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一人の隊員が最近不眠だと言ってきた。診察した所、確かに不眠の様子だったので、薬を三日分処方した。
実はその頃、フォーリが過労ぎみだったので、疲れを取り元気を与える補薬の薬湯を処方していた。フォーリは自分のことは二の次である。だから、他の用事を済ませている間に薬が飲まれないで、そのままになっていることがあった。
そのフォーリの薬に睡眠薬を三日分、入れられたのである。飲み干してしまってから、異変に気が付いたが、さすがのフォーリも意識が朦朧として、眠り込んでしまう。だが、途中で妙な気配に気が付いた。もう、ニピ族の意地と根性で起きたと言っていいだろう。
すると、暗がりの中、眠っている若様を寝台から抱き上げて攫うところだった。若様は心に傷を負っているため、寝付けないことがあるので、睡眠薬を処方している。一度、眠ってしまえば少しのことでは起きない。彼らもそれを知っていての犯行なのだ。
フォーリは追いかけようとしたが、脚がもつれて動かず、必死で眠ろうとする頭を起こし、短刀で腕を傷つけ、その痛みで目を覚ましながら、ベリー医師の元に這ってやってきた。それでも、途中で何回か眠ってしまったらしく、後でベリー医師が確認した所、ベリー医師の所に来るまでに、何カ所かに血だまりができていた。
ベリー医師はたまたま、滞っていた事務作業をしていて寝るのが遅くなっていた。コト、という音がして、扉を開けたらフォーリが這ってきている。フォーリのろれつが回っていなかったので、すぐにフォーリに薬を盛られたと理解した。フォーリは自分の血で床に何があったかを書いた。
ベリー医師は血の気が引いたが、まずはフォーリを治療した。フォーリほど有能な男はそういないため、死なれたら困る。薬の関係で傷の割には出血量が多い。腕の治療をした後、眠り薬の作用を緩和する薬を飲ませた。本当は薬湯にした方が効果があるが、時間が無いので粉で飲ませる。
フォーリはすぐに若様の救出に行かないのが不満そうだったが、「お前が死んだら誰が若様を守る?」というベリー医師の言葉に、仕方なく納得して治療を受けた。
そして、すぐに兵士達の部屋に向かった。静かに気配を消していても、ニピの踊りを習得しているカートン家の医師は騙せない。異様に気配を押し殺しているので、すぐにどの部屋にいるか突き止め、部屋の扉を叩いた。返事がないが叩き続けると、やがて一人が扉を開けた。
「なんですか、ベリー先生?」
「お前達、馬鹿なことをしたな。若様…セルゲス公を返せ。」
すると、兵士は馬鹿にしたような笑いを浮かべた。
「先生、なんのことを言われているんですか?セルゲス公がここにいらっしゃるわけないでしょう。」
口先だけは丁寧だが、態度や言葉の端々から馬鹿にしているのがみえる。
「私は医者だ。もう一回だけ、聞いてやる。セルゲス公はここにいるだろう?返しなさい。馬鹿なことはするな。」
「先生、本当に何を言ってるか分かりません。なんだったら、中に入って確認しますか?」
よほど、腕に自信があるのか、兵士はベリー医師を中に入れた。部屋の中は暗かったので、ベリー医師はランプを掲げた。おそらく慌てて消したのだろう。油が燃えた臭いが残っている。
ベリー医師は、眠ったまま捕らわれて好き勝手された若様を見つけた。眠り薬で眠っているため、簡単には起きないはずなのに、いつもと違うせいか目覚めてしまい、ベリー医師は怒りを抑えて若様に鍼を打って眠らせ、静かに立ち上がった。
ベリー医師は久しぶりに激怒した。全身が怒りで震え、先ほど鍼を間違いなく打てたのは奇跡だった。
「お前達、とっとと若様から離れろ。」
殺気の籠もったベリー医師の声にも、彼らはニヤニヤ笑うだけで言うことを聞かなかった。
「やれるもんなら、やってみたらいいぜぇ、先生。」
「そうか、手加減しない。」
ベリー医師は言うなり、男の右手首を持った上、手首を折り、そのまま男の首を鉄扇で打った。男の絶叫が終わらぬうちに絶命した。ニピの踊りができる、ということは鉄扇を使った技もできる、ということでもあった。
「!」
兵士達の間に驚愕が走った。まさか、躊躇なく殺すとは思わなかったのだろう。
「次はお前だ。」
若様の背後から抱きついている男に言う。何をしていたか分かっているので、許すつもりは全くない。
「…ちょ、ま…。」
男はさすがに慌てて若様から離れて寝台から下りたので、ちょうど良いとばかりに、まずは痛む男の急所をひどく打ち付けた。さらに痛みが走る場所ばかりを打ってから、とどめを刺した。
「…い、医者じゃねぇのかよ!」
兵士の一人が叫んだ。
「医者だよ。だが、お前達は私の患者に手を出した。その上、お前達には心がないのか?子供にこんなことをして、お前達、人間として腐ってるよ。」
