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透明人間志望の彼女
美しく聡明な彼女を、誰も放っておかなかった。だから、彼女は透明になりたかった。どこにいても人の耳目が集中することに、彼女はいつまで経っても慣れることができなかった。彼女はひとりで静かにしていたかったのに。
だから、彼女はクラスで唯一、彼女に話しかけたことがない、ぼくに頼み事をした。
「透明になれる薬が欲しいの」
透明薬を作ること自体は簡単だ。高校の教科書にもコラムが載っているほどの分かり易い構造の薬なので、理科の成績が学年トップのぼくなら、材料さえ揃えば学校の理科室でも作れてしまう。ただ問題なのは、ぼくは彼女にそれを飲んで欲しくないということだった。
放課後の理科室で、ぼくと彼女は毎日遅くまで実験を重ねた。いいところまでいくたびに、ぼくが絶妙な失敗をして、透明薬の完成まではこぎつけなかった。実験は何度も繰り返され、そのうち、ぎこちなかったぼくたちの間に、親密な笑いが満ちるようになった。ぼく以外の誰にも見せない、彼女の素朴な表情が嬉しかった。
けれどあるとき、ぼくは本当にミスを犯した。多分、彼女と話すのが楽しすぎたのだと思う。故意のミスを忘れ、とうとう透明薬を完成させてしまったのだ。
「これで透明になれるのね」
彼女は震える手で、試験官の中の液体を眺めた。ぼくは暗澹たる気持ちで頷き、彼女を見守る。試験官を口につけ、彼女はそのまま……
飲まなかった。飲まずに、それを排水口に流してしまった。なんだか気が変わっちゃった、と彼女は言った。
「私、もう透明にならなくていいわ。だって透明になったら、君と話せなくなっちゃうんだもの」
novelmber 「透き通る」
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