【第一部】六章 「目を潰した話」

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【第一部】六章 「目を潰した話」

 ストーンサークルを後にした僕は、森を抜け海岸へ向かうことにした。あの子に街に行くと言ってしまったため、今帰るとあまりに早くなってしまうからだ。  ——海岸に着くと、一人の老婆が海の方に向かい椅子に座り、膝に抱えた何かを撫でていた。  あまりこの辺りで誰かを見かけることがないので不思議に思い、僕はしばらく背後から眺めていた。  すると、老婆はなんと、振り返らないまま「あそこの灯台の人かい?」と、僕に声をかけた。  僕は驚き、一瞬体が震えた。  そんなに近くに立っていたわけじゃない。足音が聞こえる距離とも思えない。なのに、老婆は僕の存在に気付いていた。 「そうです。すみません。何も言わず背後に立ってしまって」 「聞こえずらいからもう少し近くに来てくれないかい?」 「はい。しかし僕は今体調を崩していまして、あなたの近くに行くと、迷惑をかけてしまうかもしれない」  しかし老婆は「お前は何の病にもかかっていないから大丈夫だ」と言った。  なぜ老婆がそう断言したのか分からないが、僕は袖で、口と鼻を覆いながら老婆に近付いた。  そして老婆の前に回り込み、声をかけようとしたが、老婆が膝に抱えているモノを見て一瞬、息が止まった。  それは、だった。 「驚かして悪かったね。これはあまり気にしないでおくれ」  老婆が言うには、そのしゃれこうべは若い内になくなった、ある青年だという。  生前。その青年には友人がおらず、いつも孤独だったそうだ。しかしこの老婆だけには心を開いており、何気ない身の上話をよく交わし合ったと、そう話してくれた。  また、その老婆は目をつむっていたので僕は「失礼ですが、目が見えないのですか?」と尋ねると、この青年が死んだ日に自分で目を潰したと言った。  薬を使って失明させ、その後取り出したと。だけどそれから、本当の事と、偽りの事の見分けがつくようになったという。 「だから安心しなさい。お前は病気ではないし、お前の判断は間違ってはいない。それからね……」  そして老婆は、その瞳のないまぶたを閉じたまま、ゆっくりと顔を上げ、こちらを向いた。 「いずれ、」 「——⁉︎」  僕は、驚いて尋ねずにはいられなかった。 「あなたは……あの少女について何か、知っているのですか?」   「もちろん知っているよ。ただね。『知っている』とはとても難しい言葉だね。多くの場合それは『ただ表面をなぞる』や『都合よく解釈する』といった意味として使われてしまう。  それは他人を見るときだけでなく、自分自身を見るときにも当てはまるだろう。  しかしあの少女の場合は少し違う。彼女が『どういう目的で生まれ』『どういう信念を持っているのか』私は確かに知っている。  だけど例えば、どんな食べ物が好きだとか、どんな家庭で育ったのかは知らない。私が少女について知っていることは、そういう類の事だけさ」  僕にはその具体的な意味は分からなかったが、老婆の話す言葉には妙な説得力があり、「お前の判断は間違っていない」という言葉は、確かに僕の心を軽くした。  この感覚こそ、老婆の言う「都合よく解釈する」ということかもしれないが、今の僕にとってはそれで十分だった。 「ありがとうございます」と礼を言って、僕は森に引き返そうとした。すると老婆は最後にこんなことを言った。 「帰りの道で、中心が白く花弁が水色の花が咲いているはずだから、それを摘んで帰るといい」  僕は「分かりました」と言い、再び森の中へと足を踏み入れた。
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