とうとうラスボス現れた

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とうとうラスボス現れた

 私は幸哉さんに置屋まで送ってもらい、何度も何度も頭を下げた。 「ありがとうございます。本当に楽しかったです」 「いいえ、ときをさん。また僕に時間をください」  そう笑顔で言ってくれるのに、私の頬も一気に緩む。  彼が「それでは」と去って行くのを、背中が見えなくなるまでいつまでも見送っていたら 「熱いねえ」と声をかけられて、ようやく我に返った。  孝雄が私の背後で、幸哉さんを見ていたのだ。 「孝雄……あの、監視しててどうだった?」 「いやあ、早乙女様はいい御人なんじゃないかい? ときをを身請けしてくれるんだったら、うちの置屋だってありがたいし、現にあんたはすっかりと骨抜きになってるんだから、問題ないだろ。金持ち連中ってひとつやふたつ後ろ暗いところがあるってえもんなのに、あの御人はこの時代じゃ珍しいくらいに真っ白なんだから。あんな御人、逃したらもう会えないだろうさ」  孝雄がここまで人を褒めるのを私は初めて聞いたため、自分のことのように照れた。 「ありがとう……」 「ただ、まあ。あの御人、大丈夫かね」 「ええ? 孝雄は早乙女様を信用してるんじゃないの?」 「あの御人の人となりは問題ないだろうが、ああいうのは、商売敵が多い。商売なんざ常に潰し合いのひとり勝ちを狙うってえもんだから、あの真っ白な御人を潰して、あの人の儲けを全取り狙う輩だっているだろうさ」  ……その真っ黒な人に心当たりのある私は、見る見る顔が強張っていくのに気付く。思わず幸哉さんからもらった玉簪の包みと小説をぎゅっと胸に抱き締めると、孝雄はポンと肩を叩いた。 「まあ、俺らもああいう白い商売の人に助けてもらって商いやってんだ。あの御人になんにもねえように見ててやるから、あんたはあんたで身請けの段取りが決まるまではきばりな」 「……うん、ありがとうね」  そう言われて、私は置屋へと帰っていった。  置屋は置屋で、珍しく休みの子たちも、夜になったら座敷に上がる姉さんたちも盛り上がっていた。なんだろう。私はそう思って鼻を動かしたとき、ついさっき嗅いだ匂いが広がっていることに気付いた。  私はお母さんに「ただいま戻りました」と挨拶をしたら、すぐに「お帰り」と出迎えてくれた。 「本当に早乙女様はいい客だよ。あの御人だったら、うちの子を何人身請けしてくれたってかまわないね」 「へえ?」  お母さんが上機嫌で言う。 「桜鍋をうちで預かっている子たちや男衆にまで振る舞ってくれてね。夜から仕事に行く子たちにはもう出してるから。私たちも食事の番が来たらいただくよ」 「え……これ全員分ですか?」 「ああ。太い客だよ……本当に、うちもそういう上客ばっかりだったらありがたいんだけどねえ」  お母さんがそうしみじみと言った。  吉原で心中事件やら逃走事件が多いのだって、なにもうちみたいに平和な置屋や芸妓ばかりじゃないというのが大きい。  吉原での睦言を本気に捉えて客を待ち焦がれ、客が所帯を持って座敷に来なくなったのに苦しくなって自殺してしまった芸妓だっている。  身請けできる支度金を用意できなくって、ふたりで逃げ出そうとした結果、逃げ切ることができずにふたりで心中した例だってある。  私たちが平和なのは、乙女ゲーム補正と運だけの賜物だ。一歩間違ったら、もっと違う道だってある。  私がいただいた玉簪に小説を片付けていると。 「ときをさん。ご飯食べどうだった?」  今日非番のしおんが飛んできて、そわそわとして聞く。私はどう答えたものかと考えてから「すごく楽しかった」と答えると、彼女は手を叩いて喜んだ。 「そう……素敵だわ。もしかしたら、早乙女様がときをさんの旦那さんになってくれるかもしれないわね」 「なってくれたら嬉しいけれど……でもそういうしおんは?」 「あたしも、ここで芸を磨いたら、吉原で三味線を教える師匠になりたいもの。そのためには旦那さんを見つけないと駄目ね……」  それに私は出した話題をミスったことに気付いた。  私の場合は、既に幸哉さんから身請けの話が出ているからいいとしても。しおんの場合は状況が違う。  元々彼女は田舎出身だから、芸で身を助けるには、芸のできる場に止まるしかない。そして芸妓が身を助けるには、どうしても旦那……太い客やパトロン……の存在が必要になり、時には芸妓であっても春を売らないといけなくなる。この子には孝雄という思い人がいてもだ。  私は思わず口に出す。 「孝雄はいい人でしょ。しおんがどういう選択を選んでも、絶対にそれを尊重してくれるし、しおんがなにかやったとしても、それで責めるような男じゃないよ」 「そ、そう……なのかな?」 「そうだよ。あなたは芸で身を助けたいって願ってるんだったら、どこかに絶対に抜け道はあるから。だから、頑張ろう?」  私はそう言うと、しおんは少しだけ俯きながらも、はにかんで小さく笑った。 「ええ、ありがとう。