【第一部】七章 「母からもらった本」

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【第一部】七章 「母からもらった本」

 老婆としばらく話をしたおかげで、もう家に戻っても不自然ではない時間となっていた。  まだ陽が沈むほどの時間ではないが、傾きかけている時間だった。  帰り道、確かに老婆の言った「中心が白く花弁が水色の花」があったので、一輪摘んだ。僕は、この森にこんな花が咲いていたこと、今まで気が付かなかった。  ——灯台までたどり着く頃には、もう夕暮れ時になり、海はオレンジ色に染まっていた。  家の扉の前に立つと、今朝この中で交わした少女との会話が、自分の妄想だったのではないかという気がした。  ふと。少女がこの中にもう既にいないような気さえしたのだ。  扉を開けると、少女はやはり居なかった。だけど不思議と、逃げ出したとも思えなかった。  どこに行ったんだろうと思い、灯台を上ったが見張り台にはいない。そこから海岸を見下ろすと、昨晩彼女が乗ってきた小舟のところにいる彼女を見つけた。    僕は見張り台から降りて、彼女を迎えに行った。  浜辺に続く道を下りている途中で、彼女は僕に気付く。  手には一冊の本を持っていた。  僕から聞いたわけではないが彼女は「お母さんからもらった本で、舟に置いたままだったので取りに来ただけなんです」と説明した。  僕は「そう。陽が沈むと寒くなるから、家に戻ろう」と言った。  ——家に戻り、少しだけこれからのことを彼女と話すことにした。  まず、城の使いが来た時には、隠れてもらうこと。好きに出歩いてもいいが、ひとまず人には近付かないことなど、全て了承してくれた。  それから、もし助けが必要なら遠慮なく言ってほしい。例えば何か欲しいものがあれば僕が街で買って来るし、この家にある物は好きに使ってくれていい。自分の家と思って構わない。  だけどその分家のことを手伝って欲しい。もちろん君に出来ることでいいから。  それからしばらくして、君が感染していないことが分かれば、後は君の好きにしていい。もちろんここに居なくてもいいし、居てもいい。  僕は君の保護をしたわけじゃなく、あくまでも経緯によって、一緒に住んでいるだけだから。僕のことは対等に見てほしいと、そう伝えた。  彼女は「わかりました。それで大丈夫です」と言った。そして「ごめんなさい」と謝った。  僕は「謝ることは何もないよ」と言ったが、彼女は何やら気まずそうだったので、「良かったら明日この周りを案内するけど」と提案した。  しかし彼女は、「きっとすぐ出て行きますから、大丈夫です」と言った。  そして窓辺に生けてある花に気付き、「この花はどうしたんですか?」と僕に尋ねた。それは老婆に言われ先ほど摘んできた花だった。 「ああ、さっき森で摘んで来たんだけど」と僕は答える。 「故郷にはよく咲いている花なんです」  どうやら、彼女の母親が部屋の窓辺にいつも飾っていた花らしい。その島にしか咲かない花だと母親から聞いていたそうで、どうしてここにあるんだろう。と少女は驚いていた。  確かに僕も、あの森はよく通るが、こんな花はやはり見たことはなかった。  あの老婆は、本当に何者だったのだろうか……
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