プロローグ

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プロローグ

 ずる、ずる、と。大きな荷物を引きずる音が辺りに響いている。しかし周囲は木や雑草が生い茂り、人の気配はまったくないためそれを誰かに聞かれることも、運んでいる荷物を見られることもない。道があれば何か運びやすい車輪のあるものに乗せるのだが生憎獣道でしかないここを運ぶには引きずるしかなかった。担げばもっと楽なのかもしれないが、まあこんなものは引きずるので十分かとずっと引きずっている。見た目は細身なのだが疲れた様子もなく汗一つかいていない。  引きずり続けとうとう目的地までやってきた。一気に開けた場所に出たそこは崖の上だ。鬱蒼と生い茂る木々と何も生えていない場所の境界線の辺りに小さな社があり、何かを祀っている事をうかがわせる。  それを忌々しそうに見つめ、思い切り蹴りつけた。何偉そうに鎮座している、何の力もないくせに。  運んできたものを見下ろす。強く殴りすぎたのか、それはピクリとも動かないが生きている。本当はここまで自力で来てもらい気絶させるつもりだったが来る途中で口論となり帰ろうとしたため、仕方なく殴って気絶させた。  崖の際ぎりぎりに転がして軽く蹴飛ばした。うめき声を上げて意識を取り戻したそれは、はっとして周囲を見渡し自分の状況を理解して顔を引きつらせる。崖の下は海だが、今日は風も強く少々荒れている。海岸と違ってつかまれるような場所などなく、落ちたらまず助からない。  今まさに殺されようとしている気分はどうか、と尋ねれば目を見開いて小さく首を振った。パニックになっているらしく、いつもの強気な態度ではない。先ほどは悪かった、言いすぎた、とテンプレートのような言葉を脅えながらまくしたてる。  それはそうだろう、己の目の前にいる人物は手に蔓切り鉈を持っているのだ。一歩でも動けば切りかかられる事をうかがわせる冷たい表情は慈悲の欠片も感じられない。刃物で殺されるか、崖から落とされるのか、いずれにしても自分にできるのは相手の機嫌を損なわない事だけだった。  一歩、また一歩と近づいて来る。やめて、やめ、やめてください、お願いします。涙ながらに訴えても相手はピクリとも表情を変えない。すっかり腰が抜けてしまって、立ち上がることも出来ないので相手をかわして逃げる自信も刃物を取り上げる自信もなかった。  その時相手は初めてニコリと笑った。とても綺麗な、清清しい笑顔だ。その場違いな笑顔に心臓が止まりそうになる。  じゃあ、行ってらっしゃい。  まるで出かける人を見送るようにそう言うと、顔面に思い切り蹴りを入れる。バランスを崩し、そのまま悲鳴を上げながら崖から真っ逆さまになって落ちた。崖の岩にあたることもなく、一直線に海に落ちる。  一度だけ顔が出て必死に助けを求めていたが、ガクンと不自然に下に沈んだ。自分の身におきた事が理解できずに恐怖し、パニックとなって暴れますます溺れていく。  そして次の瞬間には勢いよく沈んでいった。まるで、海の中から誰かに引っ張られたかのように。それっきり浮かんで来る事もなく、辺りは波の音だけが響く。何事もなかったかのようにその場を後にした。  ああ、今日は本当に良い日だな、と呟いて。
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