後編 魔術師、計算を誤る

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後編 魔術師、計算を誤る

「師匠、行ってきます」 「ああ、さっさと行って稼いできなクソガキ」 素直じゃないなあ、と苦笑しながらドアを閉める。 あんなことを言いながら、アミールが出かける時には必ず強化の魔術をかけてくるのだ。 そして帰ってくると、必ず解析ではなく探索の魔術をかけてアミールの体に変調がないか、怪我をしていないかを確認するのだから口調と裏腹に過保護なことこの上ない。 そんな師匠である老魔術師サーラの声に送られて、今日も朝からアミールは元気に坂を下る。 サーラは夕焼けのジュニエ湾が好きだと言うが、アミールは彼らの住む丘から登る朝日でハルームの屋根が輝く、こんな朝の時間帯が好きだ。 朝一番に見るこの光景が、自分がサーラのために働ける象徴であるような気がするから。 アミールの名をもらってから十年、テクラの街に降りて働くのはもっぱら十八歳になった彼の仕事で、もう六十を超えたサーラは坂の上り下りは面倒だと言って家のことをやっている。 本人が自嘲するほどには衰えておらず、薪割りなどでは年の功なのか未だにアミールは敵わないくらいの手際を見せるのに、だ。 まあ、アミールにしてみても何が起きるかわからない街で仕事をするよりも、丘の家で家事や畑を弄って暮らしてもらう方が安心なのでありがたいのだけれども。 「おはよう、アミール」 「やあナダ。今日も良い天気だね」 坂を下り市街に差し掛かるあたりで籠を持った少女と挨拶を交わす。 籠の中を覗くと、パンや干し肉、ドライフルーツが入っていた。 「そうか、今日配達お願いしてたんだっけ」 「そうよ。アミールが待っててくれると思ってたのに」 まだ十五歳の少女はそばかすの残る童顔に栗色の巻き毛をゆるくまとめ、ぷくっと頬を膨らませる。 そういうところがまだ十五歳だな、とアミールは思うのだが以前それを指摘したらナダの怒りと師匠の不興を買ってしまったので口にはしない。 「ごめんね、今日は代官様の仕事が急に入っちゃったんだよ」 「忘れてただけでしょ」 「あー……いやほんとスミマセン」 「代官様の仕事って、例の戦争に関すること?」 「いや?中庭の噴水が壊れたから交換用の大理石運ぶ仕事。戦争って例のあれかい、カリスタ同盟の」 「うん。海の向こうだから、食糧だけが飛ぶように売れて大儲けだって父さんが」 「森林組合で聞いたなあ。南部のアグナ王国が拡張してたのを、同盟が反撃に出てだいぶ押し込めたんだって?」 戦争が始まったのは、それこそアミールがサーラに拾われる前のことだ。 西から運ばれたアミールは元々ここテクラと海峡を挟んだ対岸にあるサイードに売られる予定だったのは、攻性魔術を使えることから傭兵としてだったのではないかとサーラが言っていたことを思い出す。 ちょうど同盟の反撃が行われようとしていた頃だから、タイミング的には頷ける。 もしそうなっていたら大陸中央のどことも知れない場所で命を落としていたのだろう、そう思えば海賊もたまには良い仕事をすると考えなくもない。 いやもちろん海賊行為は褒められることではないが、人生何がどう転ぶかわからないなあ、というのが正直な感想だ。 サーラに拾われてサーラの為に働けるのだから、彼にとってはそのきっかけを作ってくれた海賊は探し出してお礼をしたいくらいだった。 「アミール、どこにも行かないよね?」 海賊へのお礼を考えていたアミールを、ナダの不安げな声が現実に引き戻す。 「え、いや何で?」 唐突にかけられた言葉に意味がわからず視線を下ろすと、大きな茶色い瞳が揺れていた。 アミールの青い目に見つめられたナダは、抱えていた籠を両手で支えながらそっと視線を下げると、 「だって……ウサムもピールも街から出て行っちゃったし」 ああ、と頷く。 二人ともナダの幼馴染だ。 テクラに住み始めた頃のアミールとも仲良くしてくれた気の良い少年たちだったが、穏やかだけれども刺激の少ないこの街は彼らにとって狭すぎたらしい。 