特殊体質

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特殊体質

 1Kのアパートに越してきて一週間。実家から運び入れたダンボールが片づいたのは昨晩のことだ。九畳の部屋には、幼い頃からのお年玉貯金で購入した家具――ベッドとテレビ台、ラグ、一目惚れしたローテーブルとビーズクッションを置いた。ナチュラルウッドとアイボリーを基調に、アクセントとしてクッションでグリーンを取り入れたコーディネートはリラックスできて気に入っている。  アパートの築年数はそれなりだが、内装はリフォームされたばかりで壁もフローリングも新しい。壁の薄さと水回りの古さ(水道の蛇口はレバーを下げると水が出てくるタイプだ)が課題だが、会社が格安で貸してくれている部屋だ。渋谷にある職場からドアtoドアで二十分という立地を考えても、一つだって文句は言えない。  念願の一人暮らしに、新しい生活、新しいスーツ。鏡に映る草薙結翔(くさなぎゆいと)の顔は、緊張しつつもどこか浮かれていた。  社会人になって一着目のスーツは、フレッシャーズにおすすめと言われた濃紺した。インナーのワイシャツは白で、ネクタイはスーツにあわせた水色のドット柄。伊達メガネをかけるか悩んだが、これまでの経験から不要と判断した。  白い肌に細い顎。黒髪を七三分けにセットすると、長い睫毛に縁どられた大きく丸い目が目立つが仕方ない。サラリーマンは清潔感が第一。 「一緒に入社式出たい」 「入学式じゃないんだから無理だよ」  結翔は苦笑し、不満げな声の主に目を向けた。鏡越しに結翔と瓜二つの顔が頬を膨らませている。 「それに、陽翔(はると)と双子だっていうのは会社には黙っておこうと思ってて。人気俳優の兄だってバレて何か期待されても困るし、俺じゃその期待に応えられないと思うし」 「こんだけ似てんのに、バレないわけないじゃん」 「でも、街歩いてても気づかれたことないよ? 陽翔はきりっとしてるし、オーラの違いか何かだと思うな」 「……ねえ、それさ、本当は俺のことが恥ずかしいとかじゃなくて?」 「え?」 「目立つことして結翔に迷惑かけてるのはわかってるけど」 「そんなわけない! 陽翔は俺の自慢なんだから!」  双子なのに、幼い頃からすべてにおいて陽翔の方が優秀だった。比べられるものすべて――勉強も運動も芸術も何でも。性格も陽翔の方が明るく、同じ顔の造りだというのに内面から滲み出る魅力で陽翔には華がある。身長だって172センチの結翔より5センチも高い。結翔の方が秀でているところがあるとするなら、そんな完璧な弟を前にしても腐らない真面目さくらいだ。  家から一歩外に出ると、双子という理由で陽翔と比べてくる人が多かった。そこには悪意も他意もなかったが、幼い結翔にとっては退屈で苦痛極まりなかった。真面目に仕上がった今の性格は、見かねた両親の「結翔は大器晩成型なんだよ」という刷り込みによるところが大きい気がしている。 「ならいいけど、でも心配すぎ。なんでよりによって、今日からアメリカに三ヶ月も行かなきゃなんないの。ねえ結翔、今からでも遅くないから、不動産仲介なんか辞めて、うちの事務所おいでよ」 「無理だよ。芸能界こそ勤まらないから。そういう仕事は、陽翔みたいに人から愛される人じゃないと。あと、今日から働く会社を悪く言わないで」  結翔がそう言うと、陽翔は頬を膨らませて背後から抱き着いてきた。 「あーあ。会社にさ、俺みたいに結翔のことを第一に考えられるスパダリで誠実でいつでも結翔を守ってくれる人、いないかな~~」 「……いるわけないでしょ。俺は働きにいくんだよ? お世話されに行くわけじゃないんだから」 「そうだけど」 「それに、高校の時は生徒会の副会長も務めあげたし、大学の時だってフィールドワークの幹事もできたでしょ? 何が心配?」 「それは俺も一緒だったじゃん。一人でやった就活は?」 「そ……」  そう言われると言葉が出ない。  就職活動で大きく躓いたからだ。ただ、それには理由がある。  嘘に過敏な体質の所為で、自分をよく見せたり、建前や思ってもいないことを言ったりできない。言ったら最後、あろうことか体が性的に興奮するのだ。つまり、人前だろうがどこだろうが、嘘をついたら所かまわず勃起する。  こんな体質になったのは高校三年の夏だ。あまりに変態じみた体が恥ずかしく、陽翔にも誰にも言っていないが、以来、人とのコミュニケーションに臆病になった。採用面接なんて、いつそのスイッチが入ってしまうかわからない、人としての尊厳が危ぶまれる緊張の最たる場だった。 「唯一内定くれたからって、そこに決めちゃうんだもんな……。賃貸仲介ってチャラそうなイメージなんだけど」 「営業の人たちはわかんないけど、俺が採用されたのは事務職だし大丈夫だよ。それに、そんなに心配しなくても研修だってあるし、陽翔が帰ってくる頃には立派なサラリーマンになってみせるから」  両腕でガッツポーズを作ってみせたが、陽翔は鼻に皺を寄せるだけだった。 「あ、もう出ないと。陽翔も早く準備して!」 「せめて実家にいてくれたらな。結翔、普段自己主張しないのに、言い出したら聞かないよね」 「人を頑固者みたいに……。いつまでも甘えてられないし、自立したいんだよ」  陽翔は別れるぎりぎりまで部屋の合い鍵を強請ってきた。  すべてにおいて頼りない兄を過剰に心配するのもわかる。しかし、やっと自立できる機会だ。陽翔がいなくても立派に働けると証明したい。  結翔はネクタイを締め直し、軽やかにアパートの階段を駆け下りた。
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