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堀川の元客
営業成績一位の業務量は、書類作成だけ考えてもよく一人でこなしていたと驚くほどだった。事務仕事の好きな結翔でさえ、契約書の内容を読みながら、物件の取り違えやケアレスミスをしないか心配になる。堀川にいたってはパソコン仕事が苦手だというのだから尚更だっただろう。
それでも、以前の堀川は結翔の申し出を退けた。面倒見がいいからこそ、すべてを自分でやってしまいたい――人に甘えられない質なのかもしれない。一緒にやっている今だって、結翔が率先してやらないと、簡単なことは一人で処理してしまう。
仕事を教わっている身とはいえ、堀川の世話になりっぱなしで終わりたくない。同期なのだから、できるなら肩を並べて働きたい。堀川が現在進行形で抱えている案件はすべての書類に目を通し、接客以外の手続きは結翔が引き受けた。
もともと結翔の減給回避のために設けてもらった研修だったが、いつの間にか堀川の役に立ちたい一心で仕事をしている自分がいる。
――やっぱり、事務が向いてるんだろうな。
午後に来店予約のある客の資料を揃えながら、結翔はむず痒い気分を味わっていた。
「ユウマ!」
――ゆうま……悠真。あ、堀川か。
白いレースのミニワンピースにmiumiuと書かれた水色のショルダーバッグ。茶髪のポニーテールは高い位置でまとめられ、艶やかな毛先はふわふわと波うっていた。
着飾った装いで来店した二十代後半と思しき女性は、堀川を見つけるなり顔を綻ばせた。
「琴乃さん、こんにちは。今日は髪の毛アップにしてるんですね。ワンピースにも合ってるし、涼しげで素敵です」
堀川は笑顔で女性を席に促している。その隣に控えながら、結翔は心の中でツッこまずにいられなかった。この接客では『ホストまがい』と言われても文句を言えない。
今日の客は堀川の昔の客――看護師の志田琴乃だ。
以前、堀川が家賃を滞納していた入居者に部屋の借り換えを持ちかけた。その際に部屋を紹介したい人がいると言っていたが、それが志田だった。物件紹介は堀川が済ませており、今日は契約内容の確認と、まだ入居中である部屋の内見日を決めるため――に来店するはずだった。
「一年以内の退去で違約金?」
堀川が契約内容を確認していると、笑顔だった志田の表情が引きつった。
「二年の定期借家契約ではあるんですが、一年内に途中解約する場合、入居期間に応じて最大三か月の違約金が発生する契約です」
「三ヶ月って、30万弱ってこと?」
「そうなりますね。一年以内に引っ越しそうですか?」
「だってそれって……」
「琴乃さん?」
志田はどこか悄然としていた。内見日を決め、三十分ほどで終わるはずのアポだったが雲行きが怪しい。
口を閉ざす志田を前に、堀川からお茶を入れてくるよう頼まれた。もしかすると、二人の方が話しやすい事情があるのかもしれない。
結翔は頷いて給湯室に向かったが、堀川と志田が応接室に入っていくのが見え、あわててティーサーバーのボタンを押した。
――今、志田さん泣いてなかった?
堀川に支えられながら応接室に入っていった志田は、目元を押さえているように見えた。加えて、堀川にしなだれかかる様子は、個室で二人きりにすることに嫌な予感を抱かせる。
堀川が本当にホストまがいの営業をしているなんて想像できない。先月までは所内の噂を否定できなかったが、今は堀川の成績が客への親身な接客によるものだと確信している。
ただ、擦りガラスになっている応接室のドアには、二人が抱き合うシルエットが透けていた。
「……失礼します」
応接室に入ると、案の定、泣いて縋りついてくる志田を堀川が抱きとめているところだった。どう声をかけるか考えあぐねた結翔に、堀川が部屋から出て行くよう顎をしゃくってくる。
「お茶だけ置いてって」
こちらに向けられた堀川の目は、まるで邪魔者でも見るようで、結翔は湧きあがる憤りを隠しきれなかった。
自分だって困った顔をしているくせに、やはり一人で何とかしようとしている。事務仕事を任せてくれるようになったとはいえ、頼りにされているわけじゃない――。
「志田様、大丈夫ですか?」
「あ、おい……っ」
空気を読まず部屋に入り、結翔は堀川の胸に顔を埋める志田に声をかけた。志田からも二人にしてほしいと言われるのはわかっていたが、ここはホストクラブではないし、堀川もホストじゃない。
「体調が悪いようでしたら、私も堀川も外させていただきますので回復されるまでお休みください。もし、堀川に不手際があって、志田様にご不快な思いをおかけしていた場合は、再発防止のためにも私も同席させていただきます」
