06_古株と古傷は捨て癒え得ぬ

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06_古株と古傷は捨て癒え得ぬ

 ドアに付いた小さなベルが鳴った。先に足音を聴いているが必ず相手を目で見て確かめてから挨拶をする。昔は派手に無謀に飛び回ったこともあるけれど、今では小さな記述屋となった私の所にやってくるのは馴染みのお得意様か近所の可愛い子どもたちか、 「失礼する」  お国のお堅い輩か、記述士連盟の奴らか。上等な薄手の黒コートの男が二人一組でご来店。襟で口元を隠すようにしていたら完璧だった。振り返ってベルを睨んでドアを閉めた方が部下かな。印刷道具や特有の匂いが詰まった空間の数箇所を走り見ながらつかつかと近付いてくる。一応黒い被り物は取った。 「“リーザ”・ガーネットだな?」  間違いない、私をその名前で呼ぶような奴らだ。 「いかにも。どちら様かな」  座ったまま平静を装って聞く。 「立場的には貴女と同じ記述士から雇われた者だ」  どうだか。自己紹介も記述士の括りも気に入らない。 「そうかい。それで何の用だい」 「“潮だまり”に貴女の手は伸びているか?」  隠語で喋るな、……全く。 「いいや、知っての通り私はもう面倒な情報屋からは身を引いた。記述士としてもこの町の記事にだけ触れていれば十分だ。今回は行きつけのパン屋に向かうついでにチラっと見に行こうかと思ってるくらいだよ」  長髪の男もまだ未熟さの残る後ろの男も座っている私を値踏みするようにじっくり言葉を聞き取って、それから少し眉を寄せた。 「本当さ。なんなら感想文でも売りつけようか? 言い値にさせてもらうけどね」 「分かった。……ブラステラギアに繋がる全ての路線は複数の目が睨んでいると思え。潮だまりができる前からな」 「ご忠告どうも。パンを食べに行くおばさんは何の厄介事も持ち合わせはしないよ」 「……失礼した」  まさに厄介事に足を突っ込んでいそうな二人はそれだけ言って出て行った。少し痛そうにドアが閉まる。  と、奥で物音が一つ。 「ヨミズ、聞いてたね?」 「……はい」 「大丈夫、アンタたちに危険は及ばない。ちょっと内緒話だ、おいで」  この子はこの子で見に行きたいだろうから何とかしてやらないとな。でもあの子もあの子で……。一肌脱ぐか。 * * * *  超高温の金属が赤い液体となって流れ動く。さながら人間の血液のように、否、あらゆる形状へと生まれ行く夢の原液のように。流線多先端の金型に溜まりそれは次の階層へと進んでいく。温度と圧力、そして規模と持続。この大陸地盤から溢れ出る金属はまさに天恵であり天啓、超自然的に与えられた繁栄機会であるとしか思えなかった。不純物を取り除き高純度の金属を得るために強力強大な溶鉱炉がいくつも造られたが、その最たるものはメルトメタリカにある超大型溶鉱炉だ。良質な隣接鉱床にも恵まれたメルトメタリカはその溶鉱炉を筆頭に蒸気機関を研究製造する中心地として整備されており、国から指定を受けた技師を何人も抱える複数の大工房が昼夜問わず黒煙を空高く上げている。 「……ふん」  熱した細い金属の先端を小さな鎚で叩いた。狭い工房に音が染み込んで消える。  力を生まぬ飾り細工など地図までも書き換わるこの時代にあって何の役に立つ。  夢を踏みつける名声、欲を抱き上げる繁栄。メルトメタリカは蒸気纏う金属たちの一つの象徴と言えよう。彼の鉱石さえを存分に使役するだけの金属を技術師たちは得たのだ。ただ一つ残る謎、蒸気の根源を話さぬ神秘の鉱石までも、 ――手中に収めたつもりか?  工具を握った右手が止まる。皺だらけの左手のひらをその上に出して、裏返して、甲にできた古傷を確かめる。問うたのは彼だ。確かに彼は天才だった。然し尚も進み続けた。未だ進み続けている。  布切れを巻いているのに汗を拭おうとして手が額に触れた。少しに前に組み上げた金属細工――小さな架空の飛行船に目をやって、職人としてのちっぽけな充足感で己を満たそうとする。しかし、時折突沸したように生じるその過去を今は抑え込まないべきなのか。 「ガンナイの奴、何を今更」  旧友ガンナイ・レッドバレルから先日手紙が届いた。それ自体が驚きだが、手紙の中で“かの発明王”の名前が踊ったのだ。  分厚い金属板を乗せた作業机に工具を置いて、背もたれもない粗末な椅子に崩れるように尻を乗せた。  俺はもう蒸気機械から離れた。今は小さな工房でしがない金属細工の作り手だ。ガンナイは武器造りしか頭に無い奴だったが、根は正義漢、道を誤ってはいないはず。今、一体どこで何をやっているのだろうか。 「大博覧会……か」  ガンナイの手紙でもう一つ目に留まったのはその言葉だ。近いうちに首都ブラステラギアで数年に一度の大博覧会が開催される。機能でも性能でも効率でもなく創意創造や迫力優美やともすれば奇想天外。国が求める技術とはまた違った趣の結晶作品や傑作ガラクタたちが凄腕の技師とともに集まるあの場は、あらゆる技術屋にとって憧れの舞台だ。ただ……昔は何も気にする必要などなかったが、今は黒い思惑さえ集まらなければと……考えざるを得ない。  湯を沸かす小さな火が、鉄製の細脚の下でパチパチと小さな音を立てた。 「……ん?」  そう言えば、俺たちはよく“炙り出し”をやっていた。柑橘系の果物の汁で紙に字を書いて、一度それは透明になるのだが、紙を火で炙れば元の文字が浮かび上がるように再び現れる。子供騙しの暗号の真似事だ。 「まさかな」 『――親愛なるコバルトロ、元気にやっているだろうか」  ガンナイの手紙をもう一度最初からしっかり読んだ。それから小さな火の上で微睡んでいた鉄製の細い四本脚にその場所を譲ってもらう。全て意味の通る文章だ。だが奴にしては“少々お堅すぎる”文章だ。先に手汗を幾分か吸ったその古紙は、思った通り秘密の言葉を映し始めた。
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