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プロローグ
再生――。
乱れた映像が幾重にも重なり、耳障りなノイズが鳴り響く。
歪んだまま不規則に上下する画面の左上に、手書き書体の〝爆笑ヒットパレード〟というタイトルがかろうじて読み取れる。
やがて映像は軌道を取り戻し、ノイズも粗方消えたが、それでも画質はピンボケのまま、演芸ホールらしき客席とステージが映し出される。
間延びした出囃子が鳴り、画面右側から二人の男が現れた。
同じ歩幅で、流れるように動く揃いの黒い革靴。
舞台中央には一本のスタンドマイク――、通称サンパチマイク。
向かって右側に立った痩躯で背の高い男は、辺りを窺うようにして愛想笑いを浮かべた。
その隣――、中肉中背で怒り肩の男は、さして関心がなさそうにあらぬ方向を向いている。
二人が着ている濃紺のブレザーは革靴同様、揃いで誂えたように見えるが、痩せた男は、紺と赤の縞模様のネクタイを几帳面に絞めているのに対し、怒り肩の男はだらしなく緩めて、襟元を覗かせていた。
痩せた男が愛想笑いで、揉み手をしながら、目の前の客に媚を売り始めた。
「どうもどうも――。本日はようこそお越しくださいました。ねえ――」
それを無視するように、怒り肩の男は不機嫌そうに呟いた。
「ああ、嫌んなっちゃうな」
痩せた男はその細面に作り笑いを張り付けたまま、相方の胸元あたりに視線を投げた。
「どうしたの、藪から棒に」
「もうさ、本当に嫌んなっちゃうよ」
「だからどうしたのよ、いったい」
「今日はもう帰ろうかな」
「君ね、今出てきたばかりだよ。ダメでしょ、帰っちゃ」
「今日もやるの?」
「やるよ。その為にこうして呼ばれて来たんでしょうが」
「だって見てみろよ。このお客さんたち、みんなうんざりって顔してるよ」
「してないよ」
「もう飽きたって顔してる」
「だからしてないって。飽きてる訳ないでしょうが。わざわざお金出して、こうして漫才を見に来てくださってるのに」
そこで怒り肩の男は目の前にいる観客に目を向けた。
「今日、我々で何組目? 六組目? ああそう七組目なの。だったらもう飽きちゃってるよね。次から次に、どいつもこいつも、ひょうきんな話ばかりしやがってって――。笑わせるのも大概にしろって――。ねえ?」
「そういう仕事なんだよ」
「たまには悲しい話でもしてみやがれって、ここのお客さん、みんなそう思ってるよ」
「思ってないよ」
「だから今日はね、一つしんみりとした話でもしようかと思ってさ」
「あのね、君ね。漫才師がしんみりした話してどうすんの」
「新しくていいじゃないの。だって俺、新人類だもん。今流行りの」
「何が新人類だよ。類人猿とたいして変わらん顔してからに」
「うるさいよ。とにかく今日はしんみりした漫才にしよう」
「どんな漫才だよ。お客さん、うちの相方、こんなこと言ってますけど、いいんですか?」
そこで二人は客席に顔を向けたが、画面からは客の反応が読み取れなかった。
二人の顔に浮かんだ苦笑いから察するに、たいした反応は得られなかったのだろう。怒り肩の男は一瞬だけ目を伏せると、すぐに毅然とした笑顔を浮かべた。
「ほらいいに決まってるよ。たまにはいいんだよ。……じゃあね、そうだ、俺、先週だったかな。いや違う、先々週? いやいや、先々々週だったかもしれない。……うん? 待てよ、先々々々週だったかな」
痩せた男はしかめ面で相方を制した。
「もうこの際、いつでもいいよ」
「ああ、そうだ、先週だ。俺、先週末、葬式に行ったのよ」
「君ね、どんな記憶力してるの。先週末ならほんのニ、三日前のことじゃない。すぐにパッと出てくるでしょうが、普通。……それで先週末はどなたのお葬式に行かれたの?」
「あのね、北千住にあるハーフムーンってスナックのママが亡くなってね」
「北千住――。君は本当にいろんなところを飲み歩いてるね。……それでそのママはかなりのご高齢だったの?」
「いやいや、まだ五十代半ばだったかな」
「あらら、まだお若いのに――。それはご愁傷様でしたね。……それでちょっと聞き辛いんだけど、その方亡くなられた原因は?」
「これがね、交通事故なんだ」
「交通事故。……ほんとにしんみりしてきちゃったね。大丈夫かな、こんな漫才」
「あのね、交通事故と言ってもね、店が終わって明け方のさ、帰り道の歩道橋の階段でハイヒールの踵が折れちゃって、そのままバランス崩して、階段を転げ落ちちゃったのよ」
「あらま。あの女性のね、踵の高いハイヒールを見るたびに、なんだか危なっかしいなあって、いつも思ってたんですけどね。やっぱりそういう事故もあるんですね」
「そんで階段から転げ落ちてきたところに、たまたま運悪く走ってきた豆腐屋の自転車に轢かれたと言うね」
「こらまたいよいよ悲惨な話になってきたね。豆腐屋の自転車に轢かれた。それは轢かれたママも不憫だけど、轢いた豆腐屋さんもえらい不運に巻き込まれたもんだね。だってまだ夜も明けきらぬ時間帯でしょ。きっと真面目で働き者の豆腐屋さんなんでしょうね」
