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「どうしました?」
驚いた瀬髙が前方と助手席を交互に見ながら声をかけると、茄乃は片手で口を押さえ、歩道を歩く男性を見つめたまま はらはらと涙を流した。
見開かれた視線の先にいる男が浦霧だとわかると瀬髙は急いで車を歩道に寄せ、ハザードを点滅させた。
10メートルもない距離の先を歩く背中は間違いなく浦霧で、目に眩しいほどの白いダウンジャケットを泳がすように揺らし着、手には赤い革製のリードを握っている。
そのリードの先には長毛種の、浦霧の服と同じほど真っ白な大型犬が繋がれていた。
ハザードを点けたまま ゆるゆると車道脇に寄せて直進し、浦霧に並ぶかというところで彼は連れている犬と共にカフェへ入ってしまった。
その店は先ほど瀬髙が『ペットを同伴できる』と伝えたテラス開放型のオープンカフェだった。
「── お会いに、、、なりますか?」
「ぅ、、、っく」
配慮のない台詞だとは判っていた。
が、その時の瀬髙は もしも自分が茄乃の立場だったらと考えたのだ。
そうであればきっと一も二もなくカフェに乗り込み、交際相手につかれた嘘を正さなければ気がすまない ──
「今の男性、事情があって別れた元カレの浦霧さんですよね?
今日仕事で忙しいはずの」
気をつけてはいても相手が相手だけに
かける言葉には私的感情が入ってしまう。
「ぅ、、、ん。
でも、あれは俺の知らない浦霧さん、、、だ。
あの人が着てる服も、犬も、、、俺は
知らな、、、」
日曜日の昼下がり、悠長に犬を連れて洒落たカフェに入ってゆく背中は、どう考えても仕事とは無縁だろうと思われる。
ガラス越しに店内を窺っていると、浦霧はすぐに歩道に面したテラスへ出て来、髪を緩く巻き束ねた女性が座るテーブルに着いてから側に立つ店員にオーダーをしている。
犬が女性に尾を振って近づき、女性は慣れたように犬の顔周りを両手で一度二度撫でてから脇に座らせる。
色白で見るからにおとなしそうな美人 ──
足元のラタンには洒落たバスケット、そこからバケットやセロリらしき葉ものが顔を出していた。
恋人同士というほどの新鮮さはなく、かといって知人にも見えない独特の空気は 二人が紛れもなく夫婦であることを物語っている。
とすると茄乃の言うハプニング、つまり破局の原因はただ一択、『浦霧の身バレ』である。
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