泥酔2

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泥酔2

 ゴルフの優勝祝いは、渋谷区にある軒先に赤提灯をさげた炭火焼肉の店になった。三階建てで、一階はカウンターが八席と小あがりのテーブル席が三組。他のフロアはテーブル席が五組あるようだが、土曜の二十時でも全フロア満席という盛況ぶりを見せている。薄っすら煙がかった客席の間を、店員が両手にジョッキを持って忙しなく往復していく。 「なんというか、律儀だよな」  冷えたおしぼりで手を拭きながら、堀川が面白そうに笑った。 「約束だったし。お店、お洒落な焼き肉屋かと思ってたら、入りやすくて安心した」 「同伴で洒落た店にも行ったけど、男同士ならこういう店の方が落ち着くだろ」  堀川の選ぶ店が気になり、どこでも大丈夫だからと店選びを任せた。元ホストが知っている店だ。予算は覚悟していたが、油汚れが拭い切れていないメニューを見る限り、どれもリーズナブルでほっとする。  冷たいビールと梅酒で乾杯し、牛タンを網に置きながら話題は陽翔のことになった。 「お前ん家、兄弟揃ってブラコンなんだな」 「陽翔に聞いたよ。なんか、根掘り葉掘り聞いたって……迷惑な客でごめんね」 「いや、それは構わないけど、かなり探り入れられたから心配してんだなって思って」 「何訊かれた?」 「お前とどれくらい親しいのかとか? もちろん、体質のことは言ってない。俺以外知らないんだろ?」 「うん、ありがとう」 「あとは仕事ぶりとか、上司からハラスメント受けてないかとか。受けてるって言っといた」 「変なこと言わないでよ」 「つーか、双子って特別だな。うちの弟は間違ってもブラコンにはなんねぇだろうから」  しかし、本当のブラコンが「酔った勢いで迫ってこい」――なんて、そんな雑なアドバイスをするだろうか。とりあえず言うことを聞いてみようとしている結翔も結翔だが。 「なあ、ピッチ早くないか?」 「明日休みだし、ちょっと酔いたい気分で……」 「何かあったのか?」 「ううん」 「まあいいけど、また自分で帰れなくなんぞ」 「そしたら、また送ってくれる?」 「お前の家、うちと反対方向だってわかってるか? 送らせるなら泊めてもらうからな」 「うん、泊ってっていいよ」  言いながら嬉しくなってくる。うちに泊まってもいいと思うくらい心を許してくれていると確かめられて。 「俺が宅建に合格したら、お祝いはこの店がいいな」 「そんなに気に入ったのか?」 「うん」 「気に入って良かったけど、合格祝いはさすがに洒落たとこ探させろよ」  椅子から立つと予想以上に酔っていた。しかし、計画通り見かねた堀川がタクシーで自宅まで送ってくれた。  堀川を家に招き入れるのは何度目だろう。ベッドの縁に座らされ、アパート前の自動販売機で買ってくれたミネラルウォーターを渡される。水道水は嫌だと結翔がごねたからだ。  喉を鳴らして飲みながら、口の端から零れた水を手の甲で拭う。ペットボトルを半分ほど空けたところで、息を吐くと堀川に苦笑された。 「顔真っ赤。強くねぇのに何でそんなに飲むんだよ。酔って陽気になるタイプじゃねぇだろ」 「そうだけど……」  口は悪いが声は優しい。怒られているのに嬉しくなる。  初めて酔って送ってもらったとき、堀川が苦手だった。最近のことなのにもう随分前のことのように思える。随分前から、堀川に片思いをしている気分になってくる。 「冷房、もうちょっと下げるか?」  陽翔から「距離を詰めろ」「手を繋いでみたら」と言われたときは、できないと思った。しかし今、額に貼りつく前髪を除けてくれる手に触れたいと思っている。 「どうした? もしかして吐きそうとか?」  ――キスしたいな……。  一度キスされたとき、堀川が「そういう空気」と言っていた。  今、その空気は流れているだろうか。結翔からキスしても大丈夫だろうか。好きな人がいても他の人とキスできるのだろうか。  堀川を見上げる目に熱がこもる。 「草薙? えっ、おい……っ!」  力任せに堀川のTシャツの襟を引っ張り、近づいてくる唇をベッドから腰をあげて迎えにいった。情緒もなく唇がぶつかり、二人してバランスを崩してベッドに倒れ込んだ。 「おい……っ!」  天井と堀川の驚いた顔が見える。上から退こうとする堀川を引き止め、もう一度唇を重ねに行く。  堀川がされるがままなのを良いことに、何度も唇を啄んだ。しかし、無反応に焦れて、下唇を舌先でくすぐる。 「……っ」  堀川の喉が鳴った気がした。  ベッドに押し倒され、キスをしたまま両手で頬をすくわれる。顎を突き出すように顔の位置を固定されると、開いた歯列の隙間から堀川の舌が口腔に押し入ってきた。 「ん……っ、ぅ……」  舌の縁を舐められ、驚いて奥へ逃げると追いかけてきた舌先で優しく宥められる。うまく息が継げず頭がぼーっとしてくる。ずっとこうしていたいほど心地よかったが、堀川はすぐに唇を離して苦い表情を浮かべた。 「お前、酔ったらキス魔になるクセ持ってたのか?」 「キス魔……」 「そう」 「違う、したいと思ったから」 「あー……、前送ってきたときはンな酒癖なかったのにな」 「今は、堀川が好きだから」  気持ちが口を突いた。しかし、告白を自覚する前に、目を丸くしていた堀川が苦々しく息を吐いた。 「それ、冗談のつもりで言ってんの?」  そう零す堀川の視線は結翔の腹に向けられていた。スラックスのフロントが内側から緩く押し上げられていた。 「俺が体質のことを知ってるからって、質の悪い冗談だったら止めてくれよ?」 「ちが、冗談じゃ……っ」 「じゃあこれは?」 「これは……」  服の上から股間を確かめるように手を添えられる。キス一つで興奮するのはおかしいだろうか。 「その手の好きって、言われ慣れてんだけどな。お前に言われるときついな」  堀川の顔が陰っていく。 「冗談なんて言ってない……っ、これはキスが気持ち良くて……っ」  嘘をつけない体質なのに、こんなときにも信じてもらえないなんて。驚いてそれ以上説明できなかった。 「悪い。あんなに股間で確かめるなって言われたのに、ちょっと今混乱してる」 「ほ、んとに好きで……」 「俺も」 「へ……? す、好きな人は……?」 「お前」  だとすれば、両想いのはずだった。 「ただ、この話は酔ってないときにしないか? ベロベロでする話じゃないだろ。明日になって覚えてないって言われたら、それはまたキツイし」  引き止めようとしたがダメだった。堀川は床に置いたビジネスバッグを手に持ち、戻ってきて結翔の頬を撫でた。 「人の手の方がいいって言ってたけど、今日はさすがに手伝えねぇから自分でな。あ、でも、抜いても風呂入ったりすんなよ。お前、酔ってんだから溺れそうで怖ぇ」  ティッシュ箱を足元に置き、堀川が部屋を出ていく。  しばらくの間動けずにいた。下げられた空調が効きすぎて、体が震えたところでようやく、結翔は薄掛け布団にくるまった。  酔った勢いでした告白が大失敗に終わった。気持ちを信じてもらえなかった事実が、ベッドに残された結翔を愕然とさせた。
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