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初申し込み
志田の内見日は堀川の公休と重なった。失礼なことを言っても尚、結翔で構わないと言ってくれた客だ。事前に物件のポイントは引き継いでいたが、それでも堀川の不在は心細くて仕方なかった。
堀川の仕事で失敗したくない。前日まで部屋が空かなかったため、当日の午前中に大家に頼んで下見させてもらい、堀川ならどう言うか何度もシミュレーションをした。
無事内見を終えた志田を見送り、結翔は笑顔のまま元に戻らない顔を両手で覆った。
――申し込んでもらえてよかった……っ!
四月の研修を終え、五月は一人で頑張るも惨敗。六月は同期の堀川から仕事を教わる――人に言わせれば屈辱的な研修期間だった。しかし、今はこうして少しは堀川の役に立てたことを嬉しいと思う。
「初めての申し込みまで長かったなぁ」
店に戻ると、結翔を待っていたらしい店長に缶コーヒーを渡された。
「はい! あ、でも今日のお客様は堀川の成績にしてください。俺は内見の案内を引き継いだだけなので」
結翔がそう言うと、店長は「お前ら、本当にうまくやってるんだな」と感心された。
「堀川に付いてみて勉強になったか?」
「はい。一緒に仕事をするまで、堀川の営業スタイルって押せ押せだと思ってたんです。店長から言われた通り、口八丁手八丁なんだろうなって。だけど、実際はちゃんとお客様の要望を掴んで、信じられないくらいマメに仕事してました。新規で仲介を取りつけた大家さんも、やり方にはちょっとびっくりしましたけど、すっかり堀川のことを気に入っていて――」
業界の閑散期でも着実に成績を出しているのは、元ホストの接客技術だけではない。誠実な仕事ぶりと、意外と面倒見がいい性格の賜物だ。
「意外と面倒見がいいってのはそうかもな。堀川から、草薙が成績を堀川につけろって言い出しかねないけど、無視しろって言われたし」
「でっ、でも本当に、志田様は堀川が取り付けた申し込みですから」
「はいはい。研修中だし、契約まで至ったら半々でつけるかなー」
本当はまるまる堀川の成績にしてほしかったが、これ以上は堀川も譲らないかもしれない。結翔は店長に礼を言って頭をさげた。
それにしたって、行動を読まれていたなんて恥ずかしい。
「そういや、草薙。宅建取ろうとしてんだって?」
「え、あ、はい」
「堀川が努力家だって褒めてたぞ。まあ、もともと事務職志望だったしな……もし合格できたら事務に戻せるかもしれないな」
「えっ、本当ですか?」
「資格がないとできない仕事を任せられるしな。堀川様々じゃないが、うちも売り上げ的に事務職を置いても文句言われない規模になりそうだし。草薙が宅建士になったら同期で一番乗りだな。期待してるぞ」
結翔は目頭がぐっと熱くなるのを堪えた。
「ありがとうございます……っ!」
――期待してるって言われた……っ!
嬉しくて、今すぐ堀川に伝えたい衝動に駆られた。堀川からすれば、今日の契約申し込みも、店長からかけられた言葉も大したことじゃないかもしれない。しかし、聞いてほしい。
伝えたら、店では見られない笑顔をまた見せてくれる気がした。
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