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アユの帰郷
秋は午後三時を過ぎるとすでになんとも物寂しい雰囲気になってくる。
太陽はまだ空にあるのに暖かさは失われ、しらじらと冷たい空気が静かに足元から忍び込んできて、夏のような陽気とはもう戻ってこないことを肌で知る。
その代わり、空気の透明度は増していく。
聞こえてくる音もずっと遠くの物事を拾えているような気がする。
鳥たちは高い声で鳴き交わし、その存在を知らしめた。
そして、ふいに届いたのは山吹色の小花の香り。
甘く、ねっとりとした匂いが鼻を通って身体を満たす。
秋の香りの王者、金木犀。
どこかでひっそり咲いているのだろうか。
見上げるほどの大きな木なのか。
見下ろすほどの小さな木なのか。
想像するだけで、花に触れた心地になる。
農機具を倉庫に片付け終えたナオはふと出口の傍らに咲く白い花の前で足を止めた。
黄緑色の花托の周りを明るい黄色の雄蕊がぐるりと囲み、その外側を白くぽっこりとしたがく片可憐に彩る。天に向かって細くすんなりと伸びた茎の造形が優美で、数ある中で好ましく思う花の一つだ。
名前は確か…。
「相変わらず、秋明菊がお気に入りなんだね、ナオ」
振り向くと、門のそばに人が立っていた。
彼女は、身体の前にあるものを固定している。
「アユ…」
「はい、ただいまナオ」
すたすたと歩み寄り隣に立つと、ひょいと前に身体を傾けて見せた。
「ほら、新しい甥っ子だよ」
「まじか…」
「うん、マジマジ」
澄んだ空気の中を、アユのけらけらとした笑いが広がり、秋の花々を撫でていった。
「まったくもう、産みっぱなしもいい加減にしておくれ」
祖母の威勢の良いしゃがれ声ががつんと畳に落ちる。
「ほらよ、ここに寝かせな」
アユを見るなり眉間にしわを寄せ、奥に引っ込んだ彼女は赤ん坊用の布団を抱えて戻ってきた。
「まったく、嫌な予感がしたんだよね。しばらく顔を見せなくなったから」
「あ、ばれてたんだ」
口をぱかん大きく開けて笑い、アユは肩紐を解いた。取り外す手伝いをした尚は小さな赤ん坊を注意深く受け取り寝かせる。
まつげがとんでもなく長い。
胡坐をかいて眺めながらまずそう思った。
「いつだい」
「うーん、先月のはじめ?」
「なんでこういう時だけ黙ってるかね、お前は」
「だって、𠮟られると思ったから?」
「もう、叱りゃしないよ。四人目ともなればね!」
四人目。
そう。
アユの産んだ子供はこれで四人だ。
「あはっ。そうだったんだ!」
大きな目をくりくりとさせながら姉は畳を叩いて笑う。しかし、傍らで眠る赤ん坊はもみじのような手を開いてぐっすり眠ったままだ。
「…毎度思うが、今回も大物だね」
立ったまま覗き込んだ祖母がぽつりと言う。
「うん、今度も大成功だよ。すっごくかわいいでしょう」
「まだそんなのわかりゃしないよ。それより…」
言葉を続けようとしたが、玄関の方が急に騒がしくなった。
「ただいま、ナオちゃん、おばあちゃーん」
紺色の制服姿の姪が凄まじい足音で走ってきて、尚の背中に飛びつき、よじ登る。
後ろでは、車で迎えに行っていた母が久々に会う娘と赤ん坊を見て目を丸くしていた。
「アユ・・・」
「ただいま、おかーさん」
ひらひらと手を振るアユに困惑の色を隠せない。
「あ、あかちゃんだ」
あっという間に肩車の状態になったかと思うと、尚の頭の上からひょこっと覗き込みぽつんとつぶやいた。
「弟だよ、アン。ヒュウマっていうの」
「おとうとー。おとうとだー」
今度は尚の肩から飛び降りて床をごろごろ転がり、腹ばいになって赤ん坊へにじり寄る。
「てぇちいさい、りっちゃんよりもさっちゃんよりもちいさい!」
通っている保育園の預かり幼児の名前を挙げて大興奮だ。
「ひゅうま、おねーちゃんだよー。アンちゃんだよー」
大はしゃぎの娘の背中をぽんぽんと軽くたたきながら、アユは笑う。
「喜んでくれてありがとね、アン」
「うん、アユちゃんありがとう」
杏は母親のことを「アユちゃん」と呼ぶ。
年に何度かふらりと顔を出す程度の人を母とは認識できないでいるからだ。
アユと尚の両親は「おとーさん、おかーさん」。
曾祖母は「おばーちゃん」。
それで十分だ。
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