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教訓、二。魔が差すと即ち、死を見る。
リタの森に行く前にコニュータに寄って、セルゲス公付きの宮廷医であるカートン家の医師と会うことになっていた。
コニュータはカートン家の総本家がある都市である。カートン家はどの都市、街でもいたる所で診療所を開いており、その全てにおいて、無料診療を実施している。サリカタ王国全国でカートン家は無料だ。だから、他の医師達からはいい顔をされないが、それでもその方針を変えたことは一度もない。
大きな街ほど、大きな施設が建っているが、その中でもコニュータは特別だ。どでかい診療所の他に屋敷?と思われるでかい施設が至る所に建っている。街路樹まで全てが、薬になるものしか生えていない。
門番に名乗ると奥に案内された。他の患者達と会わないように別の施設に通される。
何か仕事していたのか、しばらく待たされてから医師がやってきた。
「やあ、どうも、遅れてすみません。脚を骨折し、肉を突き破っている患者の手当を手伝っていたら、遅くなってしまいまして。」
なんとも痛そうな話だ。よく見れば医者が着なくてはならない、緑色の上着には血が跳ねている。言い訳は嘘ではないようだ。
「初めまして、私はラブル・ベリーです。セルゲス公付きの宮廷医です。」
「初めまして。私はこのたび、セルゲス公の護衛の任に当たるヴァドサ・シークです。」
そして、順番に紹介していく。挨拶を交わしてから、椅子に座った。かなり広い場所で、椅子も全員が座れるだけ置いてある。しかも、椅子の座り心地が良くて驚いた。
「あのう、先生、いきなり質問をして悪いのですが、セルゲス公はどこか悪いところがおありなのですか?陛下も療養させるようにと仰っておいででしたが。もし、体調が悪いのであれば、移動の際の速度などにも影響が出ますし…。」
シークの言葉をベリー医師が手で制して止めた。
「最初に話しておく必要があるでしょう。」
ベリー医師の表情が固くなった。
「セルゲス公は心の病です。しかし、気が狂っているわけではない。」
心の病と聞いて、隊員達はどういうことだろうかと首をひねる。
「ご存じの通り、セルゲス公は十歳の時から監禁されていました。一年半の間、ただ、監禁されたわけではなかった。これ以上は言えませんが、とにかく想像して下さい。十歳の子供が親しい人達から離され、たった一人で一年半も耐えなくてはならなかったという状況を。」
そう言われれば、とてもひどい目に遭っていると想像できる気がした。シークは十歳の頃、親と離れたことはない。大勢の兄弟姉妹や親族がいて、むしろ、どうやって一人の自分の居場所と時間を見つけるか、の方が難しかった。
「何か反論でもありますか?」
ベリー医師の言葉に、隊員の一人が手を上げたようだった。シークは背中を後ろに向けていたので、黙って話を聞いてくれればいいのに、と内心はらはらした。
「なんですか?」
「俺は言ったらなんですか、八歳の時に家出して伯父と伯母に世話になってました。」
声で誰が発言したか分かる。
(ミブスめ…。余計なことは言うな。)
ミブス・ノーク、海の子族出身の隊員だ。泳ぎが得意である。
「あなたには頼りになる伯父と伯母がいたから良かったでしょう。しかし、セルゲス公は、頼りになるはずの叔父と叔母がそうしたのです。それに、あなたの家には常に見張りがいましたか?武器を持った兵士が見張りに立っていましたか?言うことを聞かねば、目の前で他の誰かの首を刎ねられる場面を見せられたことがありますか?」
誰も何も言えなかった。十歳の時にそんな経験をしたのだ、という事実に衝撃を受けていた。
「あなた達には注意して頂きたい。セルゲス公はそんな体験をされているので、見知らぬ人と初めて対面する時、話し出すまでに非常に時間がかかります。言動も時にかなり幼く感じられるでしょう。十歳で止まったままの所があるからです。」
ベリー医師は細かく注意を伝えた。大きな声を出さないこと、目の前で扉を閉めたりしないこと、大きな音も立てないこと、また、体に触れないこと、急かしたり苛ついたりしないこと…などだ。
「あのう、後で紙に書きたいのですが…。」
ベイルがおそるおそる申し出た。
「できれば、暗記して頂きたいと思います。万が一、セルゲス公がその紙を見たら、迷惑をかけていると思い、気にされるので。ご自分のせいで誰かが犠牲になる、ということをとても怖がられます。」
…それは、目の前で誰かが殺されたら、そうなるだろうとシークは思った。
「…ちなみに、あなた方には注意しておかなくてはならない。あなた方は国王軍で、しかも親衛隊だ。決して陛下に不満を持ってはならない。それでも、こんな話を聞けばどういうことか、不安に思われるでしょう。
だから、本当なら他言無用の話ですが、ここではっきり言っておきたいと思います。」
ベリー医師は長い前置きの後、はっきり言った。
「セルゲス公に虐待するように命じたのは、妃殿下です。陛下ではありません。」
呆然としているシーク達をよそに、ベリー医師は他に言うことはないか、考えていた。
「…ああ、そうだ、思い出した。鎖を見せたりしないで下さい。首輪をつけられて鎖に繋がれていらした上、自分で取れないように鍵までつけられていましたから。」
全員の目が点になった。
(…王妃が…いや、叔母が甥にそこまでするか!?)
なんと言えばいいのか、分からない。
「他に何か質問はありますか?」
あまりに自分達の思考を超える話だったので、すぐに質問すら思いつかない。
「なければ…。」
「お待ちを。」
慌ててシークは引き止めた。
「…待って下さい。まだ、理解が追いついていません。」
ベリー医師は、シークの言葉にはっとした様子だった。
「いや、申し訳ありません。確かに普通の話ではありませんから、なかなか理解するのは難しいでしょう。」
「…つまり、十歳の子供に首輪をつけて鎖に繋ぎ、少し言うことを聞かなければ、目の前で人を殺したと?」
シークが必死に考えてまとめた言葉に、ベリー医師は頷いた。
「はい。セルゲス公から、なんとか話を聞き出してつなぎ合わせ、さらに妃殿下に協力していた者達から詳細な話を聞いて、照らし合わせました。しかも、セルゲス公は昔から穏やかなお子で、大人達を困らせることはあまりなかった方です。」
シークは見えてきた。
「つまり、妃…叔母の気分次第で“言うことを聞かない悪い子だ”と判断されたら、そこで目の前で人が殺されるなり、何か折檻を受けたと?」
「そうです。はっきり言って、大人でも発狂しておかしくない。よく…本当によく一年半も耐えられた。」
シークは頭を振った。信じられなかったのだ。そこまで、幼い子供にできるのだ、ということが。こんな話を聞けば、自分の父がシークに厳しく当たるというのは、大した話ではないように思った。シークとしては理解できず苦しいものだったが、これほどではない。
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