「まあ、医者が言うにはだよ。最初に階段で転んだ時点で、打ち所が悪くてポックリいっちゃったらしいんだ、そのママは。だから豆腐屋の自転車に轢かれた時はもうあの世だったって」
「ああそう。それはこの場合、不幸中の幸いと言っていいんですかね。まあ、その豆腐屋さんが直接の加害者にならずに済んで良かったけど――。ところでその不幸にも亡くなられたスナックのママさん、ご家族はいらっしゃったの?」
「いたよ、いたいた。女房と子供が二人」
「ん?」
「子供は二人とも男の子でさ、上は大学生で、下は高校生。まだ家のローンも残ってるし、子供の学費もあるしで、奥さんえらく泣いてね」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って。話を一回整理させて。どうも頭がこんがらがってきちゃったな。ええと、君が行きつけの北千住のスナックのママが――」
「スナック・ハーフムーンね」
「はいはい、そのスナック・ハーフムーンのママが階段で転んで、頭を打ちつけて亡くなられたのね」
「そうそう。一瞬でポックリね」
「ついでに真面目で働き者の豆腐屋さんの自転車にも轢かれたと」
「真面目かどうかは知らんよ。ふざけた豆腐屋かもしれないだろ」
「それはこの際どっちでもいいよ。とにかくそのスナック・ハーフムーンのママさん――、ええと、名前はなんていうの?」
「渚っての。なにがナギサだよな。サナギみてえな顔してんのに」
「こらこら亡くなった方の悪口を言うもんじゃないよ。それでその渚ママにはご家族がいたと」
「うん、カミさんとガキが二人」
「奥方とお子様が二人――。渚ママに奥さん――。そのぉ、奥さんがいらっしゃると言うことは、その渚ママってのはもしかして――」
「そう。オカマだよ、オカマ。北千住のハーフムーンってスナックはオカマバーなの」
「やっぱり」
「笑っちゃうのがさ、渚ママの本名、ナイトウイワオってんだ。俺も葬式に行くまで知らなかったんだけど、確かにあの顔は、渚よりイワオの方が似合ってるよ」
「こらこら。しかしこれはまた随分変わったお葬式に出たもんだね。……それでご家族はご存知だったの? 故人の、その、夜の趣味というか。そういったお仕事のことを」
「これがさ、一切知らなかったらしいんだよ。イワオはさ――」
「だから呼び捨てにしちゃダメでしょうが。故人のイワオさんと言いなさいよ」
「まあいいや。その故人のイワオさんはさ、荒川区役所の土木課の職員だったのよ。オカマバーの仕事は家族に内緒だったんだな。だから家族はさ、パパは毎日残業で遅いもんだとばかり思ってたって」
「あら」
「だからママが――、じゃなかった、パパが交通事故にあったと聞いて、家族は取るものも取らず、慌てて病院に駆けつけた訳さ」
「そうしたら?」
「汚いオカマが死んでたと」
「やめなさい! そういうことを言うもんじゃない!」
「家族もショックが大き過ぎて、泣いていいのか、笑っていいのか、分からなかったらしいよ。……でもこれ普通、笑うとこだよな」
「泣くとこだよ!」
その言葉と同時に、痩せた男が相方の胸元を右手の甲で叩くと、客席の笑い声が一瞬だけ大きく響いた。
「しかしまた、なんだって君はそんなけったいなお店に飲みに行ってるの?」
「いや、友達に面白い店があるから行こうって誘われたんだよ」
「そんなに面白い店だったの?」
「うん、店中、汚いオカマだらけでゲラゲラ笑った」
「こらこら、言葉を慎みなさい」
「それで葬式に行ったらさ、俺、遺影を見てまた笑っちゃったんだよ」
「笑っちゃダメだって」
「だって店ではいつも金髪のカツラだったから知らなかったんだけどさ、禿げてんだよ、イワオ。つるっ禿げなの。オバQみたいに頭に毛が三本しかしないんだよーって」
「君、本当にやめなさい。不謹慎だよ。不謹慎」
「それで、よしゃいいのに葬式に仲間のオカマ連中が大勢押しかけて来ちゃってさ。……うん? オカマの仲間連中? 仲間のオカマ連中? どっちだ?」
「どっちでもいいよ!」
「とにかくこのオカマどもが揃いも揃って汚いのなんのって――。挙句にわんわん泣くもんだからメイクが落ちて、つけまつ毛が鼻の下にずり落ちて、太い鼻毛みたいになっちゃって、とにかく汚い汚い。……俺、それ見てまた大声出して笑っちゃった」
「君は最低だね。人としてほんと最低。デリカシーと言うものがない。よくもまあ、人の不幸をそんな笑い話にして」
「そりゃ、笑い話にするさ」
「なんでだよ」
そこで怒り肩の男は一瞬、妙な間を開けてから、言葉を繋げた。
「だって、俺は漫才師だからな」
次の瞬間、革靴の爪先に、舞台照明が鈍く反射した。
「もういいよ。もう君とはやってられないよ」
痩せた男が放ったその言葉を合図に二人は踵を返し、出てきた時よりも早く、舞台袖に退けて行った。
去りゆく二人の背中を、失笑とも爆笑ともつかない、間延びした笑い声が追った。
それは波のようにうねって、瞬く間に静かになる。
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