ときをさん」 「うん」  こうして今日座敷に向かう姉さんたちが食事を終えたあと、入れ替わりで非番の私たちも食事に向かう。  一日に二回も、こうしておいしいご飯をいただけたのなら、明日からも頑張ろうとする気が出てくるというものだった。 ****  翌日は、朝からバタバタとしていた。  普段だったら、まだ見習い芸妓が昼から座敷に呼ばれることはないのだけれど、今日は姉さんたちが急な座敷のヘルプが来て出勤してしまい、更に地方の呼び出しが続いている。 「なにかあったのかな?」  普段だったら稽古に行っているというのに、今日ばかりはいつ呼ばれてもおかしくないからと、置屋から出られないでいる。  男衆たちも、姉さんたちの帯の着付けや送迎でバタバタしている中、やっと水分休憩に入った孝雄に遭遇し、私としおんは尋ねる。 「……なんでも、今日は貴族の皆々様の会合だかなんだかが急に割り込まれて、そのせいで吉原一帯の芸妓がもてなしで集められてるんだよ」 「ええ……」  貴族院の人々が会合を行う際、口が硬いからと、吉原の料亭を貸し切って行われることはたびたびある。でも、普通はもっと事前に連絡をするものだし、そのために料亭だって食事や芸妓の手配をもっと前から行っているものだ。そんな昨日今日でできるもんじゃない。  それはいくらなんでも横暴じゃ……と私が顔を曇らせていたら、孝雄はボソリと言った。 「……なんでも、どこぞの成金がごり押しで吉原のお偉いさんを動かしたらしい。こんな札束で殴るような真似をしちまったら、いつ花魁が反旗を翻すかわかりゃしねえってのに」 「え……」  その言葉に、私の頭はぐわんぐわんと鳴る。私の様子に、しおんが心配そうに声をかけてきた。 「どうかした、ときをさん?」 「う、ううん……なんでもな……」 「……ったく、いきなり女郎屋を一軒手に入れてから、どんどん調子に乗って来やがるぜ、鬼龍院とかいう御人は」  確定。確定。  鬼龍院さんじゃねえか!? なんだ、あいつ。なんだ、あいつ。狙うなら私だけにしなさいよ、なに吉原の皆々さんだけでなく、貴族院の人々まで巻き込んでんだあいつ。  なあんだよ、これだから信用がおけないんだよ、あんたはぁぁぁぁ!?  悲鳴を上げなかった私は偉いと、自画自賛しておく。なにひとつ状況は改善されていない。  そんな中、お母さんが心配そうな顔でこちらにぱたぱたと駆けてきた。他の予定を全部キャンセルして、今日の料亭に送り出す芸妓の指揮を執っているものだから、いい加減疲れが見えてきている。 「しおん、ときを。今日の座敷に出て欲しいんだけれど……」 「私たちも、ですか?」 「ええ……」  お母さんの顔色があまりよろしくない。  こんなに芸妓が呼び出し食らっては、帰ってこないというのがそもそもおかしい。まさかと思うけれど……座敷でパワハラセクハラ祭りなんか、行わされてないよなあ……? もしそうなったら、私と鬼龍院さんだけの問題ではなくなってくるし、吉原の芸妓たちの身が心配になってくる。  しおんはしばらく黙っていたものの、「お母さん、私言ってくるわ」と声を上げた。 「しおん」 「とにかく今日は貴族院の方々が来てらっしゃるのならば、見習いだって旦那さんを見つける機会があるかもしれないものね?」 「そうだけれど、今回は……いざとなったら仮病を使ってもいいんだよ? 現に一部の置屋では、集団食中毒だと言い訳して、閉鎖しているところだってある」  もう怖いよ。いったいなにが行われているんだよ。  でも。原因が私だというならば。 「お母さん。私も行く。しおんと一緒に行ってくる。あと」  私はお母さんに預けっぱなしだったものを思い出して、口にする。 「鬼龍院様からの贈り物をちょうだい。あれを着ていくから」 ****  彼から贈られてきたものは、案の定友禅だった。  黒地に桜が咲き、その周りを赤い蝶が舞っている。本来、桜の着物は今だとまだ早過ぎるものだけれど、蝶が描かれた途端に一気に季節感がなくなる。複雑過ぎる着物は、いったいどれだけの値段がつくものなのかおそろし過ぎるけれど、これを着ていかないとあとが怖いだろう。  更にその上に、幸哉さんからもらった長羽織を着る。本来、座敷に上がる際にこんな格好をしてはいけない。そもそもの問題として、地方が立方より目立ち過ぎる格好をするのは、結婚式に白いドレスを着てくるのと同じくらいに、マナー違反だ。でも、今回は特別だと言い訳する。  私の格好を見て、しおんは驚いた顔をしてみせる。彼女だって、私が禁則事項を何件も破っているのは見てわかるだろう。でも、彼女も座敷に行くのとは程遠い顔をして見せた。 「……行こう、ときをさん」 「ええ、行きましょう、しおん」  ……いい加減、脅えて嵐が過ぎ去るのを待つのは止めだ。  今回という今回はもう、決着を付ける。  私たちがこれから行くのは、座敷ではなく戦場だ。そう思いながら、私たちは男衆たちの待つ人力車へと向かっていったのだった。
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