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【第一部】五章 「あなたの命はあと十日です」
次の日。僕は少女に、街に買い出しに行ってくると言って家を出ようとした。
すると彼女は「私のことを報告しないと、あなたは捕まっちゃうんじゃないの?」と言った。
だから僕は「んん、どうだろう。大丈夫だと思うよ」と小さく笑って答えた。
彼女がそれを見てどう思ったかは分からないが、僕は返答を待たず家を出た。
だけど本当は、僕は平気ではなかった。街に行くつもりなどなかったし、今買わなければならないものなど得に何もない。
僕はひとまず考えを整理する時間が欲しかったのだ。
彼女の前では強がったものの、自分が死ぬかもしれないという事実に、少なからず恐怖を感じていた。
僕は森に足を踏み入れる。森を抜けた先にはストーンサークルがあり、考え事をしたい時には時々そこを訪れることにしているので、ひとまずそこを目指すこととした。
森の中を歩きながら「死」と「違法」という2つの言葉が頭から離れず、そのイメージは最初感じたときよりも、明らかに大きくなり始めていた。
彼女は僕に、報告しないと捕まるのではないかと言った。その通りだ。
あの灯台で観測したこと、あの岬で起きた出来事など、全てを報告する義務が僕にはある。
嘘をついたり、事実を隠したりすれば僕は捕まる。職を解雇されるだけではない。捕まって城の牢に入れられてしまう。
ただ城の役人も、ここ十年何もない状況に、深い詮索をわざわざいれてくることもないだろうし、定期的に監視記録を取りに来る使いの者に少女を見られなければ、存在がバレることもないだろう。
やはり恐ろしいのは、彼女が本当に感染していないかどうかという事だ。そして、今もう既に僕に感染していないかということだ。
今ならまだ、城に報告し彼女を引き取ってもらえば、彼女が感染していたとしても僕は助かるかもしれない。
しかし彼女は不法入国で、しかも疫病を持ち込んだ可能性があると知られれば、おそらく国に強制的に送り返されることになるだろう。それはあまりにも不憫だ……
だけど、僕にどうしろと言うのだ。
僕はファンタジー世界の勇者ではないし、賢者でもない……ただの灯台の管理人だ。
モンスターとも、病魔とも、戦うことは出来ない。
さっきまで少女の前で強がっていた自分が、別人のように思えた。
——気がつくと既に森を抜け、ストーンサークルのある広場に出ていた。
あまりに考え込んでいたので、自分がどの辺りを歩いているのか全く把握していなかった。
ひとまず石の上に腰を下ろした。ここにも雪は降ったようだが、既に石の上の雪は溶けてしまったようだ。芝生にはまだ少し残っている。
僕は、今日までの何もない自分の生活が、とても特別なものだったのだと思い知った。
友人はいないし、もちろん結婚だってしていない。
だけど僕は日々の生活に満足していた。幸せだった。そう。ちゃんと幸せだった。
もし、心を病んでいる人に対して、何か特効薬のようなモノがあるのだとしたら、それは「あなたの命はあと十日です」と伝えることだろう。
そして僕は、少しの間途方に暮れる。
十分後。諦めて少女の待つ家へと引き返すことにした。
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