「こっちは王妃の命令が…!」
「それがどうかしたか?人間として道からそれているだろう。どうも、自ら道に戻れないようだから、強制的に終わらせてやろう。」
ベリー医師がさらに鉄扇を振り上げた時、入り口の方からゴトン、という音がした。
「う、うわぁ…。」
という悲鳴も途中で終わった。ドサッという何かが積み重なる音がした。ベリー医師には見なくても分かった。死体が重なった音だ。
「フォーリ、大丈夫か?」
ベリー医師は入り口に、ゆらっとして立っている人影に向かって聞いた。薬のせいでふらついているので、幽霊がやってきたかのように見える。
「…せんせい、わかさまを抱えていっしょにいて下さい。」
なんとか言葉にしたフォーリの言うことを聞いて、ベリー医師はすぐさま若様を抱きかかえ、比較的清潔な寝台の上に上がった。兵士達はみんな起きだしていたので、寝台の主はいなかった。
ベリー医師が持ってきたランプの明かり一つの薄暗い部屋だ。ベリー医師は手巾で若様の体を拭い、汚された寝間着をもう一度着せるか悩んだが、仕方なくもう一度着せた。さらに、掛け布団で若様を包んだ。息が苦しくないように口元だけ隙間を空ける。
これで大丈夫だろう。血飛沫が飛んできても。
それを見届けたフォーリが動いた。鬼神か何かのような姿のフォーリに、兵士達が気勢をそがれて呆然としていた。
フォーリが持っているのは、自分を目覚めさせるために使っていた短刀だ。それしか持っていない。
それで舞を舞う。フォーリが動くたびに、薄暗がりの中で血飛沫が飛んで舞った。
「う、うわああぁ!」
「やめろー!」
悲鳴が上がり、フォーリに飛びかかろうとする者も中にはいたが、結局、フォーリに誰一人勝てなかった。獲物を狙う獣のように確実に追い、止めを刺した。
血の濃厚な臭いで、さすがのベリー医師も吐き気がしてきた。カートン家の医師達は大規模な事故現場だの、戦地だの誰も行きたがらないような所に、積極的に出向くため、こういう地獄絵図のような場面に慣らされるが、さすがにきつい。
びちゃ、びちゃ…と足音を立てながら、フォーリがゆらゆらと体を揺らしつつ、近づいてきた。返り血を浴びて薬で目の焦点が合っておらず、その上、怒り心頭で半分理性が飛んでいる状態だ。もし、若様がいなかったら逃げ出したかもしれなかった。
フォーリが若様を抱えるベリー医師の前に立った。
「若様……。私のせいで、傷つけてしまった。」
そう言って、涙をぼろぼろこぼした。眠っている若様の方に手を出そうとして、自分の手が血だらけだということに気が付いて引っ込めた。
「安心しろ。眠っておられるから。」
ベリー医師は少しだけ若様の顔が見えるように、布団をよけた。愛らしい人形のような穏やかな寝顔を見て、フォーリが安堵する。
「血の臭いで目覚めたら困る。嗅覚は眠っていても働くことが多い。」
そう言って、布団をまたかける。
「私が治療して、寝所にお連れする。お前は体を洗え。眠らないようにするんだぞ。後でお前の治療もきちんとするから。」
ベリー医師の言葉を聞いて、フォーリが頷いた。
「それで、そこの部屋にいた者は一人残らず殺されたということです。」
つまり、よく話を聞けばベリー医師も二人殺したということだ。カートン家の先生方も怒らせたら怖い、という話は知っている。だが、こんなに怖いとは知らなかった、とシークは思った。それでも、まだ、現実を見ていなかったので、現実はそれ以上だと後で肌身で感じることになるが。
「お分かりになったと思いますが、彼らは実際に手を出していた。でも、若様には夢だと言い聞かせてあります。ですから、悪夢だったんだと思っています。ただ、実際には体調にも変化があるので、もしかしたら薄々気が付いておられるかもしれませんが。」
シークは考え込んでいた。そこまで実際に年頃の娘に対してするようなことをやったのだ、という事実に多少なりとも驚いていた。国王軍でも男色の傾向は出て来る。どうしても、男達だけの世界になってしまうから、そういうことが起こるのは分かっている。
それにしても、少年に対して大人が、しかも、十何人も同じ過ちをするのかということが疑問でもあった。しかも、王子であると分かっているのに。
「ただ、この事件をきっかけに若様は、監禁中のことを夢にみるようになってしまいました。以前はごくたまにしかみなかったようなのですが…。」
それは…辛い。可哀想だとシークは思った。シークには経験がないが、ベイルはあると自分にだけ、以前、話してくれたことがある。話すのは非常に勇気がいっただろうと思う。入隊したばかりの頃、先輩方が夜な夜な順番にやってくるので、逃げようとしたができなかったと。