三年前、十五歳で成人したのをきっかけに「一旗揚げる」と傭兵として出て行ってしまった。遠い場所のことで経験がないとは言え戦争だ、彼らの身を案じているのだろう。 「でも、去年手紙が届いたろ。大公国に移って侵透部隊に入れたって。大きい国だから大丈夫だよ」 「そうだけど……アミールまでどこかに行っちゃったら私……」 不安そうなナダに、アミールは快活に笑った。 「大丈夫、僕はどこにも行かないよ」 その言葉に何かを期待したのか、ナダが顔をあげて期待に満ちた眼差しを向けるが、 「師匠とずっと一緒にいるからね」 「……あ、そう」 「え、あれ、ナダ?」 「今月分のお代、ちゃんと月末に集金するからね!」 「あ、うんもちろん支払うけど……ナダ?」 「知らない!」 そのまま振り返らずにずんずんと坂道を登っているナダを見上げながら、何だったろうかとしばらく呆然としていたアミールだが、中央広場から聞こえてきた鐘の音に仕事へ行く途中であることを思い出し、はっとして駆け出して行った。 「ナダ、お前さんも遠回し過ぎやしないかね」 呆れたようにサーラが言うと、ナダは手伝いで芋を剥いていた手を止める。 「だって……」 「あのバカは直球で言わないと理解しやしないよ。そんな所はクソガキのままだからね」 「だ、だけどそろそろ気づいてくれてもいいと思うの!こんな辺鄙で面倒な場所まで、わざわざ可憐な美少女が健気にも足を運んでるんだよ?」 「辺鄙なところで悪かったね」 「何とも思ってなければお父さんかお兄ちゃんに運ばせますって!何で気づかないのよアミールのあんぽんたん!」 「テクラのもんにしては気性が荒いね、あんたも」 「むっきー!」 荒ぶるナダに合わせてナイフも荒ぶる。 何に使えば良いのかわからない程度に小さくなった芋を見て、サーラは小さくため息をついた。 「貰ってくれるならさっさと貰っておくれ。このままだと私が死ぬまで居つくからね」 「貰っ!……いやあ、そのう……」 「そこで照れるのかい。面倒臭いねあんたも」 えへへ、と頭を掻くナダの手に持つナイフがきらりと光る。 純粋に危ない。 「でも、サーラさんはいいの?アミールが出てっても」 照れたことでアミールへの怒りは収まったらしい。 我に返ったナダが尋ねると、サーラは何を当たり前のことをと言わんばかりの顔を向けた。 「元々一人静かに余生を送るつもりだったんだ、あの子がいるのは想定外なんだよ。だいたい、私一人で何でも出来るってのに、色々と世話焼いてくるわで面倒ったらないよ。まあアレだ、捨てるつもりだったのにたまたま餌をあげちまった犬に懐かれたようなもんだね。そういう意味じゃあペットみたいなもんだからまあ?それは?愛玩動物に対する愛着くらいは持ってないとは言わないさ、ただペットの寿命なら私より早いだろうけどあれも人間だからね、その点が不安っちゃ不安と言えなくもないじゃないか、ほれ最近も街で飼い犬を捨てたことで野良犬が増えて困るって話も多いだろう、飼い主の責任って言うのかい、まああれは人間だから犬以上に拾ったもんの責任は大きいだろう」 渋面ので早口で言うサーラを見ながら、その割には子供の頃からアミールのために色々揃えてあげてたじゃん、ていうか結局愛着持ってるじゃん、とは賢いナダは口にはしなかった。 見渡しただけでも部屋の装飾はサーラ好みの臙脂ではなくアミールの好きな青で揃えられているし、さっき確認した次の配達内容も、全てアミールの好物だ。 あの弟子にしてこの師匠ありだよね、と思う。 さっさと独立しろ、と言う割にサーラがアミールとの暮らしに満足しているのは明らかだ。 そう考えている間にも、あのクソガキはまったくだの、面倒だの愚痴は続いているが、次の言葉で口を挟まずにはいられなかった。 「あんたならアミールも文句ないだろうよ。よく話してるしね」 「え?!ちょ、サーラさん、詳しく!」 「は?な、ナダ、ちょっと落ち着きな!」 肩を掴んで揺さぶってくるナダに、サーラがぐわんぐわんしながら慌てるがナダは止まらない。 