番外編6

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番外編6

 カストル卿は予想以上の金額で商品購入の契約を結び、そのままホワイトワンド伯爵夫妻が滞在するホテルに戻っていきました。  彼もこれから、晩餐会の準備に忙しくなるのでしょう。  見えなくなるまで見送って控室に戻ると、皆さん緊張がほどけたのかぐったりと肩の力が抜けていました。  私は対応してくださった方々に感謝の気持ちを伝えました。 「無事に乗り切れたのは皆さんのお陰です。ありがとうございました」 「売れてよかったですね、若奥様」  皆疲れたもののほっとした穏やかなムードです。  しかし。  その中で一人、コルドラさんは納得のいかない顔をしていました。 「何が皆さん、よ。奥様がだいたい全部おやりになったのではないですか」 「そんなことはございません」  私はきっぱりと首を横に振ります。 「コルドラさんのお力添えがなければ、あれだけの商品説明はできませんでした。それに急いで駆けつけてくださったジムさんも、迅速に諸々の準備を済ませてくださったケイスさんも、社長にさっそく報告に行ってくださったドールグさんも、皆さん一人が欠けても対応しきれませんでした」 「あざーっす! 若奥様のお褒めの言葉、光栄ッス!」  ジムさんがびし、とおどけてポーズをとると、皆くすくすと笑って場が盛り上がります。  コルドラさんは一人押し黙っていましたが――その後、私に頭を下げました。 「若奥様、失礼ながらあたしが若奥様を見くびっていたのは確かです。けれども若奥様は確かに、ストック社長が選んだパートナーです……教養も礼儀作法も、とっさの判断も、ただの王都のご令嬢だと思っていて申し訳ありませんでした」 「コルドラさん……」 「ですが!」  コルドラさんは、頭を上げて私をキッと睨みます。 「若奥様がストック男爵夫人であることは認めます。けれど、若奥様はルーカスが欲しかった家族を与えられる人だとは、どうしても思えません。若奥様は確かに『女主人』としては素晴らしい方でいらっしゃいますが……それはあくまで、女主人として、だけです」 「女主人として……だけとは……?」  彼女が何を言いたいのかわからず、私は思わず黙り込んでしまいました。  首をかしげる私に、コルドラさんはふふん、と鼻を鳴らします。  ジムさんがおろおろとコルドラさんを宥めます。 「ま、まあコルドラ先輩、さっすがに若奥様に真正面から反発するのってマズすぎっすよぉ」 「いいの。遅かれ早かれ、私はクビにされるわ。ルーカスもバカじゃないから、あたしがこんな風に若奥様を蔑ろにしてるの、絶対気づいてるはずよ。……それならクビになる前に、あたしは若奥様に、ルーカスについて伝えたいの。それが幼馴染としての私の役目よ」  コルドラさんの勢いに気押され、ジムさんは肩をすくめて口を噤みます。  私は、一歩前に出ました。 「……コルドラさん、一つ教えてください」 「なんですか、若奥様」 「ルーカス様の妻として私に何が足りないとお感じなのでしょうか」 「教えたからって、若奥様がどうこうできる話じゃありませんよ」 「それでも教えてください。私は、ルーカス様の妻としてふさわしい人になりたいのです」  まさかこうして率直に尋ねられるとは思っていなかったのでしょう。  コルドラさんは一瞬、虚を衝かれた表情を見せ――そして、再び強い眼差しで私を見据えました。 「社長……ルーカスは家族を欲しがっていた人です。父親の顔も知らない。お母さんも早くに亡くして。あたしは幼馴染だから知っているけれど、ルーカスは誰よりも苦労をして、寂しい思いをたくさんしてきました。ですから、若奥様のような王都の侯爵令嬢では、家族が欲しかった彼の本当の寂しさを癒してあげられないんですよ。青い血との政略結婚なんて……ルーカスには一番似合わないのに……」  最後の言葉は、私に向けるというよりも独り言のような呟きでした。  以前噂話を盗み聞きした時。  彼女はルーカス様にプロポーズされるかも、と期待していたと聞きました。  期待が叶わなかった彼女は、もうストック商会で働くことすら嫌になってきているのかもしれません。  いわば、やけっぱちの状態です。 「コルドラさん……」 「何か文句がおありですか。今すぐにでも、女主人の権限であたしをクビにしてくださってよろしいのですよ」 「それを決めるのは私ではありません、経営者です」  彼女の自暴自棄な言葉を受け止め、私は静かに言葉を紡ぎます。 「確かに、私はコルドラさんのおっしゃる『家族』というものを知らないのかもしれません。貴族社会では政略結婚が当然で、そこで最も求められるのは『女主人』としての能力です。それに私も母を幼くして失っています」  コルドラさんの目が見開かれます。周りの社員の人々の視線が私に集まりました。 「家族というものを知らない、与えられないと言われれば、ごもっともかもしれません」 「……お母様を……。そ……それは、申し訳ありません……」 「いえ。私が王都でどのような暮らしをしていたのかを皆さんがご存じないのは当然ですので」  その時、ジムさんが話に割り込んできます。 「まあまあ、若奥様は十分ルーカス様にとって良い若奥様ですって!」 「ちょっと……あんたはいちいちうるさいのよ!」  ジムさんはコルドラさんの突っ込みを無視して続けます。 「僕は独身ですけど、若奥様みたいな可愛い奥さんが家に待っててくれるなら、僕はそれだけで嬉しいですけどね! 笑顔が明るくて、ほっとするような人ならそれで僕もう、十分ルンルンしちゃうけどなあ」 「笑顔……ルンルン……帰ったら、ほっとするような……」 「そうそう。あとはあったかいシチューがあったら完璧かな」  コルドラさんがはっとした顔をしました。 「そうよ……手料理よ! あったかな手料理! 手料理なんて、若奥様はお作りになられないでしょう?!」 「たしかに……」  貴族の娘としてキッチンで自ら料理する機会は一度もありませんでした。  むしろ私が暮らしていた頃は、貴族令嬢の嗜みとしてキッチンを覗くことすら厳しく咎められるものでした。  コルドラさんは勝ち誇ったように胸を張ります。 「そういうあたたかな家庭の女というのができないなら、ルーカスの嫁としては失格です」 「つまり、コルドラさんはルーカス様の妻として、手料理を作れるような技量があったほうがいいとお考えなのですね」 「それだけじゃないけど……まあ、そういうことよ」 「わかりました。料理、学んでみます」  コルドラさんが「え?」という顔をします。 「私はルーカス様の妻として、ソラリティカに嫁いできました。『マナーブック』として皆さんに礼儀作法や王都の常識をお教えする立場ですが、しかし同時に私はソラリティカの新参者でもあります。ソラリティカの流儀があるのならば、私もルーカス様の妻として流儀に則り……料理を作れるように努力するのも当然です」  私は、本気です。
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