「……プライベートなことだから、あなたには外してほしいんですけど」
「プライベートなことでしたら、閉店後にお願いできないでしょうか。今ここにいる堀川は、ホストではなく当店のルームアドバイザーですので」
志田の顔がみるみる赤くなっていく。
堀川は呆れているようだった。
「私にはホストがお客様に何を提供するのかわかりませんが、ルームアドバイザーがお客様に提供するのは良いお部屋です。堀川が志田様にどうお部屋をご紹介したのか把握できておりませんが、私は、志田様が今お住まいの近くに小学校があって、お仕事柄、日中に眠りたくても大きな声に悩まされているというのを堀川が覚えていたので、今回の静かなエリアで、かつ夜でも駅からの道が明るいお部屋をご紹介したと認識しております」
志田は堀川を見上げて驚いていた。
「堀川はご説明しませんでしたか?」
「……本当だったんだ、と思って」
「本当だったんだ、って?」
志田は目線を床に落とし、静かに堀川から離れて話しはじめた。
今日店を訪れたのは、本当に部屋を探していたわけではなく、ただ堀川に会いたかっただけだと。堀川が引退して会えなくなった後、一番の客でもなかった自分に連絡をくれたことが嬉しかったと。
堀川の職場を知ってまた繋がりを持てると期待したのに、賃貸の契約期間が最低一年と聞いて、違約金を支払わなければ一年以上も堀川に会えないとショックを受けた。そこから、堀川が物件を紹介してくれた理由も忘れ、金目当てで呼ばれたのだと思い込んで泣いてしまったと言う。
――堀川の言ったこと、信じてくれてなかったんだ……。
ホストだった頃の堀川は、客に金を使わせることに必死で、駆け引きめいたこともしていた、と言っていた。嘘をつけない体質の結翔にとって、仕事のために使う言葉を選んだり、空気を良くするために建前を遣ったりできるのは羨ましい。ただ、それが元で人から信じてもらえなくなるのは望むところではない。
堀川は黙っていたが、その表情は陰っていた。本当のことを言ったのに信じてもらえない辛さは、結翔も経験がある。
「あの、堀川って、入社していきなり店舗の営業成績一位だったんです。私は先月の最下位だったんですけど……」
「草薙?」
「その所為で、今月は堀川に付いて仕事を学ばせてもらってるんです。今日で三週間くらいですけど、堀川が一位なのは、口先じゃなくてお客様一人一人にあわせた親身な提案の結果だと思ってます。最下位の私じゃ説得力ないかもしれないですけど、ルームアドバイザーとしての堀川の仕事は保証します」
ただ、堀川への気持ちは結翔では何もできない。
一瞬で感情が乱れるほど好きな相手に、どうすれば折り合いをつけられるのだろう。
「新しいお部屋選びが、堀川がきっかけでも良いと思います。ただ、志田様が暮らしていくお部屋ですので冷静にはなってほしいです。帰宅するたびに今日のように涙が出ないか、堀川がご紹介した部屋に毎日楽しみに帰れるかどうか」
これは、結翔が一人暮らしを始めたからこそ思うことだった。新しい家で少し浮かれてほしい。
志田は少し考えた後、部屋の内見をしたいと申し出た。
「担当は草薙さんにお願いできませんか?」
「へ? あ、でも、私は研修中で……」
「いいです。ユウマが一緒だと、私はきっと部屋を見られないから」
そうは言っても、結翔が内見の案内をして契約成立まで至ったことはない。堀川の仕事が水の泡になる可能性だってある。
「あ……、いや……」
「わかりました。草薙に案内させます」
「えっ」
「琴乃さんに見ていただきたいポイントは、ちゃんと草薙に引き継いでおきますから」
その後、結翔に口を挟む隙はなかった。
あれよあれよという間に内見の日程が決まり、今の入居者から鍵が帰ってくる翌日――清掃もしていない状態で、結翔が志田を案内することになった。
「入居時の条件と、費用の概算です」
志田は気恥ずかしそうに堀川から資料を受け取った。
「ユウマ、今の方が優しい気がする」
「そうですか? 俺としては変わってないつもりですけど」
「お金にガツガツしてない感じ」
そう言われた堀川は苦笑していた。
営業スタイルからも、堀川が営業成績にこだわっているのはわかるが、そこまで金にがめつい印象は受けない。ルームアドバイザーによっては、成績に直結する仲介手数料の高い物件ばかり紹介する人もいるが、堀川にはそれがない。
――ホストだった頃の堀川って、どんな感じだったんだろ……。
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