「わ、私のこと何て言ってた?ねえサーラさん早く、詳しく!」 「だから落ち着……落ち着きなこのお転婆娘がっ!」 「うぎゃ!」 何とかナダの額に指を当てると、次の瞬間にはバチンと音がしてナダが悲鳴をあげる。 くらくらする視界に眉をしかめながら、 「まったくこのバカ娘が……」 「イタタ……うう、サーラさんの雷魔術、久しぶりに喰らったけどこんなに痛かったっけ……?」 「ああ?まあ、魔術の研鑽はクソガキだけの専売特許じゃないからね。私だってまだまだ伸びるさ」 「あうう。でも懐かしいな、昔はよくアミールやウサムたちといたずらする度にやられてたし」 「こんなもんを楽しむんじゃないよ変態娘」 「た、楽しんでるわけじゃ……あ、でもアミールにお仕置きされるなら悪くないかも?」 だめだこの変態、何とかしないと。 とサーラは思うがそれはアミールの仕事だろう、と思考を放り投げる。 「で、毎日毎日あのクソガキは飽きもせずにその日の報告するんだよ。まあ、あれは見た目だけはいいからね、よく女に声かけられただの誘われただの言ってるよ」 話さないとこの変態娘もいつまでも帰らないだろう、とさっさと話を進めることにする。 「え」 一体何を想像していたのか、だらしなくにやけていたナダが一瞬にして真顔になる。 確かに思い返せば、街で見かける度女の子と一緒にいることが多いような気がする。 その度に声を掛けて邪魔するようにしているが、そうか、最近やけにアミールと会話する機会が多いなと喜んでいたのだが、よく考えたら原因はそれだ。 「だいたいが事務的に話してくるけどね、あんたのことだけは楽しげだよ」 「え?ほんと?ほんとに?」 「まあね。何だかんだ十年一緒に暮らしてるからね、あの子が何を思って話しているのかくらいわかるさね」 クソガキ本人は気づいてないかも知れないが、と付け加える。 「無意識のうちにあんたのことだけ楽しそうに話すんだから、そりゃ特別には思っているだろうよ。あれでも私が鍛えた魔術師だ、精神制御はできて当然だから、それでも無意識にあんたの話を嬉しそうにするってことは相当なもんだろうよ」 「え、え……それって、え……」 割とあからさまに好意を表しているのに、はっきりしてくると動揺してしまう。そこら辺がまだまだガキだねぇ、と自らは一切男絡みの話がなかったくせにサーラは自分を棚上げした。 こういった話は本来自分が出張るようなことではないだろうが、ナダがアミールを好きなのは明白だし、その逆も同じだ。 温度に多少の違いはあるだろうけれども、彼らが出会った十年前から変わっていない。 いい加減面倒くさ……じれったいし、十八歳にもなって未だ師匠離れする雰囲気をかけらも見せないアミールの将来について、サーラも危機感を覚え始めている。 西方魔術は禁じているが、本流のザイド魔術だけでも彼は十分に優秀だし街でも重宝されている。 本人が他に住みたいところがあるなら別だが、テクラで生涯を過ごすなら食い扶持に関しては何ら不安はない。 奴隷であった彼にとって西方だけでなくほぼ同じ文化風習である大陸のカリスタ同盟諸国も、帰りたいような場所ではないだろう。 シャッハール王国含め東方諸国の雰囲気は彼にも水が合っていたようで、テクラを出て行く感じではないがそれならそれでも良い。 が、少なくとも丘の家を出て独り立ちくらいはして欲しいものだ。 ナダの家のように長男が家を継ぐことが決定している場合を除き、王国では次男以下は家を出て自らの足で立って初めて一人前と認識される。 街を挙げて成人の儀式を行うのも独り立ちを街ぐるみで応援するという意思の表明であり、十五の成人儀を過ぎて尚親の脛をかじっているのは未成熟で見込みのない男だという烙印を押されてしまう。 この街では商家も工場も漁業組合も、成人儀の前である十二歳前後で下働きとしての受け入れを行うし、そこから十五歳までは猶予期間と考えられているから他の仕事に移ることについて職場の理解は得られる。 