番外編9

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番外編9

 明日はついに社員昼食会です。  昼食会は港そばに設置されたイベント広場で開かれ、私の料理だけではなく、様々な社員の方々が持ち寄った料理をいただくことになるようです。 「昼間の飲み会みたいなもんだな。っつーか、ソラリティカの連中は皆祭り好きだから、気が付いたら勝手にちょっとした祭りの規模にまで盛り上がってやがる」  ルーカス様のおっしゃるには、どうやら社員昼食会には『ルーカス様の若奥様を歓迎する会』という名称がついてしまったらしく。 「歓迎会なのに主役のお前がそんなに料理頑張るって、わけわかんねえな」 「皆さんに召し上がっていただけるなら、やる気が出ます」 「……で、あんた、夜遅くまで準備してて大丈夫か?」  私たちは今、屋敷のキッチンに並んでいます。  ルーカス様はウイスキーのロックを生ハムをつまみに食べながら私の手元を眺めていて、私はようやく切って炒め終わった食材を手でこねています。 「あとは、明日ひき肉と下準備した材料をこねれば大丈夫です」 「何作るんだ?」  ルーカス様の言葉に、私は「内緒ですよ」と付け加えて背伸びをし、耳打ちします。  彼は私の顔を見ます。 「難しくねえか?」 「はい。けれど……私が一から完璧な料理を作るのはやはり難しかったので……いろいろ考えた結果、この料理が一番、私が皆さんにお伝えしたいことに即しているかなって。失敗も含めて()()です」 「なるほどね。まあ、頑張れよ」  ルーカス様はアイスボックスからひょいと氷を一つとり、私の口に入れてくれます。  ひやっこくて美味しいです。  舐めている私を、ルーカス様はじっと見つめていました。 「しっかし、料理なんて、別にあんたができなくてもいいんだぜ。人間得意不得意はあるってもんだ」  私は氷を飲み込んだ後、ルーカス様の言葉に答えます。 「しなくていいからできないのと、普段はしないけれど、料理を知っているというのは別ですので。おかげさまで、私も料理を通じて知見が広がりましたし」 「へえ?」 「…………ルーカス様」 「ん?」 「今回、私、生まれて初めて、勇気を出して『挑戦』してみたんです」 「どういうことだ?」 「……私、ずっとカレリア家の重みに耐えて頑張ってきたと、それなりに自分で思っていました。思ってましたが……甘えているところもあったと気づきました」  ルーカス様の前では、不思議と思っていることが言葉に出ます。  私も、彼の手元から漂うアルコールの匂いで酔っているのでしょうか。  眼差しとウイスキーの琥珀色、苦味走った、でもどこか甘いルーカス様とウイスキーの匂いに、私は蕩かされているのかもしれません。 「私はこれまで、令嬢として我慢して耐えて、家の為に頑張っていればいいのだと思っていました。けれどソラリティカに来てそれを続けるのは、ある意味『思考停止』だな……と思ったのです」  私は実家カレリア家に残してきた義母と妹を思い出します。  義母はカレリア侯爵夫人の座に就いたけれど、自らを『カレリア侯爵夫人』として変えることを拒みました。  妹であるアイリアを侯爵令嬢らしい娘に教育することをさえ否定し、ただただ甘やかすだけ甘やかして溺愛を続けています。  父もそう。  カレリア家の伝統を継ぐために婿入りしながら、どこまでも自由気ままな次男坊であることを止めませんでした。  しかし、私は今、実家の家族を非難できる立場だろうか、と思ったのです。  私はソラリティカに嫁いで、新興貴族であるストック男爵夫人となりました。  ルーカス様の妻になったのならば、私も『貴族社会しか知らない王都の令嬢』としての今までの我慢すればいいだけの人生から、自分から動き、変わっていかなければなりません。 「私はもう、カレリア家を守ればいいだけの『空気』ではいられません。娶ってくださったルーカス様にふさわしい妻になりたいのですから」  かたん、とウイスキーのグラスが置かれます。  ルーカス様は、私の呟きに静かに耳を傾けてくださいます。  そういう、私にも、私以外にも、誰に対しても真剣に接するルーカス様は素敵だなと思います。 「ルーカス様はおひとりでたくさん努力を重ね、頭を使い、成功なさってきました。それでも掴んだ立場に甘んじず、爵位を得たり販路を広げたり、私という『マナーブック』を娶ったりして、常に弛まぬ変化と挑戦を続けておいでです。そんな素敵な男性の妻になったのですから、私もいろいろ挑戦して、学んで、変わっていかなければならないのです」  私は、ぎゅっと拳を作ります。 「……間違っていたとしても、合っていたとしても、行動して結果を見ないとわからないですし」  そのとき、ルーカス様が私の髪に触れ、そして優しく撫で下ろして下さいます。  ロングヘアの毛先を指先で弄びながら、ルーカス様は私を見て薄く微笑みました。 「俺の為に、ソラリティカに馴染んでくれるってわけか」 「はい。けれどまだスタートラインです。だから、不格好でも頑張るしかないんです」 「なあ、イリス」  彼は私の髪を撫でる手をずらし、そっと、小指で泣き黒子に触れました。  その指の優しい触れ方に背筋が震えます。  甘い電流が走るようなこの気持ち、何なのでしょうか…… 「綺麗だよ、あんたは」 「……あの、両手が食材で汚れちゃっていますが……」  見つめられて触れられて、頬が燃えてしまいそうです。彼はさらに、私に近づいて囁きます。 「料理で汚れた天使がいてもいいってもんさ。指先まで旨そうでいいじゃねえか」 「……ルーカス様はお上手です」 「いいから。ちゃっちゃと終わらせて、さっさと寝るぞ」 「え、」  私は思わず彼の顔を見つめます。 「…………………………!!!」  2,3秒遅れて、ルーカス様の顔がぼぼぼ、と真っ赤になりました。 「くそ、お前、あ……赤くなるんじゃねえ!! 明日に障るから早く寝んぞっつってるだけだ!!」 「あ、はい、あ……そうですよね、すみません、私、変な顔しちゃって……」  その後二人で無言で片付けを済ませ……そして、夜は更けていきました。
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