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 強引にミハイル様に連れて行かれたのは地下のバーでした。  そこには見知った顔がいくつか並んでいます。次男として爵位を継げずに身持ちを崩した人、没落して爵位を失った者、その他……貴族社会からはみ出した人たちです。  ぎらぎらとした眼差しでねぶられるように見られ、私は恐ろしくてごくりと生唾を飲み込みます。  全員の視線を浴びながらバーカウンターに座らされた私に、ミハイル様は不気味な笑顔を向けてきます。  カクテルが用意されます。琥珀色の美しいお酒に、不透明のオレンジジュースがなみなみと注がれたものです。  ミハイル様は下品に笑います。 「はは……知っているかい? 君の名前『イリス・ストック』はカクテルの名前になっているんだ。高級蒸留酒に市販のオレンジジュースを混ぜて、岩塩をグラスの縁に載せて舐めるのさ。君も飲んでみるかい?」 「結構です。私が呑む水はストック男爵家の水とソラリティカの海水です」 「はは、言うねぇ」  彼はカクテルを煽って飲み干し、アルコール臭い息で私に顔を近づけます。 「イリス。君は実家が潰れて悔しいだろう。僕たちと一緒に貴族の立場を復興させよう」 「私がそんなものに乗るとお思いなのですか?」 「ハッ。イリスの亭主――ストック男爵は所詮元平民だ。元平民に嫁いでそろそろ飽き飽きしたころだろう」  そんなことがあるわけがありません。  私は呆れて言葉も出ませんでした。彼は本当の、目の前にいる私を見ていないのです。  ミハイル様が見ているのは『カレリア家令嬢・イリス』なのです。 「ミハイル様、現実をご覧になって下さい。貴族だから、平民だからと思考停止するのではなく、時代の流れに柔軟に生きていく時代がきています。我が国はこれまで強靭な国軍と島国という立地に守られてきましたが、他国の情報に遅れがちという側面もございます。国王陛下がなぜ、今力をつけてきている平民の方々の地位向上に努めているのか、貴族社会に変化をもたらそうとしているのか、どうか貴族の誇りをお持ちならば、今一度お考えになってください」 「なんだ? 君は、貴族がみすぼらしく平民に屈服させられるのを国のためとでもいうのか」 「そんな事申し上げておりません。国の中でいがみ合いをする事は誰にとっても幸せではないと申しているのです」 「もういい!君がそんなことを言うなんて! ――来い。僕がわからせてやる」  私は強引に手首を掴まれ、奥の部屋に連れて行かれます。  それでも私は冷静でした。  私はルーカス・ストックの妻。落ち着いて時間稼ぎをします。  私がいなくなったことできっと誰かが探してくれている。私は探してくれるルーカスを信じます。  ミハイル様は私を粗末なベッドに突き飛ばし、酒臭い体でのしかかってきました。  私は彼の瞳をしっかりと見つめます。ここで怯んではなりません。 「……ミハイル様」 「なんだ? 亭主より天国に連れて行ってやるぜ?」 「貴方は私をここで抱くのですか?」 「はは、トランプ遊びでもすると思ったのかい」 「もし貴方が私を抱くのであれば、男女の関係の末……私が子どもを身ごもる可能性もあるでしょう」  私の言葉にミハイル様は下卑た欲望の目をします。  怯まず、私は穏やかに話を続けました。 「私の子はカレリア家の血を継ぐ最後の血統となります。ストレリツィ家の血を継ぐ貴方と私の子は、貴族社会の再興を目指す貴方にとって大切な子ではありませんか?」 「当然だ」 「ミハイル様。私は貴方の信念は把握いたしました。それはともかくとして、私は正式な手続きを以て、大切なカレリアの血を継ぐ我が子を抱くことを望みます」 「……」 「どうか今、その場の気持に逸って、のちのち言い訳をしなければならない状況を、互いの家名につけるのはやめにしませんか」  ミハイル様は押し黙ったまま、どうすればいいのか窮している様子です。 「それに」  私は更に一言いい添えました。 「今、私が子を為してしまえば、法律上我が子は貴方の憎きルーカス・ストックの子と認定されます」 「――!!!」 「我が夫の髪は金髪、瞳は琥珀。貴方も金髪です。……それに貴族と違い、血が多く混じった平民の子は、金髪の親から銀髪、黒髪、様々な容姿を持つ子が生まれることも多いです」 「……」 「それでも、貴方はここで、非公式にご自身の子を残す行為をいたしますか」  彼は混乱しています。  その瞬間、どかん、とものすごい音が鳴り響きました。 「な、なんだ!?」  地下のバーは発破音と共に揺れ、一斉に突入する警察の怒号で騒然となりました。 「こ、これは……どうして、……なぜ!」  私は白けた気持ちで、青ざめる彼を見上げていました。ミハイル様は全く分かっていないのです。  活動家になっている貴方の事を、()()()私が知らないとでも?  私が何も考えず、最低限の従者だけを伴い、ストレリツィ家にお茶会に行って、呑気に屋敷に帰る訳がないじゃありませんか。 「……こんな分かりやすい囮に引っかかる時点で、貴方には活動家の素質はないのですよ」 「イリス、お前……!!」  部屋のドアが押し破られ、ミハイル様は私を人質にすることもできず警察隊に捕らえられて行きました。  私が地下を出ると、ルーカスが私を無言で強く抱きしめてくださいました。 「これで、王都警察にも貸しを作ることができましたね……ルーカス」 「馬鹿野郎。囮としてお茶会に行くことまでは許したが、ここまでするとは思わなかったぞ。心配かけんじゃねえ」 「申し訳ありません……」  ごほん、と警察隊の人が咳払いします。  はっと我に返ると、私達は警察隊の方々の前で抱き合い、キスをしそうになっていました。 「……すみません……」  ルーカスは耳の端まで真っ赤にして離れました。 「帰るぞ」
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