アミールは八歳で拾われてすぐ、サーラの手ほどきを受けて手伝いを始めたからナダの兄と同様、家を継ぐ意思ありと見なされているから同居していてもおかしくはないのだが、店を構えている訳ではないので扱い的には勤め人だ。 となると、大半は二十歳前後で結婚して家を出ることが多い。 あと二年あるとは言え、どうにもアミールを見ているとこのままサーラと過ごすことを選択しそうで不安なのだ。 「あんたが小娘だった頃から……いや、今でも小娘だね。ずっと見てきてるからうちのクソガキをくれてやっても良いとは思ってるよ」 適応力が高いのか、すぐに一人で街に降りるようになったアミールが丘のすぐ麓に住むまだ五歳のナダや、掃除夫の息子で夢見がちなウサム、行商人の三男で腕白なピールなどと遊ぶようになった頃から、彼女は先に幼馴染として一緒だった二人よりもアミールの手にしがみ付くようにしてちょこまかついて回っていた。 その頃からずっとナダはアミールが好きなのだろう。 恋愛ごとに縁のないサーラでもすぐにわかったが、所詮はガキのこと、そのうちそれぞれの人生で別の縁を繋ぐのだろうと思っていたらナダとアミールの縁は一向に切れることなく続いている。 残念ながらウサムとピールは成人儀を終えてすぐに傭兵として海峡を越えたが、それでもたまに手紙のやり取りくらいはしているらしい。 彼らが傭兵になると聞いた時、西方魔術としても規格外の威力と効率を発揮するアミールもついていくのではないかと一瞬思ったが、どうやら彼は西方の攻性魔術にはもう完全に興味を失っているようだ。 ザイド魔術を磨きに磨いて、今では小舟一艘どころか貯水池ひとつくらいは魔術水で満たすし、修理点検に陸揚げする時にはボートどころか商船まるごと一人で運ぶ。 テクラの街では必須の人材となっており、彼自身もそんなテクラに愛着を感じているようで外界への興味をかけらも示さない。 実際は、サーラの教えてくれた魔術だから、サーラの住む街だから、という理由でしかないのだが、これはサーラの与り知らぬところでありだからこそ、のほほんと居ついているアミールにサーラがやきもきするしかないという事態になっているのだが。 ともあれ、 「さっさとクソガキをものにしちまいな。で、二人でどこぞに家でも借りて暮らしゃいいんだよ」 「も、ものにするって……」 「なんだい、普段はクソうるさいお転婆のくせに嫌におぼこいね。あれだ、押し倒してハメちまいな」 「ぎゃーー!!」 真っ赤になってぶんぶんと両手を振り回す。 「だから危ないって言ってんだよ!ナイフを振り回すなアホ娘!」 「うぼぉっ!」 手元にあった人参に熱を付与してナダの空いた口に放り投げる。 狙い違わず突き刺さった人参に目を白黒させたナダが、次の瞬間にはさっきとは別の意味で真っ赤になって、 「あつ、あっつ!酷いよサーラさん!」 「煩い。それがあんたの昼飯だ、遠慮なく食っていきな」 「えー。せめて焼いてよ」 「贅沢言うんじゃないよ。飯があるだけ有難いと思いな」 いつもの冗句として言っただけなのだが、意外にもナダはその言葉を聞いて神妙な顔つきをした。 「そっか……アミールって食べるにも困る生活だったんだよね」 出会ってしばらくした頃、幼心にもアミールを慕っている自分に気づいた時に彼のことをもっと知りたいと願ったナダは、彼に請うて聞いている。 大人には言ってはいけないと前置きされて教えてもらったのは、彼がアミルカルという名だったこと、西方にあるディアギスという家で奴隷と同レベルの仕事をしていたこと、西方魔術を使えることで恐らく魔術傭兵として売るために奴隷として糞尿に塗れて船旅をしていたこと、その船が海賊船に襲撃されて命からがらここテクラへ泳ぎ着いたこと、サーラに拾われてアミールとなったこと。 奴隷商船で運ばれていたことを話した際に、「だから僕には汚物が染み込んでばっちいかもよ」と笑う彼に、抱きついてすんすんと匂いを嗅ぎ「アムはきれいだよ、ナダ、アムの匂い大好き」と言ったナダに、きっと彼も冗談で塗り潰すくらいには心の傷になっていたのだろう、ありがとうと言って抱き返してくれた。 彼に抱きしめられたのは後にも先にもそれ一回きりというのが切ないところだが、ナダにとっては大事な思い出だ。 