第一部 再会

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 珍しく自分自身を疑った和泉は、落ち着かない心持ちでマリの背中を追う。五年前、いやというほど追い続けたその背中。追いつけなかったその背中。そうだ、あのときも同じような気持ちになったのだった。起こらない事件を待ち続ける苛立ち。事件が起こらなければ被害者は生まれないが、被害者が生まれなければ犯罪者を逮捕出来ない矛盾。しかしその対象だったマリの背景を考えると、ただ彼女を逮捕するだけでいいのかとの思いも頭をもたげ――まだ若かりし日の和泉は、刑事としての壁に突き当たっていた時期でもあったのだった。  和泉はそっと振り返り、鴨林の姿を探す。彼も五十メートルほど後ろを、付かず離れずついて来ている。体力のない、いかにもおっさんというベテラン刑事。プライベートでは結婚し、子どももいる。仕事のやり方も、プライベートの生き方も、体型も和泉とは全く正反対と言ってもいい彼が、もともとの仕事を逸脱してここまで付き合ってくれた。いや、付き合ってくれたという言い方は適切ではないのだろう。彼も刑事だ。夏帆が選んだ、七係の精鋭だ。義理人情で和泉に付き合ってくれているのではない。鴨林もまた、犯罪の匂いを敏感にかいだからこそ、ここまで一緒に行動しているはずだ。そうだ。疑いは進むべき道を見えなくしてしまう。信じろ、自分の刑事としての嗅覚を――和泉は柄にもなく自省的に、感傷的になりつつ、マリの背中を追い続ける。  マリは慣れた足取りで夜の梅田の人流に乗りながら、地下鉄御堂筋線の改札まで辿り着いた。  また地下鉄に乗るのか。マリはなかもず行のホームに並ぶ。  そう言えば、昼間に地下鉄に乗ったときも、梅田で彼女は立ち上がった。そうか、昼間の動きはリハーサルか。これから何かをしようとしているのだ。  手元のスマートフォンに目をやるように見せかけて、マリはさりげなくホームに目を配っている。誰かを探している――ターゲットが決まっているということか? リハーサルまでして、ターゲットを決めて、そもそも大阪くんだりまで来ての犯行がただのスリなわけがないのではないか。  ――助けて――後悔すんで――  彼女の妙な言動。もしかして、何か大きな犯罪が動いているのではないか――? それを引き当てたのだとしたら。  まさに運命じゃないか! 和泉はニヤリと笑う。  マリが動いた。和泉も彼女に合わせて動く。マリはホーム中ほどの、女性専用車両の停車位置に並び、和泉はやむなく隣の車両に並ぶ。何食わぬ顔で通り過ぎた鴨林は、完全に大勢の大阪市民のサラリーマンに紛れている。和泉とは反対側の列に並び、マリの乗る車両を挟み撃ちする形になるが、しかし同じ車両に乗れないという時点で、一歩遅れをとる可能性もある。気をつけないと。  電車が入ってきた。  マリのターゲットは、今すでに並んでいる乗客の中にいるのか。女性専用車両に乗り込んでいったのは、全部で三、四十人と言ったところか。もともと乗っていた乗客を合わせると、六十人ほどはいそうだ。和泉は連結部のドアに張り付き、何とかマリの姿を視界に捉える。  淀屋橋。本町。心斎橋――なんばが近づく。電車が減速し、なんば駅のホームの灯りが車内を照らす。降車する乗客が一つの波を作り、乗車する客が新たな波を作る。  そして、降車しなかった乗客の一人から、マリが何かを掏った。間違いない。見た。  マリは乗車の波に逆らって電車を飛び降りる。和泉も閉まるドアの間を何とかすり抜けて、なんば駅のホームに飛び出した。
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