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されど恋
【side大河】
もうすぐ、卒業か。
容赦なく吹き荒ぶ木枯らしに身を震わせながら歩く並木道。通いなれた道は、もうすぐ歩けなくなる。たとえ歩いたとしても、俺の景色ではなくなる。
卒業というコトバ自体に深い感慨なんぞ湧かないが、こういう些細な日常の齟齬が、ふと俺達のなにかを刺激するんだろう。
日常の齟齬。場所であったり、人であったり。
もう、自分の世界に存在しなくなるなにか達を肌で感じる。
「今日は冷えるね…」
「そうだな」
【コレ】も、その一つだ。人間というには、俺はコレを認めていない。かといって、無視できないほどにはそばにあった、俺の世界の景色。
憎しみで人が殺せるなら、もう何度も何度も俺によって惨殺されてただろう、恋人。かっこわらい。
「あ、手袋忘れた」
「致命的だな。…手、貸してみろ」
言いながら、傍らのコレの手を俺の右手で包む。
分かりやすくコレの肩が跳ねる。絡めた指先から震えと緊張が伝わってくるけど、俺は気づかないふり。吐く息の白さで、曇る視界がありがたい。
過去に、俺の酷い拒絶を幾度となく経験したコレは、俺に触れなくなった。いや、触れるのを怖がるようになった。
何度も何度も諦めずに俺に触れようとするたびに全力で払いのけ、それでも触れようと伸ばす様は醜悪そのもの。
なにがつぶらな瞳だ。すがるような眼差しは嫌悪の視線で返してきた。
触るな。汚い。
実際コレは醜く汚いものだった。コレの一番の親友であり、俺の最愛の恋人であった少年を傷つけ貶め、俺との仲を引き裂いた。その理由が俺を手に入れたかったっていうクダラナイもので。
思い出すだけで吐き気がする。
…するの、だが。
「大河…?」
不思議そうに、不安気に俺を覗き見る顔は、もう2年も近くにあって、さすがにあの事件を思い出す回数も減ってくる。さらに悪いことに、ほんの、ほんの僅かだが、どうやら情というやつが湧いてきているみたいだ。
それが俺には許せない。許せない、が、絡めた手に力を込めてしまう。それを無かったことのように、俺は言葉を重ねた。
「うるさい。もう終わりだから良いだろう」
あぁ、とほっとしたような溜め息がすぐ近くで聞こえる。頼りない吐息は、視界の隅で細く白く消えていく。
餞別だとでも思われたのだろう。
2年の間、一度として唇も体も重ねず、手を繋ぐのも最初で最後の今だから。
「あの、」
「無駄に喋るな。俺は会話を許可していない」
「…うん」
そ、と僅かにコレと繋いだ指先に力が込められるのを感じる。そういえば、コレと俺が接触したのは、いつ以来だろう。記憶にはあるが、もう体が覚えていない。記憶と体の齟齬。俺と、コレとの齟齬。
「俺は、お前を許さない」
「うん」
「一生だ」
「うん」
「…絶対に」
「うん」
噛み締めるように宣言しながら、俺は手を繋げたまま半歩前を歩く。
幼く、まるで可憐な美少女だった少年は、美しく儚い青年に成長した。その成長を、俺は一番近くで、憎悪を込めて見てきた。その目に宿る恋慕の炎は、いまだ俺を見据えている。しかし、その視線が俺を捉えることは、もうない。
誰もが魅力されるような美しい青年に成長しながら、俺の視界に入ることに怯えるコレ。自分の存在に絶望しながら、それでも全てを捨てて手に入れた場所にしがみつく俗物。
もう、被害者である俺や、過去に愛しあったあの少年ですら忘れたような傷に引き摺られ、もがく姿。
正直に言おう。それは、たまらなく愛しい。
だから、俺は半歩先を歩くのだ。
コレに、もう間もなく別離し永遠に交わることのない俺の姿を、その目に焼き付けさせてやるために。
end
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