二 画廊

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二 画廊

「それ、一目惚れでしょ」  初めて無流に会った日、姪の愛子にそう言われたのを、何度も思い返す。  北原諭介(きたはらゆうすけ)は、両性愛者だ。  彫りが深く、長く濃い睫毛に縁取られた目元。白磁のような肌に、鮮やかな唇。右目は、緩やかな曲線を描く黒髪で隠されている。右目を隠すようになったのは復員してからだが、二十代までは、今よりもっと中性的な印象だった。  人目を引く容姿のせいで、幼い頃から、他人からの執着や干渉は絶えなかった。男女を問わず好意を寄せられるのは自然だったから、自分も性別にはこだわらない人間だと知れた。交際が続く相手もいたが、必ず外部から妨害が入った。振り回されるうち疲弊して、恋愛に求める幸福の割合は減ってしまった。  戦争に行き、雷で右目と右耳を負傷した。生活や仕事においてさほど不自由はなかったが、更に特異な容姿を得てしまった。  それなりにあった結婚や家庭を持つことへの興味は薄れた。女性とは距離を置くようになり、同年代の男性は既婚者の割合が増えていく。どういう相手が自分とうまく続くのかわからないまま、恋慕や情熱より、信頼関係を重視するようになった。  飯田無流(いいだぶりゅう)が北原の画廊に寄ったのは、彼自身の推理とはいえ、偶然だった。訪ねてすぐは僅かに険しかった顔つきが、話すうちに和らいでいった。無流の外見、声、話し方や所作のひとつひとつが、いちいち好みで困った。一見、下町育ちの気さくな兄貴肌に見えて、所作には雑なところがない。口調はくだけていても、礼儀正しさがうかがえた。  無流(ぶりゅう)が差し出した名刺には、手書きで「ぶりゅう」と仮名が振ってあった。意外にも繊細な流れで書かれた万年筆の文字。いい名前だと思って、名刺を指でなぞり、取引先ではなく、個人の連絡先をしまう引き出しにしまった。  しかし、同性同士である上、画廊の店主と刑事の接点は、窃盗の警戒でもない限りあまり望めない。せっかくの出会いも無駄になると踏んでいたら、無流はすぐに帰らず、美術品に興味を示した。  北原画廊では古美術も扱うが、やや作風に偏りがある。耽美的、幻想的、神秘的、怪奇趣味――そういった不思議な雰囲気の作品を、国内外から集めてある。甥の高梨英介、自身が講師を務める芦原美術専門学校の学生や卒業生、地域の新人芸術家の育成にも力を入れている。画壇で評価されるかどうかは別として、そういった作風を好む顧客を得られるよう手助けをしている。流行と関係なく根強い趣味嗜好ではあるため、安定した需要はある。方向性は近いので混同されがちだが、北原の好みで、エロ・グロ・ナンセンスの要素は少ないものを置いてある。  無流の義弟は、北原が講義を持っている美術学校の学生――北原の甥、高梨英介の愛弟子である坂上啓の親友、和美。無流は実家も婿入り先も、禅寺だと言う。少なくとも仏教美術の話はできる。話ぶりから、顧客にはならずとも、友人になれる可能性は上がった。  思わぬ接点に内心で少しはしゃいだところで、以前から近所で別の事件を調べている、馴染みの女性記者が訪ねてきた。  彼女――『あかつき日報』の椎名八重(しいなやえ)と無流は、かなり親しげに見えた。無流は兄のように心配している様子で、それ以外の雑念は無さそうだ。  共通の知り合いがいるなら関係を続けられるかもしれない。また気軽に寄ってほしいと、「次は抹茶でも用意する」と声をかけ、見送った。 「仲がいいね」  そう探りを入れると、八重(やえ)は複雑な表情で無流の出て行った方を睨んだ。 「あたしの実家の近くの交番に居た時は色々、助けてもらった。けど、危ないことはするなってうるさいんだ……で、なんでこんな洒落たとこにいたの?泥棒?」 「連続傷害事件の聞き込みだとか」 「ああ、そういや担当に回されたって言ってたか。義弟(おとうと)も被害者の年齢に近いから心配だって。