営業成績

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営業成績

 カリテ不動産は、関東圏を中心に不動産売買と賃貸の両方を取り扱う不動産会社だ。結翔が配属された渋谷店は賃貸仲介の専門で、日々、部屋を借りたい客が店を訪ねてくる。  渋谷店の社員はルームアドバイザーと呼ばれる営業が十名で、平均年齢は二十代後半。宅地建物取引士の資格を持つベテラン社員が二名いるものの、店長でさえ三十歳という若い店舗だ。  月初めの朝礼では、賃貸契約の成約件数による前月の営業成績が発表される。  入社3か月目の今日から、4月入社の結翔たち新入社員3名もそれに加えられることになっていた。  入社1ヶ月目は先輩社員についてOJT研修を受けながら、目標を持たずに実業務を経験する。2か月目から目標を持ち、一人の営業社員として独り立ちした。  ――その成績が発表される。そう、成績が。 「トップは堀川(ほりかわ)で30件。入社2か月、しかも5月でこの成約件数は異例だぞ。ベテラン勢も見習え」  ――さ……、30って、新卒の目標は5件なのに?  目を見開いたまま、結翔は他の社員と同じように隣の席の堀川へ拍手を送った。 「堀川、何かコメントあるか?」 「いえ。今月も気を引き締めて頑張ります」  堀川はたいして喜ぶそぶりも見せず、周囲に会釈して場をやり過ごした。  堀川悠真(ゆうま)は入社したときから目立つ存在だった。ゆうに180はある長身に、スーツを着こなせるスタイルの良さもさることながら、元ナンバーワンホストという甘い顔立ちが周囲の目を惹いた。入社式で一人だけ明るい茶髪だったのもインパクトが大きかった。就業規則上は問題ないし、髪型はナチュラルショートに整えられていたが、先輩社員からの印象は良くなかったようで、店にいると堀川へのやっかみをよく耳にした。  愛想がよく、仕事もできる。しかし、客と距離の近いホストまがいの接客、異例の成績の良さは枕営業だろうと噂されている。それに加え、大家からマージンを受け取っているだの、堀川の酒付き合いの悪さにまつわる憶測や高卒という最終学歴、字が汚いなんてことまで。その場に居合わせるたび、本人が聞いたら……と胃が痛くなるような話ばかりだ。  そこで止めに入れればいいが、実は結翔も堀川のことは苦手に思っている。噂に聞くような理由ではなく、堀川の方が結翔を嫌っているからだ。  以前、残業の手伝いを申し出たら、いつもにこにこしているはずの堀川に目も合わせず断られた。到底一人では終わらない仕事量なのに、申し出さえ迷惑だと言わんばかりの不機嫌な態度だった。  不動産仲介における営業の仕事は大きく二つに分けられる。  一つは、部屋を探している客を相手にする仕事だ。物件の紹介、内見の案内、部屋が決まれば契約書を作成・締結、鍵の手配から部屋の引き渡しと多岐にわたる。  もう一つが、入居者を探している大家を相手にする仕事だ。仲介契約をしていない物件の大家の元へ赴き、紹介させてほしいと営業をかける。紹介できる物件が増えるほど、客の契約成立にもつながりやすく、物件管理を任せてもらえれば、管理料が発生して会社の売り上げにもなる。管理というのは、入居者が退去するときのリフォームや、家賃を滞納している入居者への督促など。クレーム対応を引き受けるケースもある。  営業と事務を分業できない店では、成約件数に比例して仕事が増える。堀川のように毎日一件以上のペースで契約を取り付けている場合、終電で帰れないなんてざらだ。  結翔がWEB掲載用の物件紹介文を書くため残業していると、必ず堀川も残っていた。他の社員が帰ってしまい、事務所で二人だけになったことは数知れない。  結翔が残業をするのは、営業が不得意な分を事務で挽回するためで、契約書類を作るような急ぎの仕事があるからではない。  ――同期なんだし、事務仕事くらい協力するのに……。やっぱり役に立たないと思われてるのかな……。 「草薙!」 「っ、はい!」  