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泥酔 ※
「おい、鍵は?」
担がれた腕が痛い。
「ん……鞄に……」
「鞄にじゃねぇよ。自分で出せ」
すぐ近くで不機嫌そうな声が聞こえたが、瞼を開けるのがやっとなのだから動けなくても許してほしい。体が重くて動かせない。
「お前、酒強くないんだろ? バカ真面目に上司の酒飲んでないで、適当に理由つけて断れよ。営業のくせに、自分の面倒も見れなくなるほど酔うな」
誰かわかりませんが、おっしゃる通りだ。
ドアを開ける気配がして、靴を脱がされ、気づけばベッドに転がされていた。布団の上で丸まるとわずかに自分の匂いがして落ち着く。
「おい、まだ寝るな! スーツが皺になるだろ、先に着替えろ」
ジャケットとスラックスを引き剥がされ、舟を漕いでいるとグラスに注いだ温い水を渡される。水道水くさい。
「う……、カルキが……」
「バッ! 寝惚けてんのかよ! 半分以上溢してんじゃねぇか……。ったく、拭くから奥寄れ」
押しやられ、濡れたシーツの上から大人しくベッドの隅に移動する。
男は文句を言いながらも甲斐甲斐しく世話をしてくれる。ずいぶん親切だが、頭が回らずまだ誰かわからない。知らない人を部屋にあげてしまった。
「仕事のこと、俺に期待すんなよ。他人の世話できるほど余裕ないから。こっちは成績出してさっさと売買に異動してぇの。つーか、仲介なんて客の機嫌さえ損ねなけりゃ目標の契約くらい取れんだろ。お前、事務の方が向いてんじゃねーの?」
本当に飲み過ぎたようで頭がまわらない。ただ、理由も知らないやつに好き勝手言われてムッとした。言い訳じみたことは、なけなしのプライドにかけて言うつもりはなかったのに。
「俺だって、好きで営業になったわけじゃない……」
「は?」
「事務で採用されたのに、入社したら、人が足りないからって、運転免許持ってるなら営業やれって、初日に人事異動で……。俺だって、本当は事務が良かったよ……。こんな体質抱えて営業なんて……顔で契約が取れるなら取りたいよ……」
皮肉っぽい言い方になっていた。
頭上から溜息が聞こえてくる。
「お前、俺のやり方盗めって言われて、よくハイハイ聞けるよな」
――え……?
男が面倒くさそうに顔をあげた。目が合い、結翔はそこでようやく介抱してくれていたのが堀川だと知った。
不機嫌を隠さない堀川は話し方もまるで別人だった。夢でも見ているのかと混乱する。
「俺のこと、監視しろとでも言われたか?」
「は、はあ? そんなわけない! ただ、仕事辞めたくないし……」
「だってお前、俺のこと苦手だろ?」
そう訊かれて、言葉に詰まった。
「目合うとびくびくするくせに」
「そ……」
堀川は苦手だ。元ホストだけあって客への愛想はいいが、本心がわからないうえ、堀川こそ結翔のことを嫌っている。それにこの二重人格のようなつっけんどんな態度。
ただ、ここでバカ正直に『苦手』と答えるのは憚られた。これから一ヶ月も世話になるのだから尚更だ。
――どうしようどうしようどうしよう。
堀川はじっと結翔を見ながら反応を待っている。その目力に耐えきれず、結翔は目を逸らした。
「草薙?」
「……そ、んなことないよ」
「へえ?」
そこで話が終わることを期待した。しかし、堀川の視線は結翔に留まった。まるで針で突かれている気分だった。
「男って、嘘つくときに目逸らすの知ってるか? 女は洗脳しようとするみたいに真っすぐ見つめてくんだけど――、って、草薙?」
「っ、ごめん……」
結翔は膝を体に引き寄せ、下肢に集中した熱が分散するように息を吐いた。
堀川の目が足の間から、結翔の膨らみに向けられる。スラックスを履いていない所為で、伸縮性のあるボクサーパンツを押し上げる形を誤魔化すことはできなかった。
「……どこに勃つ要素があった?」
「違っ、そ、そういう体質で……っ、嘘つくと体がこう……」
「はあ? なんだそれ?」
「高三の時からこうで、人前で突然勃起するなんて変態だし、建前も言えないから、あんまり親しくない人と話さないようにしてるっていうか……」
理解に苦しむようで、堀川の眉間に皺が寄る。
「建前って……、ってことは、やっぱ俺のこと苦手なんじゃん」
「そ、れは……」
「嫌われ慣れてるし、気ぃ遣われる必要なかったんだけど?」
結翔は首を振った。
「ごめん、でも、堀川と溝を作りたくなくて……」
久しぶりの発作で体の反応がきつかった。張り詰めた性器は焦燥感や射精欲だけでなく痛みを纏っていた。まだ触ってもいないのに、興奮が募って下着に先走りのシミが滲み始めている。
「っ、は、ぁ……」
「……とりあえず抜いてこいよ。それ、見るからに勃ち過ぎてて、こっちまで痛ぇわ」
「……こ、腰が抜けて立てない」
結翔がそう言うと、堀川は長い溜め息を吐いた。
堀川の反応一つ一つが怖い。初めて人に知られた。呆れられたか、気持ち悪いと思われたか。よりによって相手はあの堀川だ。しかし、怖くても逃げることも取り繕うこともできない。
「なら、もう帰るしここで抜け」
テーブルのティッシュ箱が足元に置かれ、結翔は目を瞬かせた。たかがティッシュなのに、見ただけで胸が締めつけられる。
「なんだよ。使うだろ?」
「俺、気持ち悪くない……?」
「気持ち悪ぃって……ンなこと思わねぇけど、まあ、厄介な体質してんな、とは思うな」
「厄介……」
それだけ? 泣きそうになる。
「ティッシュ、ありがと……」
「じゃあ帰るから、玄関の鍵も後で掛けとけよ?」
「送ってもらったのに、お礼もしなくてごめん、仕事はちゃんと、迷惑かけないようにするから……っ」
「ちゃんとって、それ、成約一件でも取れるやつが言うセリフなんだけど?」
その言い方があっけらかんとしていて、結翔は思わず笑ってしまった。腹筋が揺れて下肢に響く。
「……ぁ」
小さく喘いだ結翔に、堀川が「じゃあな」と玄関に向かう。
部屋と廊下の間にある扉が閉まったのを確認し、結翔はさっそく下着に手を入れた。下腹を覆う甘苦い衝動はもう限界に近かった。
性器の先端からは下着を湿らせるほど蜜が零れている。ぬめりを塗り広げるように性器を擦ると、勃ち過ぎて感じていた痛みが快感で上書きされた。
「あ……っ、ん……っ」
しかし、どうも解放の糸口が見つからない。手の速度をあげ、弱い箇所を丹念に擦っても快感の水位があがらない。握る力を強くしたところでダメだった。
「なんで……?」
久しぶりだから? 初めて自分の秘密を人に共有して混乱している?
