カフカは作家に変身することを夢みて。

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「ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変わってしまっているのに気づいた。」 書き出しは、こんな感じでいいかなぁ。 別に、マックスしか読まないし。 それにしても、マックスはどうしてこんな僕の書く噺が好きなのだろうか。奇特な友人だ。 でも、今回の噺は僕にしては良い出来な気がする。 朝、目ざめたら毒虫に変わっていた、なんて斬新な始まり方じゃないかな。 ふふっと笑みが漏れる。 あ、変な人って思われてないかな。 あの人とかさっきから僕を見ている気がするし。 『やあ、フランツ』 やっとマックスがきた。 『マックス』 僕はカフェの端っこの目立たない席で原稿を読んでいたが、マックスのほうに顔を向けた。 『ごめん、遅くなって』 マックスは申し訳なさそうに謝る。 『気にしないで』 『それで、今読んでるのってもしかして』 マックスは僕の手元にある原稿を気にする。 『そうだよ。僕が書いた小噺』 そういうと、マックスは目を輝かせた。 『読ませてもらって良いかい』 僕は原稿をマックスに手渡す。 マックスは真剣な表情で読んでるかと思えば、笑いをこらえている。 だんだん読んでいてこらえきれなくなってきたのか、マックスはついに爆笑してしまった。 『悪い悪い、つい、面白くて』 マックスは、爆笑しながら苦しそうにいった。 『いいよ。僕も笑ってほしかったから』 これは、本心だから嘘ではない。 この小噺は、変身は、ゲラゲラ笑ってほしくて書いたのだから。 マックスは一通り読み終わったみたいで落ち着きを取り戻すために珈琲を飲んでいる。 珈琲を啜ってマックスは一口『それにしても、フランツは才能があるね』という。 彼は、いつもそう褒める。 まったく、本当に数奇者だなぁって思いながら聞き流しているけれど。 『そんなこと、ないよ』 これも、本心だから嘘ではない。 『いやいや。君は作家になれる』 付け加えて『本当にもったいないよ』という。 『僕は、今のままで充分だから』 これは、半分嘘が混じっている。 『嘘だね。君、本当は作家に挑戦したいのだろう』 さすが、マックス。鋭い。 『う、うん。本音をいえば、ちょっと、やってみたい、かな』 もじもじしながら、つい、本音を打ち明けてしまった。 『よし!僕の知り合いに出版社に務めている人がいるから彼にこの噺を読んでもらおう』 マックスは、なんだか、興奮している。 『やっぱり、今のままが良いかも』 怖くなって思わず、そういってしまった。 『なんだよ、もったいないよ本当に』 マックスは残念そうにしているけど、これでいいんだ。 臆病な僕には、作家なんてなれっこないから。 それに、やっぱり今のままで充分なのだから。 マックスにこうやって読んでもらうのが、僕の唯一の憩いであり、楽しみだから。 それが義務になってしまうのは、楽しくなくなってしまうのは、やっぱり、怖い、かな。 僕なんかには、光の当たる舞台よりも暗い穴蔵のほうがお似合いだから。 僕は、虫のような存在、いや、虫のほうが僕なんかよりも立派だ。 今日も安定志向の後ろ向き思考が止まることなく、ぐるぐる廻り続ける。 朝、目がさめたら、明日もきっと僕は冴えない男なのだから夢をみたって仕様がないのだから。 そんなことを考えながら眠った。 おやすみなさい、今日も冴えない僕。 明日は、昨日よりもましな僕に変身できていますように。 そう思いながら眠っていたら、マックスが僕をみて『臆病者』と蔑んでいた。 そのときのマックスの冷たい目を、僕は目がさめても忘れられなかった。 僕は、急いでマックスの家に向かった。 『どうしたんだ』 マックスは驚きながらも家に入れてくれた。 『マックス。昨日は、ごめん』 僕は、悪びれるように謝った。 『いいよ、気にしないでくれよ』 マックスは優しい笑顔だった。 『マックス、僕、やっぱり、作家に、なりたい、な』 声がうわずりながら僕は心中を告白した。 マックスは目を見開いている。 『作家になったら今まで君に読んでもらってたのに、いろんな人に読まれて、批判されたりするのが、怖いんだ。今まで、狭い穴蔵の中で生きてきたようなものだから、さ』 僕は、本音を打ち明けた。 マックスは黙って聞いてくれていたが、口を開いた。 『僕は、君が選ぶ道を応援するよ』 マックス。 ありがとう、ありがとう。 僕は、君がいてくれるから小さな僕でも勇気を出せるんだよ。 僕は気づいたら、泣いていた。 マックスは黙って隣にいてくれた。 窓からみえる空はラピスラズリのように深い青に染まっていた。 そして、しんしんと雪がふってきた。 青は、聖母マリア様の色だともいうけれど、こうしてみると、マリア様に包まれているような心持ちになれて雪が降っていても、どこか温かい気がしてしまう。 『まるで、君を祝福してくれているみたいだね』 マックスは微笑みながら淹れたばかりの珈琲を僕に差し出す。 珈琲は、とても温かった。 僕は、作家に変身できるか分からない。 分からないけれど、一縷の光に僕は焦がれるように小噺を、書き続けるんだ。 そう、紙の中へ僕の言葉を、投げ掛けて。
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