木造平屋の一戸建て

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木造平屋の一戸建て

  しゅりり、たとん。  さっき別の部屋の襖が開いて、閉まった。  少ししてから、自分も同じような音をさせて作業していた部屋を出る。  かつては万葉のじいさんが住んでいて、今は万葉が住んでいるこの木造平屋の家は、某国民的アニメの家族が住んでいる家とよく似た間取りをしている。  あの家で子供部屋として使われている玄関から一番近い部屋が、万葉の仕事部屋その一、作業用の部屋。  元は畳敷きだったのを一面板張りの床にリノベーションして、電源を増やして大きな作業台を入れてある。  そこで特技を生かして特殊な工具を駆使して、作業をする。  万葉は手先が器用だけど、口はうまくない。  なので、「できれば弁護士や検察」なんていう親の希望に従って進学したものの、『ディベートの実習で心が折れた』そうだ。  心折れて挫折を味わった後、いろいろと考えて、自分の先行きを迷った末に歯科技工士の学校へ通って資格を取った。  作業部屋で万葉がしているのは、その技術を使ったもの。  しかしまあ、実際作っている物は歯ではなくてフィギュア? 模型? 俺にはよくわからないけど、恐竜やら魚やら骨やらそんなもので、趣味と実益を追っているらしい。  俺がこの家に来るのは万葉の仕事を手伝うためという名目で、主には仕事部屋その二、資料用の部屋にこもっている。  仕事部屋その二は、あの番組の中では娘夫婦が間借りしている部屋。  そこは畳敷きのままで、制作物の資料やら実務に必要な資料やらが詰め込まれていて、事務作業と資料整理が俺のする事。  実家のパン屋兼カフェの方がオレの本業で、万葉の手伝いは空き時間での手伝いなんだけどな。  ちゃんと想いを伝えあった恋人としては、できる限り一緒にいたいだとか、力を貸せる部分は手を貸したいだとか、思うじゃないか。  なので俺の空き時間を万葉のために使うのは、俺としては当たり前のこと。  万葉は休憩のとき、茶の間に行けばいいのに、わざわざ縁側の窓を開けてそこにいる。  小春日和の昼下がり、縁側でぬくぬくとひなたぼっこしている背中を見ると、いい歳してジジイかよ、なんて思う。  寒そうに洋服の上から綿入半纏を着てマフラーを巻いて、なのに窓を開け放った縁側で、ぽやーっと表を眺めている。  ここから見えるのは背中だけ。  いつものように声をかけたら、俺の方を向いてふわりとかすかな笑顔を浮かべるのだろう。  さらさらの黒髪にきめの細かい肌。  俺とそう変わらない身長だけど、少し華奢な体格。  学生時代には微笑むだけで女子が寄ってきて、入れ食い状態だったキラキラしい笑顔は、今はほぼ見られない。  眼鏡ここにあり! と主張しまくっている黒縁眼鏡が隠してしまっている。  こんな男じゃなかった。  多分。  甘くて穏やかで人当たりのいい男ではあったと思うけど、こんなにある意味人任せな……自己主張の少ない男だったか? そんな風に思う時がある。 『眼鏡の君が好き』  そう言ったのは、確かに俺だ。  だって俺がそうでも言わなきゃ、こいつ、眼鏡をかけなかった。  万葉の片目は、避けられたはずの仕事中の怪我が原因で、極端に視力が低い。  作業中は仕方なさそうに眼鏡をかけていたけど、普段の生活では不便があっても眼鏡をかけなかった。  頑なに眼鏡なしで生活している状態は、周囲で見ている方も危険を感じるほどだったのに、ホントに頑固なまでにかけなかったのだ。  だから、言った。 『眼鏡の君が好き』だと。  けれど、知っている。  万葉が眼鏡を避けていた原因も、俺。 『しゅう、さん? ……じゃ、ないか。え? 万葉?』  万葉と俺は別々の大学に通っていて、年単位で会わなかった時期がある。  大学卒業間近、偶然駅前で会った時に、たまたま眼鏡をかけていたこいつの顔を見て、初恋の人の面影をみつけてしまった。  そこで俺は失敗したんだ。  初めてではない……んだろうと思う。  多分、何回目かの、致命的な失敗。  初恋の人の名前で呼びかけた俺に、万葉はその時、笑って答えた。 『おー、えーきじゃん。久しぶり。元気だった?』  その頃はまだ、眼鏡なしでもギリギリいろんなことができるくらいの視力は、あったんだろう。  久しぶりに会ってからしばらくの間は、普通に友達づきあいが復活してたまに会うようになった。  けど、眼鏡が必要なほどの視力だなんてことには、気が付かなかった。  授業中だけ仕事中だけに眼鏡をかけているやつだって大勢いたし、コンタクトレンズなんて便利な物もあるし、万葉もそういう風に臨機応変にしているんだと思っていたんだ。  本当は眼鏡が必要なのに、コンタクトは体質的にあわなくて、ギリギリのところで裸眼で過ごしているなんて、知らなかった。 『えーきが好きなのはしゅうちゃんだって知ってるけど、俺はえーきが好きだ』  大したことないような素振りで、けど、ホントはめちゃくちゃ緊張して握りしめた拳が白くなってた。  できるだけさらりと、そう心掛けているような万葉がめちゃめちゃ愛おしくなって、そこから先は俺から言おうって誘導した。 『初恋だっていうのは否定しないけど、過去の話だぞ?』 『今は?』 『目の前にいる、お前が好き』 『俺?』 『そう。だから、俺と付き合って』  目の前にいるお前が好き。  ちゃんとそう言ったのに。  初恋の人を思い出させるのはイヤだと、万葉はかたくなに眼鏡をかけなかった。  あの日、あの時。  いつものように裸眼のまま作業をしていて、ほんの少し手元を狂わせた。  そして起きるべくして起こった事故。  万葉の片目は、極端に視力が低くなってしまった。  なんだよって思う。  そんなやつだったか?  何でそんなに俺の一言一言に振り回されてるんだよ。  今では好きだと言われても、鵜呑みにできない重石が、胸の奥にある。  なあ、何でお前、そんななの?
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