家――と言うか、お寺は武蔵野(むさしの)の奥だけど、学校は事件現場から遠くないしね。あの人、事件が起こる前に止めるのが信条だから。名刺もらった?事件と関係なくても変な奴いたら多分、すぐ調べに来てくれるよ。署に電話しても捕まらないけど、伝言しとけば直接来るから」  八重は無流を嫌ってはいない。むしろ信用しているし、慕っているようだ。ただ、自分の行動範囲にいられたのが気まずかったのだ。 「ああ……どういう人なのか大体わかった。いい刑事さんなんだね」  世話焼きの善人だ。それに、有能なのだろう。防犯に力を入れれば逆に、手柄は上げにくいはずだが、刑事になったのなら評価はされている。美術品を眺めていたのは、観察していたのだ。今回の小さな疑念が無駄足でも、彼にとって未知のものや画廊の情報が、次にいつ役に立つかわからない。そういう意識で生きている人だ。たとえ、それが無意識だとしても。 「お坊さんになるつもりだったけど、戦争で色々、思うところがあったみたい。奥さんも病気で亡くなって――お巡りさんの自転車に、謎の道具箱あるじゃない?あそこにお線香と数珠(じゅず)が入っててさ――暇な時は人んちの仏壇に手を合わせてくれた。地声は結構ガサガサしてるのに、どういうわけかお経はいい声で上手いんだ」  八重は遠い目でそう笑って、長居せず、すぐに帰った。  名刺を出して眺めていたら、店番をしに来た姪の愛子に、即座に問い詰められた。 「それ、一目惚れでしょ。あたしも協力するから、逃がしちゃ駄目。聞けば聞くほど、諭介(ゆうすけ)の好みど真ん中だもの」  愛子は学校帰りと用事のない休日に、画廊に店番に来ている。美術への興味関心は強いので、端から教えてみたら、向いているとわかった。頭がいいから何でもできるだろうとは思ったが、本人も希望したため、きちんと教えてみることになった。  友人の少ない北原にとって、貴重な話し相手だ。愛子も自身が面倒な色恋沙汰に巻き込まれるのは嫌いなようだが、他人の噂話や、橋渡しを手伝うのは好きらしい。それでも、いつもは難癖を付けて厳しく見ることの方が多かったから、よっぽど北原の様子がいつもと違ったのだろう。八重が信用しているというのも大きかった。  北原が恋だと自覚した翌々日。犯人ではないかと疑ったことが気になっていたのか、無流は律義に電話で都合を聞いてから、再度、大福を持って訪ねてきた。  薄茶を出したところで、愛子が来た。愛子の援護もあり、今度は知りたいことをほとんど全部、直接聞けた。  寺同士の繋がりで飯田家に婿入りしたが、愛妻に先立たれ、独身であること。ひと回り下の義弟、和美が二十歳になるまでは飯田家に残る約束をしたが、それが今年であること。北原と同様に、女性と再婚したり子どもを望む気はないということ。 警察に入る前に僧籍も得ていたが、寺を継ぐ必要はなく、警察官を続ける気でいること。 「自宅が遠くて、大きな事件の時は帰れないか、あまりよく眠れなくて――いずれあの寺を出るなら、家を借りるか下宿先を探さないと」  そう聞いた瞬間、愛子があっという間に捜査協力と称して、無流を泊める算段を整えた。  無流が北原を好ましく思っていることは、片付けに立った隙に愛子が聞き出していた。あの時ほど、ませた姪を心強く思ったことはない。  事件の犯人は、北原の過去にも少なからず関係していた。それをまだ無流に言っていない。事件と直接の関係は無いし、自分から言い出すには気が重い内容だ。愛子が来るのを待つ独りの時間につい、そのことを考えてしまう。  ――言うべきだろうか  奴が口外していないとすれば、その事実を知るのは、奴と北原だけだ。  ――時効だ  だが、もし初めて人に話すとすれば、その相手は無流に他ならないだろう。  話す必要は無い。ただ、秘密にすることで陰った部分が少し、晴れるだけだ。その事実自体の暗さは微塵も明るくなりはしない。  不意に鳴り始めた電話に、北原は思考を切り替え、帳場へ向かった。
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