そしてそれはきっとアミールにとっても同じで、だから彼もナダとの話は怒られたり拗ねられたりしたことであっても、やっぱり楽しい話としてサーラに話すのだ。 「まあその程度のことは魔術師なんてやってれば多かれ少なかれあるさ。クソガキはちと幼すぎる時に経験しちまったがね」 「そんなものなの?」 「……あんたもアミールから聞いたろ。西方魔術ってのは攻性魔術だ、戦闘以外には役立たない。逆に言やあ、戦場こそが奴らの晴れ舞台だから殺したり殺されたりがあいつらの生き方なのさ。そんな世界に生きてりゃ辛いこともあろうよ」 「じゃあ、小さい頃にそこから抜けられたアミールはむしろ幸運だったのかな」 「どうだかね。死ぬ寸前くらいまでは虐待されてたから、それが幸運だったのかはどうかは本人にしかわからないよ。あの子は西方魔術でも突出してたから、あのまま西で成長して戦場に出たとしても、死ぬことはなかったような気がするね」 人参の皮剥きを終えたサーラは、まな板に置いたそれを魔術で切断してみせる。 ザイド魔術であってもこの程度の作用は問題なく出来るが、テクラの街の仕事で必要とされたことはなかったからアミール以外の人前で使うのは初めてだった。 「サーラさん、そんなことも出来るんだ」 「魔術はイシュに作用することを学ぶ学問だからね。可能かどうかと言われれば可能さ。西方魔術は作用ではなく超常の魔の力を使うから、効果は桁違いだよ」 目を見開いて見つめるナダに、そう言えばアミール以外のガキどもに魔術理論を教えたことはなかった、と思い出す。 彼らがこの家で遊ぶ時に昼食を作ってやったこともあるが、ザイド魔術でアグラから俯瞰してイシュに作用するのはナダにも言った通りこの程度でしかない、つまり道具を自らの手でもって用いた方がよほど早いし便利なのだ。 「力を引き出す大元が異なるから、効果も異なる。ディアギスの魔術師は遠くから人を細切れにすることすらできると聞いたことがあるよ」 え、と若干引いた目つきで人参から目を話す。 人参の切り口を見てそこに横たわる人間を想像してしまい、ナダは眉をひそめた。 「……一度だけ、あの子の魔術を確認したことがある」 硬い表情のサーラに、ナダはどんな程度のことが起きたのかを予測できてしまって、怯えたように肩を竦めた。 それでも視線は離さずサーラに続きを促したのは、アミールのことなら何でも知っておきたいという彼女なりの意思の現れだった。 「帰りに見てみるといいよ。裏手の森、獣道を真っ直ぐ進んだ先に小川があるだろう」 「うん。よく水遊びした場所だね」 「そこから東に百歩くらいかね、木も岩も粉々になってるよ。しかもあの馬鹿、再生阻害までしたもんだから未だに死の空間になってる」 さらりと言うサーラに、ナダは背筋が寒くなった。 死の空間、とは。 「あの子のオリジナルだろうね。調べた限りじゃ西方魔術にもそんなものはなかった。よほど世界が憎かったのか、それとも自分に絶望していたのか知らないがね」 使わないとは言え、使える「可能性がある」だけでも嫌な話だろう。 それはわかった上でちょうど良いとサーラは思った。 勝算もあった。 何せ十年も思っているのだ、ずっと二人を見てきたサーラにもこの賭けの勝率くらいはわかっている。 「そっか……ありがとうサーラさん」 「ふん、何のお礼なんだか」 「うへへ……私と一緒にいればアミールが絶望することはないって自信できたから」 正確に言えばサーラやナダといれば、なのだろうがそれはアミール本人でない限りわからない。 だがきっと、今日のことがアミールとナダ、そしてサーラの静かな老後のために必要な時間であったことは間違いないだろう。 やれやれようやく馬鹿弟子も独り立ちしてくれるかね、と柄にもなくナダの存在にありがたみを感じたサーラは、次の人参を手に取った。 「師匠、大事な話があるんですけど」 アミールが畏まって話を切り出したのは、ナダと話した翌月のことだった。 