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今どこにいんの。
少し苛立った彼の声は電話越しのせいか知らない人みたいに思えた。
湿った海風が頬にまとわりついて流れていく。
波の音がざぁざぁと彼の声と混じる。
空は晴れているのに何故か重苦しい。
この島の景色がいつも曇って見えるのは分厚いレンズを挟んでいるせいなのかと、していた眼鏡を外しても酷くぼやけるだけだった。
彼とは滅多に電話なんかしない。
約束しなくても当たり前に次の日には会えるから。
それでももたれ掛かるには充分過ぎるこの日々は少しずつ減っていて、座り込んだ地面はいつまでも冷たいまま体温を奪っていく。
「海」
「何でそんなとこにいんの」
「何でって、こんな小さな島15分も自転車漕いでれば何処かしら海だろ」
「だから、何で」
「・・・・・」
「また親父さんと喧嘩した?」
背後で直接聞こえてきた声に振り返ると制服のままの彼が立っていた。
同級生達と同じように着崩しただけの筈の彼の制服姿は、色素の薄い髪と目のせいで不良がかって見える。
電話とは打って変わって落ち着きを取り戻した声と感情の読めない表情に落胆している自分を振り払って、何も言わず近づいてくる彼には何も言わず視線を海へと戻した。
隣りに座った彼の右手が当たり前にオレの左手に重なる。
硬いコンクリートの感触と彼の熱い温度が冷え切った心を蘇らせる。
同時に麻痺していた傷口が痛みだした。
金と地位がある事があの人の人生のすべてらしい。
それがあれば自分も家族も幸せだと信じている。
この島を出てしまえばそんなもの星屑にもならないのに。
そして馬鹿馬鹿しいと思いながら小さな抵抗を繰り返しながら、襟元のボタン一つ外せない自分。
なるべく何気なく感じられるように左手を反転させて彼の手のひらを弱々しく握った。
右手についた絵の具を見つめて、指同士で擦り合わせる。
乾いた絵の具はなかなか落ちない。
「アトリエにしてた倉庫が見つかった」
「それで?」
「描いてた絵めちゃくちゃにされて」
「それで」
「そんな暇あったらもっと勉強しろってさ」
「何でお前ら親子はそんなバイオレンスなのよ。暴力反対ー」
「オレは殴られただけだ」
「傷、見せてみ」
彼の左手が顎に触れる。
そのまま傷を確かめるように左頬に触れると、彼の両手はカバンの中へと離れた。
すべてを投げ入れただけの雑多なそこから迷う事なく小さな袋が取り出され、消毒液と絆創膏、そしてもう一度カバンを覗いてティッシュを手に取った。
一度でいいから彼が好きだと言葉にしたい。
息苦しさを紛らわせたくて知らないうちに呼吸が浅くなる。
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