながら「お前がいちいち吠えない犬で、今朝は助かったよ」と言い、その肉を自分で食べ始めた。
缶詰の中身が半分を過ぎた辺りから、犬は少年に対し吠え始めたが、少年は顔色一つ変えることなく全てを平らげた。
そして食べ終わった空の缶詰を、犬の皿の横に置き、その場を去った。
——夕方。店の主人は商品棚の整理をしながら、「あの少年は今、どの辺りを歩いているのか?」と考えていた。
あまり混むような店ではないため、こんな風に何かをぼんやりと考える時間が、ここの主人にはよくあった。
そしてその対象として、「旅する謎の少年」の存在は、あまりにも都合が良かった。
それから彼は、犬に夕飯をやろうと思い、裏口から外に出た。そして犬の皿の隣に置かれた空の缶詰を見るなり、犬に向かってこう言った。
「お前。いいものもらったな」
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