不意に顔を赤らめたり、ぼんやりすることが多くなった弟子を見て、自分が賭けに勝ったことを確信した師匠だったが、三日前に珍しく遅く帰ってきたアミールにいつものように探索の魔術をかけたところで違和感を覚えた。 明確にはわからなかったが、ようやく馬鹿弟子も男になったか、と心中でにやにやしながら老後のプラン再構築を胸算用していたところにこれだ。 間違いない、ナダと一緒になるという話だろう。 テクラの割と良い不動産には目をつけてある。 それを最後の親心として買ってやるためのお金も確認した。 ベッドも装飾よりは毎晩の激しい動きに耐えられる頑丈さを重視したものを、街の大工を呼んで発注済み。 何もかも万全だ。 さあ、いつでも来るが良い。 まあ少し寂しい気もするが、世間一般の親が経験するものを結婚もしていない自分がこうして経験できるのも有難いことだろう。 魔術師らしい計算高さを発揮したサーラは、躍り上がりたい気持ちを抑えながらアミールと向き合った。 「……なんでこうなった」 丘の上の家は、増築工事の真っ最中だ。 目をつけていた不動産は無駄になったが、予約していたベッドは無駄にならなかった。 「……いや、本当にどうしてこうなったんだい」 何を間違えたのだろうか。 ナダを焚きつけたのが不味かった? いや、そんなことはない、あれは必要で正しい措置だったのだ、アミールにとっても自分にとっても。 そう、間違えたのは、 「これで師匠とずっと一緒に暮らせますね」 穏やかに笑う馬鹿弟子だ。 いや、クソガキだ。 「ナダ」 「なに、サーラさん」 「ちょっとこっち来な」 「え?」 「いいから来い」 「え、え」 とんてんかんてんと槌音が鳴り響き、満面の笑みを浮かべて指示するアミールから離れ、台所でナダを問い詰める。 「ナダ、何がどうしてこうなったのか、言いな」 きょとんとしたナダは、いつもの口調ではあるものの青筋を浮かべているサーラの真意を悟り、ああ、と手を打った。 静かに怒る魔術師を前に平静でいる辺り、この娘も大物である。 「アミールもね、私のこと好きだって言ってくれて。でも結婚となると自分よりサーラさんを優先してくれる人でないと無理だから手を出すのは躊躇ってたんだって」 「……は?」 何言ってんだこのボンクラは、と言いたくなる気持ちを抑えられたのは、辛うじて残った理性が、ナダより圧倒的に悪いのはクソガキアミールの方だと教えてくれていたから。 「だから、アミールと結婚するのはサーラさんを優先できる人だけってこと。で、私は小さい頃からここに来てるしサーラさんもよく知ってるし。いいよ、って」 「あ?」 ちょっと待て。 軽い、軽すぎる。 「ナダ、あんたそんなことで結婚決めて良いのかい」 「アミールがどれだけサーラさんに感謝してるのかわかってるもの」 しまった。 アミールのことをナダに話したのは失敗だった。 ナダがアミールを完全に理解してしまったことが裏目に出た。 つまり。 「……私の負けってことかい」 「え?どうしたのサーラさん」 きょとんとするナダに、なぜだかアミールが重なって見える。 そうか。 根っこの部分で同じ輩か、こいつら。 幼い頃から、ウサムやピールと比べてナダがこの家にいることにまるで違和感を覚えなかったことに理解が追いついた。 「ナダー、師匠ー、ちょっと確認して欲しいんだけど」 外でアミールの呼ぶ声がする。 「はーい、ちょっと待ってー」 大声で返答すると、ナダはサーラの手を取った。 「行こう、サーラさん」 よたよたと手を引かれながら外に出ると、図面を見ながら悩んでいたアミールが振り返る。 いつもはサーラ、ナダ、と順番に見る彼が、ナダを先に視界に入れたことに気づいたサーラは、とりあえずそれで満足しておくかと思った。 まったく、手の掛かる子供たちだ。 苦笑まじりにため息をつく。 「うちのクソガキどもは師匠離れしてくれないね」 やれやれ、と肩を竦めた魔術師は手を上げて呼ぶ二人の下に、しっかりとした足取りで向かって行った。
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