堀川の背中を眺めていると、店長に呼ばれて声が上擦った。 「後で話があるから。朝礼が終わったら席まで来い」 「は、い……」  店長の声が低い理由はわかっている。  好成績の堀川に対し、結翔は新入社員の中でも最下位なうえ目標未達――どころか、成約件数0件というカリテ不動産史上最低の記録を叩き出してしまったのだ。  事務職として入社したはずが、蓋を開けてみれば人手不足により営業をさせられている時点で理不尽なのだが、唯一採用してくれた会社に強く訴えることもできなかった。  薄々気づいていたことだが、人の入れ替わりが激しい分、会社の採用基準が甘かったのかもしれない。他店舗の同期は、すでに何人も辞めていると聞いた。  ――営業が嫌っていうか、うっかり建前めいたことを言って勃ったら大惨事っていうか……。  接客中、客から想定外の質問を受け、危機に直面しては警戒して黙る。その繰り返しを不審に思った客は退店。結翔が成約までたどり着いたことはない。 『大きな公園が近いってことは、虫が多かったりしません?』『ベランダが西向きってことは、西日がきついですよね?』等々。  上手いこと切り返せればいいのだが、『その分、人通りも多くて治安がいいですよ』『冬場でも洗濯物の渇きが速いですよ』なんて回答を思いついても、客の指摘はごもっともで。なんだか嘘で丸め込むような気分になって、体質による失態のリスクを考えると、怖くて何も言えず頷いてしまうのだ。  接客が壊滅的な分、せめて同期で一番に宅地建物取引士の資格をとろう。資格所有者しか担当できない業務を任せてもらえれば、少しでも役に立てる。そう意気込んでいた。資格取得には宅建業での2年以上の実務経験が必要で、結翔はその代わりとなる講習を仕事と並行しながら受講していた。 「草薙。目標未達が三ヶ月続くと、営業手当十万がカットになるのはわかってるな?」 「……はい」 「研修明けとはいえ、さすがに契約0件は先が思いやられるというか、その綺麗な顔で0件ってのもなぁ」 「申し訳ありません……」 「謝ってほしいわけじゃないんだよ」  結翔は唇を噛んだが、店長はどこか芝居がかった口調で話を続けた。 「そこでだ。新卒の研修期間は終わったが、お前だけ特別。今月は堀川に付いて仕事のこつを盗め」 「へ?」 「じゃないとお前、八月の給料とんでもないことになるぞ? 口下手なお前には堀川の口八丁手八丁な接客がちょうど勉強になるだろ」 「いや、俺には――」 「新卒に辞められたら俺の評価に関わるんだよ。それはわかるな?」 「わ、わかります」  動揺を隠せない結翔をよそに、店長が堀川を呼びつける。 「俺、同期なんですが。そういうのって先輩社員がやるものじゃないんですか?」 「その先輩社員が一ヶ月やってこの結果だろうが。別に、お前の時間を割けって言ってるわけじゃないんだ。ただ、帯同させて仕事を盗ませてやってくれってだけ。それに、草薙は書類仕事は得意だぞ。なあ?」 「あの、事務は、はい」  一瞬、堀川の爽やかな顔が曇った気がした。 「それに、堀川は同僚とのコミュニケーションが足りない。話し相手ができて丁度良いだろ。新卒のときの同期は一生もんだぞ? これは店長命令だから。成績は契約を取り付けた方につける。それで問題ないだろ? お前ら、足して割ったらちょうど良い気がすんだよな」  店長は名案とばかりに堀川の背中を叩いた。 「わかりました」 「草薙は?」 「はい、俺もあの、わかりました。堀川、一ヶ月よろしくね」  ――立派なサラリーマンになるって、陽翔に約束したのに……。 「じゃ! そうと決まれば、今晩はお前らの親睦会だな!」 「俺、作らないといけない書類があるので」  席へ戻ろうとする堀川を掴まえ、店長は苛立ちを隠さず微笑んだ。 「それは草薙が手伝うから。なあ?」  頷くしか選択肢がない「なあ?」だった。結翔はこくこく頷き、重い空気の中を堀川について席に戻った。
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