ワンデイ・ヒロイン

2/5
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
 夏休み前の午後の教室は、もったりしてけだるい。  窓際の後ろから二番目というポジションにかまけて、土屋は堂々とあくびをする。黒板の内容を適当にノートに写しつつ、教室の前方に座る沙良の後ろ姿を眺めた。沙良とは先日のカフェで連絡先を交換し、夏休みに入ったら下北沢へ出かけることになっている。  ちまちまと几帳面にノートを取る様子は、あの日のメリー・ポピンズと同一人物とは思えない。しかし、伸びた背すじや揃えられた両脚からはヒロインの名残を感じた。 「おい、土屋。プリント回せ」  後ろの席の多田が容赦なく土屋の椅子を蹴る。  いつのまにか机の上にためていたプリントを、土屋は「わりぃって」と謝りながら回した。 「めずらしいな、お前がぼんやりしてるの」 「ニヤニヤするなよ」 「はいはい」  多田は好奇心を隠さない程度には子どもだったが、深く追求しない程度には大人だった。  どうせ気を遣うなら、最初からニヤニヤするなよ。土屋は深くため息をついた。 ☆  下北沢で待ち合わせた沙良は、ノースリーブの水色のワンピースを着ていた。下ろした髪には、ワンピースと同じ色の細身のカチューシャをつけている。 「お久しぶりです、土屋くん」  夏休みに入ってしばらく顔を合わせていないだけなのに、沙良は丁寧に頭を下げた。つられて土屋も「お久しぶりです」と頭を下げる。 「今日はなんのヒロイン?」 「『シェルブールの雨傘』のヒロイン、ジュヌヴィエーヴです。カトリーヌ・ドヌーヴっていう、きれいな女優さんが演じてるんですよ」 「ジェル……え、なんて? 何語?」 「フランス語です。とりあえず、シェルブールの雨傘っていうタイトルだけ覚えてくださいね」  横文字にちんぷんかんぷんになっている土屋に、沙良が微笑みながら教えた。 「さ、行きましょう。今日は晴れてるので、お買い物日和です!」  軽やかに歩き出した沙良のあとを、土屋は慌てて追いかけた。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!