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プロローグ
無人となったまま放置され、いわゆる廃屋と呼ばれる状態になった建物が農村部では増加していて、それが問題になっている、と先日テレビのドキュメンタリーで紹介されていたが、その例に漏れず、久し振りに訪れたかつて僕の暮らしていた家も取り壊されることなく、そこに残っている。老朽化して、いつ倒壊してもおかしくなさそうなその姿を見ていると、この場所にひとが住んでいた、という事実が嘘だったかのように思えてくる。
この地を離れて、もう二十年以上の月日が経っているが、あれ以降、どれだけこの建物は家屋としての役割を果たしていたのだろうか。
僕がちいさく溜め息をつくと、
「そこ、近付かないほうがいいですよ」
と、背後から低めの声が聞こえた。まさか声を掛けられるとも思っていなかったので驚きのまま振り返ると、穏やかな笑みを浮かべたすこし筋肉質な男性が立っていた。もうすぐ夏という暑い時期のせいだろう、彼の顔のいたるところに汗の粒が浮かんでいる。
「あぁ、すみません。不法侵入とか、そういうつもりはなかったんです」
「いや別にそんな心配では……。それにまぁ、入ったところで、誰も通報なんてしないですよ」
「うん……? あぁ確かに危ないですもんね。どっちにしても、申し訳ない」
「あぁ、いや、実はそれも違うんです。……うーん、こんなことを急に言うと、変なひとに思われるかもしれませんが……、その家、呪われてるんです。取り壊しの工事の予定も一度はあったんですが、不審な事故が何度も続いて中止になってしまって」
「呪われてる、ですか……?」
「こんな話、まぁすぐには信じられないかもしれませんが……この家、ね。もともと三人家族が住んでいまして、息子さんは私と同い年でクラスメートでしたけど、小学生の時に突然いなくなっちゃって。その頃、村に不審者のおじさんが出没している、って話もあって、もしかしたら誘拐されて殺されてしまったんじゃ、なんて噂もありましたよ。ご両親も首を吊られ……あっ、これは息子さんの行方不明の話と直接的な関係はなくて、かなり後になってからの話なんですが、市内を拠点にしていた、もう教祖が捕まって解体してしまってるんですけど、その宗教団体の名を借りた詐欺グループの標的にされて背負った借金に苦しんで、ね……」
僕は、その言葉を聞きながら衝撃を受けていた。
両親が詐欺によって背負った借金を苦に自殺していた、という事実にも、もちろん驚きはあったが、もう関わらなくなって久しく、縁が切れた両親の死に対してそこまで哀しみを抱くことはできなかった。僕が衝撃を受け、興味を惹かれたのはそんなことよりも、目の前の男性が、かつてのクラスメート、ということだった。
そう言われると、見覚えがあるような気もしてくる。
「……あの、不躾なんですが、お名前を教えてもらえませんか?」
「はぁ、名前、ですか? 別に構いませんが、大木、と言います」
大木。僕はその名前を知っているし、はっきりと覚えている。一瞬、自分の名を明かす考えもよぎったが、それはどちらにとっても良いこととは思えない。
偶然……? 本当に、偶然なのだろうか……?
ふと僕の頭に浮かんだのは、先生、の顔だった。だけどこんなことにまで彼女の力が及ぶわけはないし、これは単なる偶然に違いない。それでも疑心暗鬼に囚われるように、彼女の姿が頭に浮かぶほどに、僕は先生に縛られているのだ。そのことに気付いて、弱気の虫が顔を出す。
あぁ、駄目だ……。気持ちで負けてはいけない。
僕がこの地にふたたび訪れたのは、彼女との訣別のためなのだから。
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