自分の手ではどうにかできそうになかった。結翔は泣きそうになりながら腰をあげ、ラグの上でうつ伏せになった。こんな姿勢で自慰をしたことはないが、やり方としては知っている。床に性器を押しつけ、そろそろと腰を動かす。しかし、性器に強い刺激が走り、結翔は「イタッ!」と叫んでいた。
すると、どたどた足音がして部屋の扉が開いた。尻を丸出しにし、床に伏せた間抜けな状態で、顔をしかめた堀川と目が合う。
「何してんの……?」
「これは……」
堀川こそ何をしているのか。帰ったんじゃなかったのか。すべて顔に出ていたようで、「勝手にトイレ借りてた」と聞かされる。
「床でオナんのが好きなの……?」
堀川の声には困惑が混ざっている。
「ちが……っ、これはイケなくて……っ」
言いながら情けなくなってくる。どうしてこうも間抜けなところばかり見られてしまうのか。声に涙が滲んだ。ラグに伏せたまま動けずいると、堀川が頭上でしゃがむのが見えた。
「イケなくて床?」
「はい……。他に思いつかなくて……」
ため息が聞こえる。情けない。
「お前、男いけるやつ?」
「……男……?」
質問の意味を理解できないでいると、今度は舌打ちが飛んできた。
「じゃあ目ぇ瞑ってろ。手伝ってやるから」
「へ? ……っ、あっ!」
堀川はそう言うと、寝ていた結翔の腰を掴んだ。尻を高く上げさせられ、背後にまわった堀川にすべてを見せつけるような、あられもない恰好をさせられる。
「ちょっと……っ」
「赤くなってんじゃん。どんだけ力任せにやったんだよ」
堀川の手が背後から結翔の昂ぶりを握った。人に触れられるのは初めてで、ぶるりと体が震える。急所を委ねる怖さと未知の快感がごちゃ混ぜになって襲ってくる。
「気持ち悪ぃ?」
気持ち悪くはないが、いくら何でも面倒見が良すぎる。介抱の域を超えている。
首を振って答えると、堀川の手はゆるゆると結翔を慰め始めた。力加減もリズムも自分でするのとは違う。結翔は与えられる刺激に感じ入りながら、無意識に腰を揺らしていた。しかし――
「イケない……」
気持ちいいのにダメだった。
「今日はもう、イケないのかも……」
「苦しくねぇの?」
「苦しいけど……、でも……」
結翔が口籠ると堀川がキッチンに立った。このまま放置されるのかと思ったが、戻ってきた手にはオリーブオイルを持っている。
「顔伏せとけよ。絶対こっち見んな」
「な、何?」
「前立腺マッサージ」
「ぜ……」
尻にオイルをかけられたのか、撫でている手の滑りがいい。
「店の女の人にされてる想像でもしてろ」
「ちょっ、待って! お尻って、ああ……っ」
戸惑っている合間に、堀川の指が後孔の襞を撫でた。オイルの滑りを借りて、その指が難なく中に入ってくる。痛みはないが異物感は否めない。
結翔はラグに胸を押し付けながら、浅い呼吸を繰り返した。
指先が窄まりの中の肉壁を撫でる。腹の内側の一カ所を押されたとき、結翔は喉を引きつらせて喘いだ。
「ここか」
「な、に……? 気持ち悪い……っ!」
「まじで気持ち悪い? イイはずだけど」
堀川はそう言うと、結翔の一カ所を執拗に指先で弾いた。その過剰な快感に膝が笑って尻をあげていられなくなる。
「あっ、やぁ…っ、んんっ、ふ、ぅん……っ」
結翔はラグを握り締めながら、与えられる快感に背中をのけぞらせた。再び性器から溢れ出した蜜がラグにシミを作る。
「もっ、あ、ん……っ、もうイキたい…っ、前も擦……っ」
我を忘れ、はしたなく性器に手を伸ばす。
「あ――……っ!」
呆気なかった。あんなにイケなかったのにティッシュが間に合わず、放出した白濁でラグを汚した。
やっと迎えた解放感だった。後孔から指が出て行き、結翔は力なく床に体を投げ出した。
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