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私には変身願望のようなものがあるのです。
真面目な顔で言い切った岩本沙良に対して、土屋修は目を泳がせた。
変身。変身ってあれか、戦隊ものみたいなあれか?
お待たせしましたー! と土屋のもとにアイスコーヒーが、沙良のもとにティーカップの紅茶が運ばれてきた。土屋はひとまずのどをうるおす。
高校で同じクラスである土屋と沙良の偶然の出会いは、二十分前にさかのぼる。
部活の休日練を終え、新宿で乗り換えて帰ろうとしたところ電車が止まっていた。終点近くの駅で鹿が線路に侵入してきた、という誰も責めることができない原因で。
部活で疲れ切っている土屋は、この現状に舌打ちをしたくなった。いちいち他の線を使って遠回りして帰るのもだるいし、新宿駅の外に出て七月の暑さにさらされるのもだるい。意味もなく駅の地下をうろついていた。
不意に、すれ違った人のひとりに意識が吸い寄せられた。
「岩本さん?」
声をかけられた相手――岩本沙良がゆっくり振り向く。
土屋は普段、同じクラスの女子を見かけても声をかけることはない。ましてや沙良は高二で初めて同じクラスになった相手だし、おとなしいグループに属する彼女と土屋では接点がない。今回話しかけてしまったのは、沙良の私服に目を引かれたからだ。
ひざ下の白のワンピースと腰に巻いた赤いベルト。おだんごに結われた長い髪。ステッキのように手にしている薄いピンクの日傘。
何もおかしいところはない。私服おしゃれだね、と言ってしまえばそれまでだ。
しかしどこかが引っかかる。ああ、と土屋はひとつ思い当たった。
「メリー・ポピンズみたいだ」
小さいときに親がDVDで見せてくれた、『メリー・ポピンズ』の映画が頭に浮かぶ。
「大正解です!」
沙良の表情が明るく華やいだ。
××線、一時間後に運転再開予定です。アナウンスが流れる。
「土屋くん、××線使う予定でしたか?」
「ああ、そう。帰りたいのに足止め食らってるとこ」
「私も××線で出かけようとしてたんです。よければ、どこかで一緒に時間つぶしませんか?」
メリー・ポピンズを当てられたことがよほど嬉しかったのか、沙良の口調はいきいきしている。
土屋は流れのままに誘いに応じ、近くにあったカフェにふたりで入った。
そこで衝撃の一言、「私には変身願望のようなものがあるのです」。
「変身願望って、詳しくはどんな」
「私、月に数回の頻度で映画のヒロインをまねた服装をしたくなるんです」
「で、今日はメリー・ポピンズなんだ」
「はい。自分だけのためにやってることなので、家族以外に見られるのは今日が初めてになります」
沙良の服装は、コスプレよりは自然でただの私服よりは華やかという絶妙なラインを突いている。
「岩本さん、服っていつもどこで買ってるの?」
「安い通販サイトか、下北沢の古着屋さんですね。今日も下北沢に行く予定だったんですが……。今からだとゆっくり見る時間はなさそうなので、また今度にします」
土屋は古着になじみはないが、ヒロインの格好で下北沢を渡り歩く沙良には興味があった。
「次に下北沢行くとき、俺も一緒に行っていいかな?」
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