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10代のときには、苦しさといつも向き合っていた気がする。
学校に通うことが苦しいことはしょっちゅうで、授業中によく意識を外に飛ばして妄想していた。
いま同じ時間を過ごす人が世の中に何億人もいて、別々のことを考えて行動していることに思いを馳せるのだ。
こうして苦しいときには逃避した。
目標に向かって努力するとき、苦しみと向き合わなくてはならない。
苦しみが強ければ強いほど、リターンが大きくなる気がするから、どんどんエスカレートしがちだ。
筋力トレーニングを例に挙げると、トレーニングには苦しみがつきものである。
筋繊維に無理をさせて傷つけているからだ。
気合を込めると、いかにも「頑張ってる感」がでるが、それは、いけないことは長年やってわかった。
苦しみと正面から向き合って、きちんとコントロールできるようになると長続きする。
トレーニングジムで、でかい負荷をかけて、
「フンッ! 」
とやると、すぐにオーバーワークになる。
最悪の場合数ヶ月から1年くらいトレーニングできなくなる。
何度このように失敗したかわからない。
苦しみと向き合っていないと、気合で消そうとする。
これが失敗の原因である。
苦しさには理由があって、苦しい部位の状況を正確に把握できていれば失敗しないはずである。
小説に行き詰まって苦しいときにも同じように考えられると思う。
次の展開を、考えられるだけ考えてみる。
そしてその中から結末まで含めて選んでいけばよい。
漠然と「うんうん」唸って考えていては、結論に穴ができる。
一通り考えてから、沈思黙考に入れば結論を信用できるようになる。
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