それを考えれば、やっぱり十何人も同じ過ちを犯すだろう。王子であっても王妃のお墨付きなのだから。
「…悪夢の内容も、起きたら覚えておられるのですか?」
「いいえ。覚えていません。ですが、夜中に凄まじい悲鳴をあげられることがありますので。宥められるのはフォーリしかいません。私でも時々、失敗します。」
ベリー医師でも失敗するなら、自分達では到底無理である。つまり、できるだけそのニピ族の護衛とセルゲス公を引き離してはならない、ということだ。自分達は徹底的に敵を寄せ付けないように、ベリー医師も含めて三人を守るような護衛を考える必要がある。ニピ族の護衛とベリー医師が戦力になる、と当てにしてはいけない。
「どうかしましたか?」
「いえ、私達が護衛する際、仮に刺客に襲われたとして、護衛のフォーリですか、彼は決してセルゲス公と引き離してはならないと思いまして。先生もですよ。だから、どういう隊形で護衛するのがいいかと考えていました。」
ベリー医師は少し意外そうな表情をした。そのベリー医師の横で、シークは思い当たったことがあった。
「もしかして、馬での移動になりますか?」
「なぜです?」
「もしかして、セルゲス公は狭いところがあまりお好きでないのでは?」
今度は確実にベリー医師は、意外だというようにシークを見つめている。どうやら、あまり気が利かない人物だと思っていたようだ。兄弟姉妹が多かったせいか、シークは余計な気を回してしまう方だ。
「なぜ、そう思われるのですか?」
ベリー医師はすぐには答えない。
「…なぜって、監禁されておられたのでしょう?しかも、その間ずっと虐待を受けておられた。狭い空間、建物、そういう所は嫌な記憶や気持ちを思い出させる。だから、苦手なのではないかと。
護衛がリタの森に行ったのも、単純に刺客を振り払うだけでなく、セルゲス公のお気持ちを考えてのこと、だったのではないかと。違いますか?」
ベリー医師が笑った。自然な笑いだったので、おそらくベリー医師の試験には合格したのだろうとシークは思った。
「まさしく、その通りです。さっき、言い忘れていましたが、鍵と鐘の音も苦手です。鍵は閉じ込められる音、鐘は虐待をされる時の音だったので。」
話を聞けば聞くほど、シークは王子が気の毒になった。そんなことをされれば、周りの大人はみんな自分に対してひどいことをする人だと思わないだろうか。そんな子がちゃんと無事に大きくなれるのか、心配になった。
「何か…?」
「いえ、王子かどうかという以前に、そんなに酷い目に遭っていた子が、ちゃんと人間関係を築けるようになるのだろうかとか、それ以前に生きること自体を捨てたりしないだろうかと思ったので。」
シークの答えがまっとうだったせいか、ベリー医師もひどく真剣な表情で返してくれた。
「常にその心配はついて回ります。だからこそ、まずは信頼できる護衛が必要です。やはり、フォーリ一人では限界があります。彼は有能ですが、できることに限りはある。」
ベリー医師は言った後、何か考え込んでいたが、やがて決意したように言った。
「では、そうしましたら、今から若様とフォーリに会って頂きます。」
「はい、分かりました。」
と答えてから、シークはベリー医師を凝視した。
「!え、リタの森にいらっしゃるのでは?」
ベリー医師はため息をついた。
「なんとか、フォーリをなだめすかしてリタの森から出してきました。私がいない間に、さらに奥に行かれたらたまったもんじゃない。そうでなくても、私の隙をついていつの間にかリタの森に行ってたのに。探すのがどれほど大変だったか。」
「……。」
返事のしようがない。シーク達の代わりに苦労してくれたのだ。
「実は今、若様にはコニュータではなく、隣の別の街にいる、ということにしてあります。先ほどもお話ししましたが、街と言えば建物があり、建物は閉じ込められる場所、と記憶づけられているので。
大きな街であればあるほど、緊張するのです。人と多く会わなくてはならない、ということも若様を緊張させます。役立たずだとか相当言葉の暴力も受けられた様子なので。人と話をするのはかなり勇気がいることなのです。」
歩きながらベリー医師は説明してくれた。
「いいですか、覚悟して下さい。亡きリセーナ妃殿下を小さくしただけのお方です。変わっているのは性別だけ。気をつけて下さい。」
もう一度注意を受けて、シークはこっそり服のピンを抜いておいた。利き手でない左手に握りこむ。もし、万一おかしくなりそうになったら、これでなんとか目を覚ますためだ。
「ここでしばらくお待ち下さい。今、呼んできますので。」
ベリー医師は言って、自然の木立がたっているかのような中庭にシークを残すと、さらに奥に入っていった。
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